第15回ことば文学賞~あるがままに~
「スタタリングナウ」2013.1.20 NO.221 で紹介している第15回ことば文学賞の受賞作品を紹介します。
第15回を迎えたことば文学賞は、2012年秋の吃音ショートコースの「発表の広場」で、受賞式を行いました。作品が読み上げられるときは、文章を目で読むのとは違い、音声でその人の人生に触れ、想像力がかき立てられる、私たちにとって幸せな時間になります。
あるがままに
南泰成(会社員23歳)
私の人生は吃音の悩みが常につきまとっていた。
学生時代は、国語の時間の本読み、人前での発表、自己紹介、電話などことばを発しなくてはならないあらゆる場面が恐怖だった。それらの場面では、自分の言いたいことを言おうとしてもひどくどもって声が出ず、ひたすら口をパクパク動かして足掻くことが頻繁にあった。自分がどもったせいで沈黙が流れたときの周りの冷たい視線やクスクスと笑う声が苦痛でたまらなかった。どもっている自分の姿は、ものすごくかっこ悪いものだと感じた。
どもりたくない、他人に自分のどもっている姿を見られたくないという一心で、自然とどもりやすいことばを避け、似た意味を持つ別のことばに言い換えるようになっていた。しかし、自分の名前を名乗るときや国語の本読みなど、ことばを言い換えられない場面ではどうしようもなかった。どもったら馬鹿にされて周囲から嫌われる、どもりはいけないものだと思った私は、人と接する場面をなるべく避けるようになった。
どうして自分ひとりだけがまともにスラスラ話せないのだろうか。当たり前のことができないことが悔しくて仕方がなかった。自分の苦しみを分かってくれる人はいないだろうと、仲の良い友人にさえどもりを打ち明けることはできなかった。常に孤独を感じていた。もしどもりが治ればなんでもうまくいくに違いないと常に思っていた。
私の人生の中で最も辛かった経験は、大学3回生の冬頃から始めた就職活動だ。中学生の頃からあこがれていたプログラマーの仕事に就きたかった私は、主にIT企業の求人を中心に面接の応募をした。コンピューターが好きなことだけでなく、あまり人と接する機会が少ない仕事だと思っていたからだ。しかし、就職活動で人と話す場面は当然避けられない。プログラマーの仕事でもある程度のコミュニケーションスキルは必要であった。やはり吃音が大きな壁となった。
会社説明会や面接を受けるために企業を訪問し、企業の受付の前に置いてある受話器で名前や学校名を伝える場面が苦手だった。名前を言おうとしてもことばがすぐに出ず、ひたすら沈黙が続くことが何回もあった。時には、立ち往生している私が心配になって、面接担当者が受付まで来てくれたこともある。自分の名前すらろくに言えないことは採用選考において絶対にマイナス評価になるだろうとため息をつくばかりだった。
本番の面接や集団討論でもさんざんな結果であった。自分の人生が決まるかもしれない独特な緊張感が漂う空気のせいもあったのか、自己紹介や志望動機などを伝える場面ではほとんどまともに話すことができなかった。どもってはいけないと必死にことばを言い換えて話すことを試みたが、却って意味が伝わりにくくなってしまった。面接中にかかわらず、これ以上どもりたくない、早く帰りたいと思うことさえもあった。ほとんどの採用担当者が「緊張しないで、リラックスしてゆっくり話して下さい」と言うのだが、そんなことができる余裕はなかった。もちろん自分がどもりだとその場では決して言えなかった。
面接が終わった後の帰り道はいつもひどく落ち込んだ。何日もずっと落ち込み続けていたこともあった。「こんなにどもっていては社会人としては失格だ。就職なんてできるわけがない。どうして自分だけ吃音を持って生まれてきたのだろうか。このまま吃音が治らなかったら自分の人生はお先真っ暗だ」と自分自身を悲観し続けた。悔しさと情けなさでいっぱいだった。
当然のことながら、何度面接を受けても不採用が続いた。一次面接を通過したことすら一度もなかった。次第に面接に行くことに恐怖を感じた。面接の前夜はどもることが心配でほとんど寝られないこともあった。吃音を治したい、面接でどもらずにうまく話したいという一心で何度も自己紹介などの練習を繰り返したが、改善することはなかった。
結局、約40社以上の選考で不採用になり、大学4回生の秋頃には就職活動を辞めてしまった。
このまま継続していても時間の無駄だと思ったからだ。家に引きこもるようになった。
同級生が次々と就職していく中で、就職もせずに大学を卒業し無職になってしまった。このまま家に引きこもっていては何も始まらない。ここまで育ててくれた両親にも申し訳ない。なんとかして吃音を克服して就職したいと思った。そこで、以前インターネットで吃音のことを調べていて知っていた大阪吃音教室の例会へ参加することを決心した。2011年4月のことであった。
