事実と意味づけ 2

 昨日のつづきです。昨日、紹介した梶田叡一さんの話の中で、前置きとして話しておきたかったと言って話された、下記の内容が印象に残ります。

 「子育て一般について言えることですが、何でも自分のことは自分で考え、自分で決定し、自分でする。つまり、人を当てにしないように育てないといけないと思います」

 最近の吃音を取り巻く風潮の合理的配慮を求める姿勢とは違います。たとえ、配慮されなくても、理解されなくても、自分の力で生き抜いていく子どもに育てたいと僕は思います。そのための、自己概念教育なのです。
 また、今、年に一度大阪吃音教室に来ていただいている禅の老師・櫛谷宗則さんの師匠にあたる内山興正老師が師事していた沢木興道老師のお名前が出てきたことにも不思議なご縁を感じます。
 
第4回臨床家のための吃音講習会・島根  2004.8.7
  事実と意味づけ 2
           梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)・特別記念講演
私の経験
 私は、大学4年生から、自活し、大学院の修士課程では、2つの学校で非常勤講師、塾の講師、家庭教師をし、就職した人の3倍くらいの収入がありました。若いときから、自分が食べていくことには非常なこだわりがあります。生活に困ったのは、東京の国立教育研究所で国際比較の若手として仕事をした時の数年くらいで、後は自分の暮らしのことで心配したことはない。どうやっても食べていける。私は、贅沢な食事は嫌いで、ローソンンがあればいい。みなさん、牛肉の輸入が切れてからの外食産業、どこがうまいか、知ってますか? 吉野家もいいけど、私は、あんまり好きじゃない。やっぱり松屋、中卯です。私は女子大学の学長ですから、つき合いの席も少なくない。しかし、おいしいものをつき合いで毎日続けたらほとんど体を壊します。
 私は、恩師も先輩もいません。恩師や先輩が仕事を回してくれる大学の世界では、それでは生き残れません。私は、学部も大学院も、自慢じゃないがほとんど講義には出てないし、卒論も修論も、結局は1年後輩たちが集まって手伝ってくれました。私がこだわった自己意識の問題は、当時、心理学じゃないと言われましたが、私の『自己意識と心理学』(1980年、東京大学出版会)はラッキーなことに、ちゃんとした自己意識の本がなかったから売れました。当時から私は、大学で、自信が背広を着て歩いているとよく言われ、生きていく自信だけはあった。何も根拠のない自信ですが、今でも、私は今すぐ職場をクビになっても、どうやってでも食べていける自信はある。そういうふうに思うと、いろんな細かいことって、「まあいいか」、になる。
 私が博士号をもらったのもそうです。学会の雑誌に投稿するときは指導教官に見てもらうものだそうですが、私はそれを知らず、勝手に自分で書いて出したら、なんとか3回掲載され、内規で博士号の授与の対象となりました。博士論文の諮問のときには、心理学と哲学と社会学の3人の教授がいて、中味が分かる人はいなかった。私もちょっとずるいところがあって、まともに質問に答えていたらぼろが出ますから、「はい、それは本当に大事な問題だと思います。こういう機会をお借りして勉強したいと思います。哲学ではどうなってますでしょうか。社会学ではどうなってますでしょうか」と尋ね、諮問なのに、教授3人で議論して、終わった。これも、今から考えると、自信のもとなんです。どうやっても切り抜けられる。世の中ってその程度のもの、ということです。これが意味づけの問題です。

引きこもった時代
 私は、飲み込みが悪く、大学のどの講義を聞いても全然分からず、1年間ほとんど学校に行かなかった時がありました。私は小さいときから、人の話をじっくり聞いて理解する能力がかなり劣っていました。高校のとき一人の数学の先生から「俺の時間は出てこなくていい」と言われました。一所懸命話しても、ぼけーっとしてる私に腹が立ったのでしょう。私は、自分で教科書を読んでマイペースで勉強すると分かる。ある時期、他の子はみんな分かるのに、なんで俺は分からんのかにこだわったことがあります。特に大学に行ったら何も分かりません。今で言う不登校で、大学の1年間、学校に行かず、引きこもりをしていたら、活字が読めなくなりました。活字は読めない、音楽を聞いても映画を見てもダメ、人ともほとんど話はできない。何をやっても無味乾燥でした。一種、なんか病気になったんでしょうね。汚い下宿にごろごろしていてもしょうがないから、お弁当を作ってもらって、毎日一番安い映画館をはしごしていました。映画もおもしろくないが、時間つぶしにはなる。3本立だと出てくるともう夕方になってる。そういう生活をしながら、ときどき、こんなことしていたら、世の中に出ていけなくなって、今のことばで言えば、ホームレスになるだろうなと思ったことはあります。かなり長いこと思っていました。でも、結局、私はひとりでそこから抜け出しました。ひとりでというか、ひとりの禅宗のお坊さんとの出会いがあったのです。

