第16回ことば文学賞~昼飯の問題~

 2013年度第16回ことば文学賞の作品の紹介の最後です。
 掛田さんのこのような文章を読んでいると、吃音も悪くないなあと思えてきます。吃音のおかげで知った世界、広がった世界、深まった世界が、僕にはいくつもあります。どもりさえ治ったらと思っていたのに、不思議なことです。吃音とともに歩き出したとき、そこには豊かな世界があったということなのでしょう。
 明日は、千葉市内のことばの教室を訪問します。子どもたちが僕に質問してくれるのが楽しみです。6日(土)は、吃音学習会&相談会があり、8日(月)は柏市でことばの教室担当者向けの研修会です。話す機会をいただき、ありがたく思います。

  昼飯の問題
                       掛田力哉(36歳・支援学校教諭)

 北海道の田舎町にある大学に進学した私に、最初に訪れた試練は昼飯の問題であった。多くの学生は、カフェテリア式の学食で昼食をとる。しかし、列に並んで「○○下さい」と大声で言わなければいけないそのシステムは、私には地獄の所業であった。
 学生数600人にも満たず、ほとんどが顔見知りのような小さな大学で、かつ丼一つも「普通に」注文できない自らの姿を晒す事は、私には耐えられなかった。結果、私は午前の講義が終わると一目散に学生寮に帰り、適当な昼食を作って凌ぐ生活を送るようになった。
 その学生寮の台所で出会ったのが、留学生たちであった。彼らの多くは金がなく、日々の昼食に数百円の金をかけることなど考えられないといった様子で、毎日うまそうな昼食を作って食べていた。自然に言葉を交わすようになり、互いの部屋に集まって共に過ごすようになった。
 ロシア、アメリカ、韓国、中国、インドネシア…。様々な国から来た学生たちと、片言の日本語でバカな話をするのは、それまで経験したことのない楽しい時間だった。彼らの多くが、私には他の日本人学生と違う「話しやすさ」があると言ってくれた。聞けば、多くの日本の学生は、彼らの話し言葉に文法や発音の間違いがあると、すぐに指摘してくれるという。それは、学生たちの親切心から来るものであることは彼らも十分理解しているが、一方で、心から喜び楽しんで発した言葉を逐一訂正される生活に違和感を持っていたのだ。
 どもりに悩み、自分の発した一言が相手に伝わるありがたさを痛い程に知る私に、他人の言葉を訂正するなどという選択肢は無かった。「話し下手な」私たちは、自分たちの話し方など全く気にせず、夜が更けるまでくだらない話に花を咲かせた。そして彼らは、あなたも外国へ行くべきだと言ってくれた。
 勧められるままに私は英語を勉強し始めた。英語で話している間は、不思議とどもらないことにも気づいた。語学力テストを何度も受け、私はアメリカの大学へ交換留学する切符を手に入れた。
 入国審査や大学の入学手続き、銀行の窓口、レストラン…。どの相手も、私が英語を話せないことなどまるでお構いなしといったように、ベラベラと早口でまくしたてる。これがアメリカの流儀かと圧倒されながらも、国籍、外見、話し方など全く関係なく一人の人間として対等に扱われているようで、私にはむしろその流儀が心地よかった。しかしながら、英語が満足に話せないという現実はすぐさま学生生活に深刻な支障をきたし始め、外へ出て誰かに会うのも恐ろしく感じられるようになってしまった。授業が終わるとすぐに寮の部屋に戻り、ベッドに寝転んで悶々と過ごす日々が続いた。
 アメリカの学生寮は、ルームシェアが基本である。同居者はアメリカ人のKくん。物静かで紳士的、おまけに超ハンサムなKくんは、いつも優しく接してくれた。ある日、私は日本の兄弟から初めて届いた手紙に涙していた。
 アメリカ人男性は人前で涙を見せることが滅多に無い。”Are you OK?”と彼は心配げに私に尋ねる。私は手紙が嬉しくて泣いているのだと答えた。その日のことである。講義が終わりいつものように部屋に戻ると、今度はKくんが手紙を読みながら泣いていた。私の前では涙しても良いのだと思ってくれたのだろうか。私は勇気を出して尋ねる。”Are you OK?”彼は答える。遠く離れた恋人に会いたい。離れすぎて、他の男性と「できて」しまうのではないかと心配でならないと。
 いきなりの恋愛相談に私は面食らう。何と答えるべきか。ベッドに寝転んで必死に考える。少ない恋愛経験を総動員し、頭をフル回転させて、私はつぶやく。”just believe”「信じるしかないよ」私はそう答えたつもりだった。”I don’t know,but just believe”「俺はよくわからないけど、でも信じるしかないよ」と。こんな気障なセリフ、それまでの人生で吐いたことはなかった。
彼は静かに、”yes,yes”と答え、頷いてくれているようだった。暗い部屋の天井を見つめながら、静かに言葉を交わした。英語は私に新しい力を与えてくれるかも知れない。ずっと心の内にあったもの、言ってみたかったこと、本当は自分にも言えたはずのこと。飲み込み続けてきた言葉が、英語を使ってなら表現できるのではないか。
その日から、私は拙い英語でも構わず、別人のように話し始めた。世界中から集まった留学生たち、エレベーター内でふと目が合ったご婦人、毎日買い物したコンビニの店長。学食の列に並んで、「double cheese burger!」と大声で注文するようにもなった。食堂の列に隣り合わせた学生とも話した。これほど多くの人と言葉を交わしたことはない程、私は毎日よくしゃべった。
