自己を語るという経験
昨日は、大阪吃音教室の忘年会でした。初めての試みで、日曜のランチ忘年会でした。吃音教室常連も、久しぶりの人も、みんな一緒になって、語り、聞き、アトラクションを楽しむという3時間忘年会でした。その様子は後日にして、今日は、「スタタリング・ナウ」2013.12.21 NO.232 で特集している、第2回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の報告を紹介します。鹿児島で行ったこの講習会、九州大学の高松里さんを講師に迎え、〈語る〉ことを深めた講習会でした。昨日の忘年会もそうですが、大阪吃音教室には、〈語る〉ことが基本に流れています。大阪吃音教室の坂本さんの報告です。
自己を語るという経験~「第2回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」報告~
(2013年8月2・3日鹿児島市宝山ホール)
坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)
はじめに
吃音講習会の趣旨
北は栃木から南は沖縄まで40名を超える、ことばの教室を主とする教員、言語聴覚士、どもる子どもの保護者、当事者が鹿児島市に集まった。
冒頭、大会実行委員長の溝上茂樹さん(鹿児島県知名町立知名小学校)は、仲間と出会い、その仲間と語ることを通して、自身の吃音との向き合い方や吃音観が変わっていったことをあげ、この講習会は「どもる子どもたちと、吃音の何を学び合い、どう取り組むか、参加者の皆さんと一緒に学び合い、考えていく講習会だが、参加者自身の疑問や考えをプログラムに反映させるミステリーツアーのような講習会です」と挨拶をした。
この挨拶には昨年、千葉市で開かれた第1回の吃音講習会がナラティヴ・アプローチの手法に学び、「吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み」をテーマとした総花的展開だったことを受け、今回はNarrative=語り、物語るとはどういうことかを、どもる子どもはもちろんのことだが、参加者自身のこととしても追及しようとの意図が込められている。
第2回の講習会のテーマを「子どもとともに、言葉を紡ぎだす―当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンスの視点から―」とした理由である。
基調提案①それぞれの生きるかたち
国立特別支援教育総合研究所 牧野泰美さん
牧野さんの生きるかたち
昨年の講習会の講師であった発達心理学者の浜田寿美男さんは「障害と子どもたちの生きるかたち」(岩波書店2009年)という著作のなかで、「明日のための発達より、いまの手持ちの力で生きる生活を大事にしたい…発達の遅速や能力の上下に気をとられるよりも、それぞれの背負った条件のなかでの生きる論理を大事にしたい」と述べている。牧野泰美さんの講演はこの浜田さんの著作の主張を受けるかたちで始まった。
牧野さんにとっての生きる論理、生きるかたちの模索は自らの名前との向き合い方を端緒としている。「やすみ」と名づけられた名前に学齢期の牧野さんはコンプレックスを感じて過ごした。現在と異なり男女別の名簿だった時代、年度当初には決まって、「やすみちゃんかな?やすみくんかな?」と教員から呼ばれることが恥ずかしく、嫌でたまらなかった。また、級友からは、「やすみ君は『お休み』なのにどうして登校しているの?!」といってからかわれた。しかし、いつの頃からかこの名前を「いいもんだ」と思えるようになった。
それは名前を変えたわけでも、男らしい名前、女らしい名前というような名前に対する社会の支配的な文化コードというのか、意識の幅がひろがり、変化したことによるのでもなく、牧野さん自身の名前に対する捉え方、視点が変化したことによっている。言語に関する研究者である牧野さんにとって、いまやこの「やすみ」という優しく響く名前は人に自分の名前を覚えてもらうための有効なツールとなっている。おそらく日本で一番、ことばの教室担当教員の知り合いが多いのも、この名前の響きが一役買っているかもしれないと、牧野さんは理解しているのである。
自分がもつ何らかの課題や障害というものに対して、治すとか、なくすというような対処の仕方もあるだろうが、見方を変えることで案外とうまくつき合えるのではないか、という提案である。
しかし、自分の慣れ親しんだものの見方、ナラティヴ・アプローチでいうところのドミナント(支配的な)・ストーリーからどうしたら私たちは自由になれるのか。
牧野さんは比喩的にそれを「殻ごと大きくなればいい」と表現する。幼い頃の牧野さんは家族以外の人がいる場面では極端に話すことを避けていた子どもだった。学校で何でもいいから話してごらんと教員に促されても、発言することはなかったという。しかし、もし教員が自分自身について語ってくれたら、自らを開いていてくれたら、話していたかもしれないと現在の牧野さんは分析する。言葉は関係性の中で育まれ、伝えられることを当時の牧野さんはすでに直観していたのだろう。