吃音教室に参加して、自分以外のどもる人に初めて会うことができた。世の中にこれだけたくさんのどもる人がいることに驚いた。自分と同じ悩みを持つ仲間にやっと出会えてうれしかった。皆自分と同じく吃音を持っているにも関わらず、どもることを気にせず、明るく笑顔で話す人ばかりだった。そして、ほとんどの人が社会人として、吃音とつきあいながらも立派に働いていることを知った。自分も早く仕事を探さなければいけないと思った。もっと早くここに来ていたらよかったと少し後悔したが、自分の吃音を見つめ直すことができる良いきっかけになったと希望がわいた。すぐに就職活動を再開することを決めた。
学生時代に新卒として就職できず、社会人未経験だったため、限られた企業にしか面接の応募はできなかったが、何ヶ月かかってもあきらめずにがんばってみようと決心した。もちろん少しでも吃音を改善したい、それがだめなら吃音を受け入れたいという思いから吃音教室へも通い続けた。
大阪吃音教室に何ヶ月も毎週通い続け、毎回違ういろいろなテーマの講座を受けていくうちに、少しずつだが、自分の吃音に対しての意識が変化したことを実感した。その中でも「森田療法に学ぶ」の講座は大きな感銘を受けた。森田療法の考え方が、吃音に絡めて説明され、不安や恐怖などの対処が体験を通して語られ、話し合っていく。吃音に置き換えれば、「自分がどもるという事実をあるがままに受け入れること」である。
私は今までどもる自分自身が嫌だった。どもることは恥ずべきことだと考え、必死にことばを言い換えてごまかしたり、人と接することから逃げたりするばかりであった。しかし、森田療法の講座を受けて、「吃音は決して悲観すべきものでも恥ずべきことでもない」、「吃音が治ることはないが、それを受け入れ、自信を持って堂々と話したらいい」と学んだ。この考え方にとても勇気づけられた。吃音の改善を目指すのではなく、吃音を受け入れていくことを決意した。
大阪吃音教室の森田療法の講座から数ヶ月が経過し、気がついたら吃音を少しずつ受け入れられていることを実感した。人前でどもることに対してもほとんど抵抗がなくなり、どもってもあまり落ち込むことも少なくなった。以前の自分ではあり得ないことだ。
その後の就職活動では、履歴書にあらかじめ自分がどもることを書いて面接官に伝えた。面接ではいくらひどくどもっても堂々と自分のことばで熱意をもって話すことを心がけた。それが功を奏したのか現在の会社に就職することができた。入社日の自己紹介では自分はどもることをどもりながらも隠さずに公表できた。幸い吃音を理解してくれる同僚らにも恵まれ、現在一人前のプログラマーになるため日々修行中である。
どもりを受け入れる前と後では症状は一切変化していないが、会話をすることが本当に楽になった。どもりを隠すことなく、堂々とどもることができる今の自分こそ本当の自分なのだと思う。
あのとき、大阪吃音教室へ通う決心ができて本当によかった。大阪吃音教室で学んだすべての講座とかけがえのない仲間に出会えたことは私の財産である。
どもりだからといってできないことは何ひとつないと思う。これからは、何事も逃げずチャレンジしたい。吃音と上手に共存し、あるがままの人生を歩むつもりだ。
〈選者コメント〉
「自分の人生には吃音の悩みが常につきまとっていた」の書き出しが決して大げさでないことに、作者の40社以上の就職活動の悪戦苦闘の臨場感ある語りによって、「そうだったんだろうな」と読者はうなずくことだろう。
近年の経済状況の中では、誰もの前に大きな壁となって立ちはだかる就職活動。どもる人にとっては、その壁がとてつもなく大きなものになるときもあろう。この大きな壁に一人で立ち向かっていた筆者の精神力の強さにまず驚く。いかに強くとも、限界がある。折れそうになったとき、タイミングよく、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの例会、大阪吃音教室に出会った。必要な時に、必要なものと出会うのは、幸運というより、その人の「生きる力」だ。同級生の就職が次々に決まっていく中で不安の日々を送りながら、両親に対して申し訳ないという気持ちが湧いてくる。なんとか仕事を探さなければいけないという、真面目で誠実で親思いの気持ちが、大阪吃音教室へと彼を向かわせたのだ。
大阪吃音教室は、ただどもる人が自分の体験を話し合うだけでなく、年間を通して、交流分析、論理療法、アサーティヴ・トレーニング、認知行動療法、サイコドラマなど様々なプログラムを持っている。毎週参加していれば、参加者はその中で自分にヒットし、ぴったりとくる講座に出会うものだ。それが彼にとっては、森田療法の講座だった。その森田療法を学んでから数ヶ月後、気がついたら吃音を少しずつ受け入れられていることを実感したという。大阪吃音教室に出会う前は、どんなにひどくどもっていても、自分が吃音だとは決して言えなかった。ところが、その後の就職活動では自分が吃音だと面接官に伝え、いくらひどくどもっても、堂々と自分のことばで熱意をもって話すことを心がけたという。そして彼は就職することができた。
どもりが治れば全てうまくいく、どもりがあるから自分はだめなんだと思っていた彼は、今、どもりだからといって、できないことは何ひとつないという確信を持ち始めている。苦しみの中でつかんだ、彼の新しく生きる覚悟に拍手を送りたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/16