 どもりたくない、どもる姿を見られたくないと自らを小さな殻に閉じ込め、他者との距離に悩み続けた日本での自分。そんな自分がアメリカという全く異なる国、文化、全く異なる言語の中で、初めて人と関わる楽しさを知り、他者の言葉に耳を傾ける喜びを知るようになったのだ。そして、留学も残り半年となった時、英作文の講義が始まった。
 「コンサートに赤ん坊を連れていく親について」「なぜ人間は他者を蔑むのか」「アメリカ人は勤勉か」「通学路にアダルトショップが出来ることへの親たちの過剰な反応」…。
 英作文の授業では、それまで自分が考えたことも無い課題について作文する宿題を毎週のように与えられた。乏しい知識と経験を総動員して文章を書きあげる作業を支えてくれたのは、幼い頃より「書く事」でのみ唯一自分を表現してきた、自身の文章力だった。日本語で生み出した考えを、辞書を駆使して何とか英文に仕上げる。本来の英文には無い不自然な言い回しが却って新鮮な印象を与えるらしく、「C」「B+」と評価は次第に上がっていった。
 自由課題が始まると、私は幼くして別れた父親のことや三つ子の兄弟のことなど、それまで他人に詳しく話したことも無いような個人的な話を書き始めた。そして、「人生における重要な出来事があなたをどう変えたか」という課題で、私は吃音に悩み続けてきた事、どもる姿を見せまいとあらゆる表現から逃げ続け、っいには唯一の表現手段であった「書く事」すらも出来なくなった小学校での日々を綴った。いくつかの本との出会いが、自身の苦しみを客観的に見つめる力をくれたこと、苦しんだからこそ教師になりたいと誓ったこと、再び「書く事」を取り戻したことなどを、出会ったばかりのアメリカ人教師に読んでもらいたくて、必死に書いた。
 教師からは、「beautiful essay」「私はこの文章をとても楽しんで読んだよ」という賛辞と共に、初めて「A」の評価をもらった。
自分はその思いを存分に表現して良いし、誰かにその言葉を受け止めてもらって良いのだということを、アメリカ生活は私に教えてくれた。日本で出会った留学生たちを思い出す。皆、片言の日本語でも気にせず、自分の思いや考えを堂々と表現していた。むしろ講義の中で意見を表現できず縮こまっていたのは、彼らの文法や発音を逐一訂正していた日本人学生の方であった。留学生たちが私に伝えたかったのは、これだったのかも知れない。
余談になるが、アメリカ生活もいよいよ終わる頃、ある事に気付いた。英語を話し慣れた私は、いつしか英語でもどもるようになっていたのだ。驚くと同時に、「やっぱりな」というような妙な安心感があった。日本語と同じように言い換えをしたりしながら、何とか生き抜く日々が始まったが、不思議と日本にいた時のようなしんどさも、恥ずかしさも、劣等感も感じられなかった。後に、大阪吃音教室で教えてもらった「自分はそのまま存在しても良いのだ」ということの基本を、私はあの時少しずつ分かり始めていたのかも知れない。
日本に戻った。特段大きな変化も無い、かってのような学生生活が始まった。不満もないが、毎日精一杯生きていたアメリカ生活を思うと、何とも言えぬ寂しさがあった。
ある日私はふと思い立って、学食の列に並び、大声で注文してみようと考えた。思い切りどもるかも知れない。それでも構わない。私は顔見知りの学生たちの列に並び、前から食べてみたかった「牛トロ丼」を注文することにした。順番が来る。「ぎゅぎゅ…牛トロ丼下さい!」少しどもったが何とか注文できた。誰も私のことなど見ていない。なあんだ、こんなに簡単な事だったのか。私の昼飯の問題は、ようやく解決した。
私は私のままで良くて、自分の言葉で表現し、自分の言葉で欲しいものを手に入れて、生きていっていいんだ。私はこのことに気付くために、遠いアメリカまで行ってきたのかと自分で可笑しくなった。初めて食べる牛トロ丼はとても甘くて美味かった。ふと見上げた牛肉の産地欄には、「アメリカ」と書いてあった。

〈コメント〉
同じように吃音を体験した人でも、このタイトルを読んで、すぐにピンとくる人と、何のことか読み終わって初めて分かる人とに分かれることだろう。ひとりのどもる人の、吃音のとらわれからの解放の道筋が、昼飯をキーワードとして、ていねいに記されている。
食堂で注文できない苦労が、寮に逃げ込むことで、留学生と知り合う貴重なきっかけとなり、それが海外留学にまで発展していくのが興味深い。
人と関わること、人と人とのコミュニケーションについて、やはり吃音は大きな気づきのきっかけを与えてくれる。
アメリカ留学の経験が作者を変えた経緯が、いくつかのエピソードをもとに綴られる。帰国し、再び始まった日本での大学生活は、特別に変わったことはないと言いながら、作者はそれまで逃げてきた、食堂での注文に挑戦する。「牛とろ丼」を注文して昼飯の問題は解決された。その牛肉の産地が「アメリカ」だとのこと、ユーモアを効かせてしめくくっているのがおもしろい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/04

Follow me!