やがてちょっとした自信や勇気がもてた経験の積み重ねのなかで、牧野さんはひとつまた一つと外の世界を自分のなかに取り入れていった。自分の殻を破ったわけではないが、殻を少しずつ大きくしていった、キャパシティをひろげたのだ。結果として殻を破ったのも同然であろう。
吃音について直接触れることはないがと最初にことわって展開された牧野さんの話は、2日間に渡る講習会の補助線を引く役割を果たしてくれた。
基調提案②どもる子どもにとっての当事者研究とレジリエンス
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二さん
吃音臨床から
吃音に悩みに悩み、治そうと一大決心をして民間の吃音矯正所である東京正生学院の寮に入所した21歳の伊藤伸二さんは、上野公園の西郷隆盛の銅像前で習った方法に従って演説をしていた。それから約半世紀を経て、今度は「吃音とともに豊かに生きる」ことを提案するために、全難言鹿児島大会での全体講演に続いて、吃音講習会での基調提案の機会を迎えていた。再び西郷隆盛像の前に立ったのである。人生の巡りあわせの不思議を感じながら、伊藤さんは吃音臨床の100年間を概観し、今後の展望を語った。
1903年の伊沢修二によって設立された楽石社における「不自然でも、どもらずに、ゆっくり話す」という方法を最初と考えることができる世界の吃音治療・臨床は、その後、アメリカのアイオワ州立大学に集まる研究者たちによって極められたが、伊藤さんはそこから今日、私たちが学ぶべき考え方は2っしかないと総括する。
1950年に提唱された、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図と1970年のジョゼフ・G・シーアンの吃音氷山説とである。
W・ジョンソンは吃音の問題はどもり方の状態である吃音症状(X軸)と、それに対する聞き手の反応(Y軸)、そして吃音に対する本人の意味づけ・態度(Z軸)からなる立方体によって表す。
そして、各軸を短くすることで吃音の問題は解決することができると考えた。
シーアンはこのZ軸に注目、発展させて、吃音を海面に浮かぶ氷山にたとえると、吃音の症状自体は海面上に見えるわずかな部分であり、吃音の問題の本質は外からは見えない、隠れた海面下の大部分にあると主張した。
しかし、アメリカ言語病理学は、Z軸と海面下の部分への具体的な取り組みを展開することなく、両説を忘れたかのように吃音症状へのアプローチに終始し、現在に至っている。
伊藤さんの歩みと思索
東京正生学院での同じ悩みを持つ仲間との語り合い、大阪教育大学の聴覚・言語障害教育課程の教員時代の徹底した議論、全国吃音巡回相談会での多くの出会い、そしてセルプヘルプグループでの実践を通して、伊藤さんたちは吃音に対する否定的な言説、ドミナント・ストーリーに代わる、吃音とともに豊かに生きているという肯定的な、オルタナティブ・ストーリーを発見し、紡いでいった。
そして、吃音症状といわれるものと吃音の悩みは比例しない、吃音否定による自己理解が悩みを深くすること、どもりを通しての自己理解、吃音とともにどう生きるかが吃音の課題の核心であるとの洞察を得た。「吃音を治す努力の否定」という1976年の「吃音者宣言」の哲学を確立した。
伊藤さんは、シーアンの海面下の部分を、どもりを隠そうとしたり、話す場面から逃げるというような「行動」、どもりは悪いもの、劣ったものであるとする「思考」、どもるとみっともない、恐ろしいという「感情」、そして、話すときにこわばってしまう「身体」と整理する。
そして、この海面下の部分は、他の誰でもない自分自身の日常生活の営為を通して形成されたわけであるから、セラピストのような専門家と呼ばれる人たちに委ねるのではなく、当事者としてこの部分に働きかけること、向き合うことが吃音の課題へのアプローチであると喝破した。
大阪吃音教室の40年は、当事者として自身の課題に向き合う「当事者研究」の積み重ねであるといえる。交流分析や論理療法、認知行動療法、アサーティヴ・トレーニング、竹内敏晴・からだとことばのレッスンなどに学びながら、共同の営みとして実践してきたのである。
それを通してメンバーは、吃音を治したいと思っていた頃は確かに悩んでいたかもしれないが、自分の人生の課題からは逃げていた、どもりに甘え、言い訳にして劣等感を持ち、アドラー心理学でいうところの劣等コンプレックスに陥っていたことを悟ったのである。吃音とともに生きる今は吃音で苦労することはあるが、人生の課題からは逃げずに生きているとの実感と誇りを持っている。
大阪吃音教室の雰囲気が真面目でありながらも、明るく、ユーモアにあふれ、常連メンバーに人としての成熟があるのはそれゆえであろう。こうしたあり方は、べてるの家なら「苦労を取り戻す」と表現されるものである。
べてるの家の創立者である、向谷地生良さんが2011年の秋、吃音ショートコースに招かれて、吃音に関する伊藤さんたちの実践に触れて、「こんなところに鉱脈があった!」と驚嘆したのは、同じ問題意識を両者が持ち、当事者研究を行っていることを発見したからに違いない。
吃音世界大会から
