ナラティヴ元年
「治る」「治す」という心地よいことばに振り回され、どれだけ多くの人が遠回りをしてきたことかと思います。今、僕は、これを「治まる(おさまる)」と呼びたいです。
僕たちができることは、「どもりながらも、したいことはできるよ」「吃音とともに豊かに生きる世界も悪くないよ」と、選択肢を示すことだけです。吃音否定のナラティヴから、吃音肯定のナラティヴへ、吃音の旅は続いています。
34回目を迎える吃音親子サマーキャンプが近づいてきました。子どもたちと一緒に、どんな世界を学ぶことができるか、とても楽しみに、準備をしています。
今日は、「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218 を紹介します。まず巻頭言からです。
ナラティヴ元年
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
今年のノーベル医学生理学賞を、iPS細胞を開発した、山中伸弥・京都大学教授が受賞した。難病を生き、再生医療や新薬を待ち望む人たちにとって、大きな希望だと報じられている。山中教授は受賞後のインタビューで、「患者さんの役に立ちたい」と言いつつも、「すぐに病気が治るという誤解を与えてしまう部分もあるかもしれないが、実際はやはり時間がかかる。しかし、それに向けて一生懸命がんばる」と語っていた。
安全性を謳い、人類を豊かに、幸せにするとした原子力発電の技術が、一瞬に多くの人々の幸せを奪い、人生を狂わせた。今回の開発が、新薬に結びついたとしても、副作用などの検討も含めて、きちんと研究を続けるという山中教授の発言に、誠実な人柄がにじみ出ていた。
吃音に悩んでいたことでも知られる、ノーベル賞受賞の先輩、江崎玲於奈さんが、山中さんとの電話対談で、「山中さんのような人間として素晴らしい人が受賞されたのを、大変うれしく思います」と自分のことのように喜んでいた。科学の業績に対して「人間性」をまず江崎さんが口にしたことの意味は深い。
難病の当事者や家族が、「難病が治る」可能性が生まれたことへの喜びや希望を語るのを聞き、「治る、治す」意味を考えた。
この夏、ある吃音の勉強会の懇親会の席で、批判ではないのかもしれないが、「伊藤さんが、吃音は治らないと主張するのは問題がある。吃音を治したいと治療に来ても、治らないと言われたら、その人の意欲が低下する」と、苦言を呈された。また、「伊藤さんは、吃音は治らない方がいいと言っているんでしょう」とも言われた。
「治らない」の主張はともかく、「吃音は治らない方がいい」とは私は言ったことがない。私のどの発言がこのような誤解は引き起こしたのか。
私は21歳まで、吃音に深く悩み、治ることばかりを夢見て、人生の課題からことごとく逃げた。吃音を治すことにこだわることで悩みを深めた。そのことに強く後悔した私は、「治す努力をするよりも、人として、したいこと、なすべきことにもっと努力をしよう」と決意した。さらに、精神医学、臨床心理学、社会心理学などから幅広く学び、大勢のどもる人々や、どもる子ども、保護者やことばの教室の教師との対話を繰り返し、私の決意が、他の人にも通じるかどうか、考え、検討し、実践してきた。それらをもとに、これまで「治す」という選択肢しかなかった吃音の世界に、「吃音と共に生きる」の選択肢を提案した。それが、どうして「治らない方がいいと言っている」に受け取られのか、よく考えても分からない。
個人的な話になるが、私はかなり重度の糖尿病で、合併症がほとんど出ており、命に向き合う入院も経験している。何種類もの薬は絶対に手放せない。一日1600kcalの食事制限、一日一万歩のウォーキングが欠かせない私の生活は、多少不便だが、私は決して不幸ではない。しかし、「糖尿病は治らない方がいい」なんてとても思えない。治るのなら治してほしい。iPS細胞の開発が新薬や治療につながり、難病に苦しむ人たちの病気が治るのなら、やはり治った方がいいと思う。
吃音は、吃音そのものが苦痛に直接結びつくことはない。吃音を否定的にとらえず、どもって生きる覚悟ができれば、吃音は治らずとも、改善されずとも、人は豊かに幸せに生きることができる。これは、世界中のたくさんの人々が、人生を通してすでに証明していることだ。
私たちは「治る、治らない」「治す、治さない」の二元論には立たない。「治るも良し、治らぬも良し」「どもるも良し、どもらぬも良し」と、治療法がなく、治り難いものに対して、現実的に向き合いたいと思っているだけだ。治すしかなかった吃音の世界に、ひとつの選択肢を提案しただけだ。
今夏の吃音講習会は、「治る、治らない」の二元論を超えたところに、豊かな世界があった。今、これまで支配的だった、吃音のネガティヴな語りに代えて、新しい物語を紡ぎ出す時期に来ている。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/11

