レジリエンスを育てる~親の体験・親の気持ち~
10月になりました。今年の暑さはいつまで続くのだろうと思っていましたが、季節はちゃんと移り、彼岸花が咲き、コスモスが風に揺れています。酷暑だっただけに、この秋のさわやかな風が一段と心地よく感じられます。
さて、ナラティヴ・アプローチを学ぶ中で、レジリエンスに出会い、子どものレジリエンスを育てることが、僕たち大人のできる最大のことではないかと思いました。レジリエンスにつながるヒントを、親の体験・親の気持ちから探ります。(「スタタリング・ナウ」2013.3.20 NO.223)
《特集:親の体験・親の気持ち》
レジリエンスを育てる
「逆境を乗り越え、心的外傷となる可能性のあった苦難から新たな力で勝ち残る能力、回復力」というレジリエンスの概念を紹介しました。子どものレジリエンスを育てることが、親や教師のできる最大のことなのかもしれません。どうすれば、レジリエンスは育つのでしょうか。ここに3人の親の体験を紹介します。
初めの2つは、これまでの子どもとのかかわりを振り返って書いていただいたもの、最後の1つは、以前いただいた『どもる君へいま伝えたいこと』の読後感を綴った手紙です。
3編に共通しているのは、子どもを信じ、子どもの力を信じ、共に歩いてきた親の体験・気持ちだということです。レジリエンスにつながるヒントがみつかると思います。
娘と吃音と私
栃木県宇都宮市 横田百合香
1 今=中学2年生=
トランペットを小脇に抱え、客席に視線を向け、堂々と舞台に立つ娘は、大変輝いて大きく見えました。その顔は、満足気であり、友だちと共に練習の成果を出し切り、やり遂げた表情でした。会場内は大きな拍手に包まれました。私は、感動で体が震え、そして、涙があふれました。娘とのこれまでの日々が、走馬灯のように脳裏によみがえり、様々な思いが交錯したのです。
現在、娘は、吹奏楽をこよなく愛し、朝に夕に、休日に、トランペットの練習に明け暮れている、中学2年生です。副パートリーダーとして、パートリーダーの3年生を助け、不在時は、練習メニューを作成し、指揮をとっています。
娘は、部員全員を前にして、お願いや感想、意見を求められ、発言するチャンスが多々あるようです。発言をしたその日は、帰宅するやいなや、そのときの状況や発言内容まで、報告してくれます。流暢な日もあれば、どもりが強い日もあります。
私は、大きくあいづちをうちながら、娘のことばに耳を傾けます。一部員として、先輩として、がんばっているなあと感心させられます。それと同時に、自分の考えを発表する良い機会、試練をいただいていると、うれしく思うのでした。
2 吃音のはじまり
「先生、さようなら」
かわいらしい大きな声で、幼稚園の先生にあいさつするや否や、かけ足で、自宅にかけこみました。帽子をかぶったまま、園のリュックを背負ったまま、息せき切って、話し始めました。自分の名前の一文字目の音を重ねながら、フルネームで何回も繰り返し発してから、本題に入りました。入園して間もなくの出来事でした。
話し方がいつもとちがう、気のせいかしらと思いつつも、胸に何か大きなつかえが残ったことを、今でもはっきり覚えています。次の日は、文の初めがスムーズに話せなくなっていました。どもっていると、感じました。
主人が、相談機関として幼児ことばの教室が存在することを調べて、私に情報提供してくれました。そして、一緒に行ってみようかと、そっと背中を押してくれました。電話をかけるまで、時間を要しませんでした。
3 幼児ことばの教室へ
幼児ことばの教室のドアに緊張しながら手をかけ、開けました。笑顔の素敵な先生が出迎えてくれました。部屋では、遊戯療法や、ことばのやりとりが、試されました。
ストレスや疲れを取り除くこと。しつけは大切ですが、本当に必要なときのみ、最低限を心がけること。甘やかすのとも、意味は違います。どもっていても、意識せずに聞くこと。などの、具体的なアドバイスを受けました。また、その日から、吃音の症状について日記をつけることになりました。
