新たな吃音臨床への招待

 吃音講習会という名の研修会は、2001年の夏、岐阜大学で開催されました。故水町俊郎・愛媛大学教授と、廣島忍・岐阜大学教授と僕の3人が始めたものです。
 2001年8月1日、この日、岐阜は国内の最高気温を記録しました。おまけに岐阜大学のエアコンが故障し、会場はサウナ状態。その中で繰り広げられた熱心な討議。まさに、暑い、熱い研修会でした。そのシリーズは、大阪、岐阜、島根と4回続き、水町さんがお亡くなりになって途切れてしまいました。
 それから11年後、吃音講習会が復活しました。吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会が主催するシリーズ2の幕開けでした。
 今日は、その講習会の報告を紹介します。シリーズ1は、臨床家のための吃音講習会でしたが、シリーズ2は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会とました。その名にふさわしい、それぞれの立場の人が対等に議論する濃い時間となりました。
 「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218 より、会の熱気をそのままに持ちながらの臨場感あふれる報告をお届けします。

  新たな吃音臨床への招待―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」
                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
      坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

 吃音講習会は、北は青森から南は沖縄まで、事務局スタッフの予想を超える101名、ことばの教室の担当者58名、言語聴覚士20名、保護者6名、当事者10名、その他7名の申し込みがあった。盛りだくさんの講習会の報告は、私が講習会から受け取ったものの再構築だが、それが参加者各人の感じたこと、考えたことと共振し、新たな「語り」を生み出すための一助となれば幸いである。

なぜ、親、教師、言語聴覚士なのか

 言語関係図の提唱者、W・ジョンソンは「吃音問題には、それを構成するメンバーがいる」と、当事者の話し手、その言葉を聞く他者のもつ意識、本人の考え方も重要だと指摘した。今回、「親、教師、言語聴覚士のための」と題したのは、子どもの問題を構成するメンバーと、どもる子どもと向き合うとはどういうことかを一緒に考えたいとの思いからだ。また、この講習会の前身、2001年の「第1回臨床家のための吃音講習会」からの10年間で「吃音を生きることを大切にしたアプローチが少しずつ拡がる一方で、依然として吃音の改善が本人や保護者のニーズだと提案され、むしろ近年こうした流れが強まっている」との危機意識、問題意識を私たちが共有していたからでもある。
 本講習会を貫くキーワードはナラティヴ・アプローチである。ナラティヴ(Narrative=語り、物語)とは近年、人文・社会科学から医療、福祉の領域で注目されている。この考え方を導入することで、大阪吃音教室やことばの教室の実践をひとつの相の下に眺めることも可能となるだろう。この報告全体を通してこの考え方を明示したい。

基調提案「ナラティヴ・アプローチ的吃音臨床の提案」 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二さん