人との出会い
 乞食興道とも呼ばれていた方で、京都の破れ寺で座禅の会を作られた禅宗のお坊さんです。亡くなられる3、4年前、私を心配した友だちが連れていってくれました。泊まり込みで、朝早くから座禅をして、老師を囲んでお茶を飲むという生活です。一生、家庭も寺も持たず、一生色物の衣を着ず、檀家ももたず、結局弟子も持たずでした。でも、押しかけ弟子がいっぱいおりました。その人が、よく、「座禅をして何になるか?」と私たちに尋ねます。何も言わないで待っていると、こうおっしゃる。
 「座禅をしたら、腹ができるとか、いい学習になるとか言うが、あれは、みんなうそだ。座禅をしても、何にもならない。一生かけてやってきたから、よう分かる。だから、やれ。あんたらは、何かになるということばっかり思って、いろんなことをやっているだろう。これをしたらこうなる、などというもくろみがあるうちは、だめだ。何にもならんことをただ何にもならん形でやる、ということだ。それで食えんようになったらどうするか。簡単だ。餓死すりゃええ。餓死して、たとえば30歳で死んだって、50歳で死んだって、あるいは70歳まで生きたって、別にどうってことないだろう」
 そう言われれば確かにそうです。本を読もうと思って読もうとするからいかん、本を読めないのもまたおもしろい経験だ。映画も、なんちゅうことはない。でも、なんちゅうことがあると思って見るのが間違いだというんです。音楽もそうです。
 私は沢木興道老師の話で、ずいぶんふっきれた面があります。亡くなられた後で聞いたのですが、亡くなられて、その破れ寺に、勝手に、ご縁のある人が来て、その中には、時の首相も財界の大物もいたそうですが、30分でも1時間でも座禅して帰る変わった葬式だったそうです。えらい人だったと、後で知りました。世の中、そのときは、分からなくて、後になってその価値が分かることはいっぱいあります。
 「何かのために、やらなければと思うから、あせりがでる。最後は死ぬ。そうなったら死んだらいい。30年生きようが、50年生きようが、70年生きようが、一生は一生」
 こう言われたらなんとなく反論できなくなりました。私はそれが一番大きな転機になって、非常に強くなったと思います。どうやっても生きていけると思えるようになったのは、この禅僧と出会ったからだろうと思うんです。
 私も、自分のいろんな弱さ、まずさ、いいかげんさをなんとかしなきゃ、社会的にきちっとした位置づけをしてもらえない。これが頭にこびりつき、こだわった時期がありました。その後は、全部、すすすっといきました。大阪大学、京都大学、京都ノートルダム女子大学に行ったときも、私を世話してくれたのは、みんな他の分野の先生です。一所懸命準備して、条件を整えて世の中に乗り出していくのもいいことですが、世の中はそのようにはできてません。穴がいっぱいあるというのが私の実感です。一所懸命になりすぎちゃいけない。全て「まあいいか」とやってると、向こうからいろんなおもしろい話が飛び込んでくる。
 まじめに考えるのもいいが、私はあえて言います。教育関係者は、結局自分で自分をみんながんじがらめにしている。私は、「まあいいか」でいくわけです。「まあいいか」でいっていりゃ、なんとかなる。ただ、その底には、自信がいります。どんなに状況がまずくなっても、なんとかやっていけるという自信さえあればできるんです。私はありがたいことに、根拠のないことですが、自信にだけは恵まれました。

こだわり
 まじめすぎるとこだわりがでてきます。私もこだわりが全くないと言えばウソになりますが、世間的なことではこだわりはほんとになくなりました。子どもたちの進学や就職や結婚などについては心配はいっぱいありました。私は、自分のことはどうやってもやれると思ったが、親というのは全然違いますね。息子本人はどうにかなると思っていても、親は心配で心配で仕方ない。
 私は風采があがらない方でした。ある時期、みんなガールフレンドがいるのに、なんで私にはいないのかと思ったことはあります。風采があがらない、女の子とのつきあいがないのは事実です。私にはガールフレンドがいたためしがない。よくうちの奥さんが、「私が結婚してあげなかったら、あなたは一生結婚できなかったわよ」といばって言います。私は、事実として、もてない。でも、そのうちに、「まあいいか」と思うようになりました。
 事実の問題で一所懸命やりすぎるきまじめさが、私は教育の場面にありすぎるんじゃないかと思います。やはり意味づけをどうするかですが、伊藤さんが論理療法について書いておられる話です。こだわり、感情的な固着、感情的にそのことにこだわってしまう。それからどう抜け出していくかを教育としては考えていかなくてはいけない。事実はどうでもいいと言っているわけじゃない。事実が改善されるようなことがあれば、それはそれでいい。意味づけとこだわりをどうするかについて、もう少し原理的なところから、お話します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/08

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