吃音者宣言から10年後、1986年に伊藤さんたちは京都で第1回吃音問題研究国際大会を開催し、世界のどもる人たちに向けて自分たちの考えを問うた。今年の6月、第10回のオランダ大会のテーマは第1回の大会に通じる、「吃音に関するあらゆるタブーを打ち破れ」というもの。伊藤さんはそこで「吃音否定から吃音肯定の語り~ナラティヴ・アプローチの提案」という基調講演を行ったが、この提案を最も真摯に受け止め、共感したのがデヴィッド・ミッチェルという邦訳されている著作もある、現在はアイルランド在住の世界的なイギリス人作家である。
9年間の日本在住経験のあるミッチェルさんとの対話は、彼が伊藤さんたちを訪ねて来たことで思いがけずに生まれた。難しい言い回しや単語は日本吃音臨床研究会の国際部長である進士和恵さんがサポートしてくれた。
ミッチェルさんはどもりを征服すべき敵と考え、戦いを挑んだが、逆にどもりもミッチェルに戦いを挑んできた。それはある意味で自分の内なるもの、身についたものに対する戦いであり、終わりのない戦争、内戦であったという。この自分が壊れるほどの戦いにミッチェルは疲れきり、絶望した。伊藤さんの言い方だと「諦める」ということだろう。しかし、この絶望は自分の内なるものとは共存するしかない、友だちになるしかないと、どもりに対する見方を変えることを促した。今ではどもりに感謝さえしている、もし治る薬があったとしても飲むことはないとミッチェルさんは言う。それは言葉を選び、言いかえをしてきたサバイバル体験が彼の言語を豊かにし、作家としての彼を育てたからである。違う文化的風土にありながらも、ミッチェルさんのどもりとの折り合いのつけ方、つき合い方は伊藤さんと驚くほど共通するものだ。
子どもがもつレジリエンス
ミッチェルさんが行っていた言葉の言いかえや少し間を置いて話すことなどは、どもる当事者なら誰でもしていることだろう。誰かに教えてもらったものではなく、自分自身の工夫として、サバイバルとして身につけたものだ。
流暢性促進技法などはこの域を出るものではない。それをことばの教室や言語聴覚士が言語指導として子どもに訓練させることはあってはならないのではないか。子どもの生き生きとした表現を奪うことになると伊藤さんは主張する。では、何をすればいいのだろうか。
吃音親子サマーキャンプは大阪吃音教室のエッセンスの凝縮された、参加する子どもたち同士による二泊三日という当事者研究の場である。同年齢に近い仲間同士での話し合いや劇制作、ウォークラリー、ベッドの中での会話などを通して、それぞれの体験と考え方、言葉を分かち合うという経験をする。
子どもたちは、どもりをからかうクラスメイトもいるが、支えてくれる友だちもいること、からかいへの対処法もいろいろあるということ、どもりだからキャンプに来ることができた、こうして親友となったあなたに出会えたのはどもりのおかげであるということまで発見する。
そうして、エネルギーを充填して、新たな意欲で9月からの新学期を迎えるのである。子どもたちがお互いのなかに確認するのはレジリエンス(resilience)という苦難に耐えて自分自身を修復する力、回復する力である。学生時代の伊藤さんが一ヶ月ごとにアルバイトを変え、一人当事者研究をしていくなかで発見したのもこのレジリエンスである。
吃音親子サマーキャンプは来年で25回目となる。これだけ長く続けてこられたのは、子どもの見せるレジリエンスに伊藤さんをはじめとするスタッフの誰もが魅了されているからであろう。子どもたちが見せるユーモア、豊かなサバイバル術、しなやかな考え方は子どもたちには、自分の環境をたくましく生き抜いていく力があることを示している。
吃音臨床の世界には、言語関係図における聞き手の反応であるY軸へのアプローチから「環境調整」という考え方がある。しかし、子どもは一方的に環境を調整されなければならない存在なのか。子ども自身が環境に働きかける能動的存在であることを忘れているのではないか。
確かにどもりについて、どもる子どもについて親や学校に理解してほしいこと、考えてほしいことはある。しかし、環境調整といわれると、どもる子どもをもつ親は日々の生活の中で、どうしてもゆっくりとしたペースで子どもに話しかけられなかったというような場面ばかりが思い出されてしまうことだろう。その結果、子どもによい環境を家庭において提供できないでいるという罪悪感を抱いてしまうことになる。自分に対して罪悪感をもちながら接してくる親は、どもる子どもに何を伝えていることになるのか。ここから吃音否定の語り、物語りが生まれるのである。
どもりの歌
洋の東西を問わず、人口の1%の人がどもる。だとすれば、この1%の存在には意味があるはずだ。伊藤さんは最後に、「どもりの歌を歌いたい」として次の一節を紹介してくれた。
「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治るにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化をもてたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」(『新・吃音者宣言』芳賀書店1999年)
どもりの文化、どもりの意味を探求する当事者研究への誘いであろう。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/22