 21歳で民間の吃音矯正所・東京正生学院で言語訓練をした伊藤さんは、吃音が治らなかったが、人生の転機となる経験をした。ひとりで吃音に悩んでいた頃の伊藤さんの言葉は受け取り手のないモノローグ(独白)であったのだが、同じような悩み、体験をもつ人たちとの出会いの中で、ひとつの語りが次の語りを促しそれがさらに新たな語りを生み出していくというある意味祝祭的な場の中で、一緒に笑い泣き、共感してくれる他者の存在を発見した。自らの言葉が孤独なモノローグから他者とのダイアローグ(対話)へと変化することで悩みから解放されていくことを経験した。
 自分を語ること、他者の語りを聞くこと、その共振の中で新たな自己語りが、自分を語る物語が更新されていくというナラティヴ・アプローチの基本的な考え方を、ナラティヴという概念がこの世に提唱される以前に伊藤さんは、東京正生学院の日々の中で掴んだのだ。この経験が伊藤さんにどもりを治すことを諦めさせ、どもる人のセルプヘルプグループを設立させる力となり、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室の実践に至る、その後の伊藤さんの必然の半生をもたらしたと言えるだろう。
 「語り」は今年で23回目を迎えた吃音親子サマーキャンプの性格を一言で表現する言葉でもある。参加する子どもの多くは話し合いを楽しみにしている。二泊三日の中で90分の話し合いが2回と90分の作文教室がある。作文も文字を記すという表出行為、原稿用紙という形で見つめなおすことができるという意味で外在化を伴う自己内対話と考えれば、語りに位置づけることができるだろう。特に初参加の子どもの多くにとっては自分以外のどもる子どもと出会うのも話すのも初めてという驚きの体験の中での話し合いである。
 伊藤さんが紹介したのは宮城県女川町の阿部莉菜さんのエピソード。キャンプ初参加の小学校6年当時、彼女は同級生からの激しいからかいから不登校になったのだが、話し合いを通して彼女の表情は変化したという。この変化を促したのは彼女の話に最上の聞き方で向き合った仲間の存在である。「つらいね、うん、わかる」というような共感的な聞き方だったら、彼女のつらさはその瞬間は解消されたかも知れないが、逆につらいという感情が強化されてしまっただろう。しかし、彼女の話を聞く仲間はロ々にいろいろな角度からの質問や自分の意見、対処の仕方を重ねて、阿部さんの語りを豊かにしていく。彼らの聞き方は阿部さんの中に眠る、まだ言語化されていない経験や考えを開いていった。その過程で阿部さんはどもりをからかわれてつらいという自分に染み付いた物語、それは自分を縛っているドミナント・ストーリーの外に出るきっかけを掴むことができたのだろう。吃音の悩みやそれへの対処の仕方もいろいろ、からかいやいじめへのアプローチの仕方もいろいろある。そういえばどもりながらでもやり通した発表があったというような記憶も甦ったに違いない。ドミナント・ストーリーでは捉えきれない豊かな経験をナラティヴ・アプローチではユニークな結果というが、彼女はその経験を語り合う中で発見し、新たな自己語りを紡ぎ出し、オルタナティヴ・ストーリーを語っていくきっかけを得た。彼女がキャンプを通して「もう、どもりを治したいとは思わない」という地平に立て、阿部さんは2学期から登校を始めた。
 キャンプでの話し合いや劇の練習を通して子どもたちは吃音の日常、苦労をサバイバルする選択肢を得ていく。どもりから逃げるのではなくサバイバルすること、そのための生の技法を学ぶためのキャンプ、べてるの家流にいうなら「苦労をとり戻す」ためのキャンプなのである。伊藤さんはどもる子どもは弱い存在ではない、子どもには自分自身を支える力があると言う。阿部さんのエピソードがそれを証明している。
 その後、阿部さんは2回キャンプに参加し、昨春高校進学を迎えるはずだったが、2011年3月11日の東日本大震災による大津波で、新しい制服に袖を通すことなく、お母さんと一緒に帰らぬ人となった。
 私の知る限り伊藤さんは昨年と今年のキャンプの始まりとこの基調提案で阿部さんの話を紹介している。死者を悼むとはそのひとり一人の固有の生と死の物語を語っていくことだ。津波にさらわれた人たちはその固有の死を生き残った人たちに伝えることができなかった、また生き残ったものもそれを知るすべがないために語ることができない。だとしたら、せめてその生を語ることが死を悼むことなのだと思う。
 伊藤さんが話した中から、もうひとり伊藤由貴さんのエピソードを紹介したい。小学校4年から高校までキャンプに参加した彼女の吃音は目立たないものだったが、大学2年から一転してよくどもるようになった。しかし彼女は接客のアルバイトをし、キャンプにもスタッフとして参加した。激しくどもる姿はかつての彼女を知るものにとっては驚きだったが、彼女自身はその事態を落ち着いて受け止めていたという。それは彼女が長いキヤンプ歴の中でシャワーのようにいろいろな語りを聞き、バラエティに富んだ職に就いているどもるスタッフと接してきた中で吃音を自分の人生にどう意味づけるのかの自己概念が形成され、どもりとともに生きる覚悟ができていたから、「吃音は変化する」という事実を楽観をもって受け止めることができていたからである。私たちはこれこそ、吃音肯定の臨床のエビデンス(根拠)だと考える。
 吃音が薬を2、3錠飲めば治るようなものだったら吃音を否定し、治す、改善するという発想もありえるだろうが、楽石社から100年、言語訓練、コントロール以上のものはないといっていい。しかし、たとえどれほどコントロールできたとしても明日もコントロールできるという保障はない。コントロールすればするほど、「次は大丈夫か?どもったらどうしよう」という予期不安は充進していく。コントロールすることで悩みは大きくなる可能性もあるのだ。「この世の中にどもっていけない場面などどこにもない」と伊藤さんは喝破する。吃音をもっている人の誰もが悩んでいるわけではない。どもりながら豊かに人生を生きている人はいっぱいいる。吃音を言い訳や理由にして人生の課題から「逃げる」ことこそが悩みを深くする、それは治そうとすることの副作用なのである。
 ナラティヴ・アプローチの観点からいうと、吃音と吃音からくる影響は別問題として考察する必要がある。吃音臨床の本質は言語関係図のZ軸、吃音氷山の海面下の部分へのアプローチなのだ。大阪吃音教室の取り組みの比重もここにある。しかしそれは私たちが言葉や声の問題に無関心であることを意味しない。竹内敏晴さんから学んだ日本語の発声の基本や声を出す楽しさは伝えたいと考えるが、それは言語訓練とはおよそ別のものだ。
 吃音を治すことを諦めたところから伊藤さんの人生は新しい展開を迎えた。諦めるとは明らかに見るということだ。では、専門家といわれる言語聴覚士や教員は100年以上の吃音臨床の何を明らかに見ているのだろうか。そして、どもる子どもに何を伝えるべきなのか。選択権、決定権は子どもにあると伊藤さんは言う。情報を独占することは相手を支配することにつながる。問われているのは専門家としての姿勢であり、倫理なのである。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/12

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