歴史は止まった
「スタタリング・ナウ」NO.213 で、世界最新といわれる吃音治療にたずさわった池上久美子さんの、北米の吃音治療事情についての報告を紹介しました。そして、もっと知りたい、聞きたいと思い、池上さんに、大阪吃音教室の講師をお願いしました。文章で読み、音声で聞くことができました。改めて、吃音の長い歴史を思いました。
まず、「スタタリング・ナウ」2012.6.20 NO.214 より、巻頭言を紹介します。
歴史は止まった
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
日本の吃音問題の歴史は、1903年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の校長、伊沢修二の楽石社に端を発している。創立6か月で200名、7年後には2000名の「全治者」を出した記念会を開いたと報告にある。(吃音問題の歴史―楽石社と言友会をめぐって―大阪教育大学紀要1974年)
以来、楽石社で治療を受けた教え子の松沢忠太などが、同じ手法か、類似の手法で、「民間吃音矯正所」と言われるものを東京、大阪などを中心に開所していった。さらに、それらの人々は、全国の地方の小学校の校舎を使って「吃音矯正会」を開いた。私も三重県津市で参加した経験がある。
それぞれの「民間吃音矯正所」は独自性を出して、画期的な手法などと宣伝をしていたが、ゆっくりの話し方が少し違うだけで、ほとんど同じだと言っていい。それらは、「吃音は必ず治る」と宣伝をした。また、新聞や雑誌、一般の人が目にする吃音の情報は「吃音は治せる」がすべてで、「吃音は治らない」の情報はゼロだった。
1965年夏、21歳の私は吃音は必ず治ると信じて、当時、歴史が古く、「民間吃音矯正所」の中で最大の東京正生学院に行った。梅田薫・医学博士の顔写真と、立派な建物の全景の写真が雑誌などによく掲載され、ここは信用ができると、子ども心に思い、行きたいと憧れていた。ところが、1か月の必死の努力にもかかわらず、私を含めて当時出会った300人の全員が治らなかった。
私は治すことをあきらめ、どもる人のセルフヘルプグループ、言友会を作ったのだった。
私はその後、調査のために訪れた、大阪スピーチクリニックで、講堂にかけてあった、クリニックの教訓を懐かしく見ていた。中学生2年生の夏買った、東京吃音学校の浜本正之著の『3週間で必ず全治する、ドモリの正しい治し方』に書いてあり、何度も読んで覚えていた教訓だ。
―まず態度 口を開いて 息すうて 母音をつけて 軽く言うこと―
これは、世界で最新と言われている、バリー・ギターの統合的アプローチの流暢性促進技法の4つ、弾力的発話速度、構音器官の軽い接触、軟起声、固有受容感覚とほとんど同じだ。
「ゆっくり、そっと、やわらかく」言うことで、どもらない話し方を身につけさせようとするこの技法は、日本ではすでに、1903年から行われ、日本全国で実践され、ほとんどの人が失敗してきたものだ。アメリカなどで、今重視されているエビデンス・べースドからすれば、この治療法は、すでに効果がないことが実証されている。当然ながら、日本の民間吃音矯正所のほとんどが廃業に追い込まれた。しかし、今、簡単に宣伝できるインターネットの出現で、新たに個人が開業をし、「治る・改善できる」と宣伝しているのは残念だ。
2004年、第7回オーストラリア世界大会に参加し、大学で実施する4週間コースで、徹底的にゆっくり話す訓練をしていることを聞いた。2006年には、コロンビア大学大学院に留学中の吉田裕子さんが「夏期吃音集中セラピー」を報告して下さった。そして今回、前号の『スタタリング・ナウ』で、北米の吃音治療事情について、池上久美子さんが書いて下さったのを読み、もっと詳しく知りたいと、どもる人のセルフヘルプグループの例会、大阪吃音教室でお話していただいた。
15年も数百万円を使い「吃音治す、コントロールする」に明け暮れた青年の体験には胸が痛んだ。100年以上、吃音に悩む多くの人が繰り返し、失敗してきた教訓が何一つ生かされていないからだ。吃音の問題は、100年以上時間が止まったままのように思えた。脳科学、遺伝子工学などで、吃音の原因やメカニズムの解明には力を注ぐ一方で、吃音に悩む人の人生について、ほとんど顧みられることのない諸外国の吃音臨床に、怒りにも似たむなしさを覚えた。
私は40年以上、「吃音と共に生きる」を提案し、大阪吃音教室では様々な実践をしている。参加者が「大阪でよかった」と、口々に感想を言っていたのが印象的だった。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/21