日記をつけることで、吃音には波があり、娘の吃音の特徴などを理解することができました。親子関係を見つめ直す良い機会であったと思いますが、当時は、常に、娘の吃音症状が気になり、頭から離れることがありませんでした。
症状が軽いときは、私の接し方が、うまくいったと判断し、症状が強く出ているときは、娘にストレスや疲れを与えてしまった、私の注意が足りなかった、接し方が下手であったと、判断するようになっていました。もしかしたら、吃音が消えるかもしれないと考えていたから、自分を追いつめ、苦しい状況に陥ってしまっていたのかもしれません。幼稚園の卒園と同時に、幼児ことばの教室を去ることになりました。
4 小学校のことばの教室へ
娘の吃音の波も、しばし、おだやかに感じられました。国語の教科書の音読は、ほれぼれするくらい上手でした。イントネーションや間の取り方、台詞等々、すばらしく、娘も自分は音読が得意であると、認識していました。
しかし、小学校生活初めての冬休みを目前にしたある日、音読ができなくなってしまいました。吃音の症状が強くて、読み進めることができなくなってしまったのです。年明け早々、学級担任の先生に相談し、教育センターを通して、ことばの教室の門をたたきました。娘の通う小学校の近くの小学校に、ことばの教室は存在しました。その教室は、学校の一角にありました。
5 吃音と一緒に生きていこう
ことばの教室の先生に入室を促され、娘一人、足を踏み入れました。娘の小さな後ろ姿を、祈るような気持ちで、見届けました。約束の時間に迎えに行くと、ことばの教室の先生が、娘とした会話内容を伝えてくれました。
娘の話し方は、吃音であるということ。写真を提示し、どもる人は君ひとりだけではないよ、仲間がたくさんいるんだよとメッセージを送ったこと。それから、吃音は、治らないこと。このことばの教室では、治せないことを、はっきりと、しかし、温かい丁寧なことばで語って下さいました。私は、肩の力がスーッと抜けたことを、今でもはっきり覚えています。
娘はもちろんのこと、私自身も真の理解者に巡り合えたと、心底うれしく、心強く思いました。吃音は、治らない、治せないと教えていただいたことで、娘と、吃音と一緒に生きていこうと、覚悟が決まりました。
ことばの教室では、吃音について、正しい知識を学びました。友人関係や学校生活で困っていることまで、相談にのっていただき、話し合いを重ねました。娘の人格形成に、良い意味で、深く関わっていただいたことは、言うまでもありません。吃音と向き合い、吃音と一緒に生きていく力の基礎を育てていただきました。
ことばの教室主宰の「わいわいスクール」は、吃音の友だちに出会い、どもる人間は自分だけではないという強い気持ちが生まれた、大切な企画でした。その友とは、一生おつき合いが続き、人生の節目に、良き相談相手、理解者と成り得るだろうと思っています。
私自身も、母親として、ひとりの人間として、精神的に成長させていただきました。また、先生方やどもる子どもを育てるお母様達に出会えたことで、心穏やかに過ごせたことを感謝しております。
6 中学生の娘に
中学校に入学してからは、今までの体験で培った娘の力を信じ、いつでも、相談にのるからね、見守っているからねと、信号を発信し続けています。
つい先日、娘とお友だちを車で送迎中、二人の会話を聞く機会がありました。そのとき、普段の家での声の出し方と違うように感じて、家に戻ってから娘に質問しました。
「声色が変わるのは、吃音を意識しているから?」
「全然意識してないよ」
「お母さんだって、電話で話しているときの声は、違うじゃない。それと同じかもしれないね」
娘が言って、笑い合いました。そんなふうに、いつでも吃音について話し合える関係でありたいと思います。
7 夢に向かって
娘は、将来、保育士になりたいという夢を抱くようになりました。夢に向かって、はばたいてほしいと願っています。就職、そして社会人になってからが、吃音に向き合う正念場なのかもしれません。様々な困難が待ち受けているかもしれませんが、自分らしく生きてほしい、解決していってほしいと思います。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/01

