吃音の問題と展望~第1回吃音問題研究国際大会でのグレゴリー博士の基調講演 3 ~

 1986年夏、京都で開いた第1回吃音問題研究国際大会でのヒューゴー・グレゴリー博士の基調講演のつづきです。今日で最後です。
 治療室の中で流暢性が得られたとしても、それを日常生活に生かすことの難しいことを強調しています。それは、どのような治療法でも同じことです。だったら、なぜ日常生活を治療の場にしてしまわないのか。日常生活で、どんどんどもっていくことを奨励しないのか。その方向転換をしないのか、僕には不思議でなりません。いまだに、治療室での治療をアメリカ言語病理学は手放せないのです。
 国際大会の20年前の1965年夏、僕は民間吃音矯正所、東京正生学院の合宿生活の30日間の合宿生活の3日目、そのことに気づきました。「どもらずに流暢に話す」も「流暢にどもる」も訓練で決して身につくものではないと確信しました。だから「吃音を完全に治す」も「少しでも改善する」も諦めた僕は、東京正生学院の「どもらずに話す」を身につける方法に逆らって、これまでと同じように「どもって、どもって、どもり倒してやろう」と決心しました。睡眠時間以外の全ての時間をどもることに使えるのですから、30日間の東京正生学院での寮生活はありがたいことでした。おまけに仲間がいるのです。毎日が楽しくて楽しくて、お祭り騒ぎのように「どもり倒す」生活を送れました。おかげで、これまの「どもれない身体」から「どもれる身体」に変わりました。あんなに苦しかった、どもりが治らないと僕の将来はない、絶対に治さなければならないと思い詰めていたのがウソのようです。
 家がとても貧しくて、新聞配達店に住み込んで始まった大学生活。新聞配達以外はできないと思い込んでいたのが、30日間の寮生活中に安いアパートを借りて、東京正生学院を退所してからは、ありとあらゆるアルバイトをしました。どんなに苦しくても30日間は我慢しました。そのアルバイト生活の中で、どもっていても、どんな仕事にも就けると確信しました。
 そして、その秋、グレゴリー博士がふれている、セルフヘルプグループ、言友会を創立したのです。その後も僕たちはどんどん進化しています。ところが、アメリカ言語病理学はいつまでも変わらないままです。どうしてなんだろうと、いつも不思議でなりません。
 その後、僕が、グレゴリー博士のように、世界大会で基調講演をするようになるとは、この第1回の世界大会を開いたときには思いもしませんでした。
 自分のことを書いた文章の後ですが、グレゴリー博士の講演の最後の章を紹介します。

吃音の問題と展望
     ノースウェスタン大学 ヒューゴー・H・グレゴリー(アメリカ)

4 吃音に取り組むにあたっての諸注意
*易から難へ
 吃音の治療における大きな課題に、キャリオーバーがあります。治療機関で一旦変化させたものを徐々に実生活に移していくことです。治療機関において話し方を変えることはそれほど難しいことではないのですが、それを日常の生活の場に移すというのは、大変難しいことです。このキャリオーバーを果たすのに、重要なことがあります。それはまず、易しい場面から経験し、徐々に難しい場面に移すプロセスを踏むことです。話しやすい場面や状況から徐々に難しい場面へと移っていく計画を立てます。まず易しい場面を設定し、ロールプレイをし、十分に準備してから、現実の場に出ていきます。難しい場合は、初めは治療者と一緒に、またはセルフヘルプグループの仲間と一緒に、最後は独りでも出ていけるようにします。この段階を経ないで、つまり中間のプロセスをとばして一気に難しい状況に臨みますと、おそらく失敗してしまうでしょう。成功の確率が高いようにプランを立てる必要があります。
 このように易から難へと徐々に取り組みますと、これまでできそうにないと思っていたこともやればできるようになってきます。私も以前なら尻込みしていた公けの場で思い切って演説をしてみました。予想どおり、どもりました。しかし、どもりながらもとにかくやり終えることができました。このように自分にとって非常に難しい状況の中で話すことができますと、かつて難しかったことが易しくなってきます。公けの場でどもりながらも演説ができたことによって、相手が2~3人のときの会話、クラスでの発表などがずいぶんと簡単にできるようになりました。そして、そのうちに大勢の人の前で立って話すこともできるようになったのです。

*最初は集中的に取り組む
 恐怖の感情を伴う、吃音のような問題を扱うのは大変難しいことです。しかし、私たちがそのような問題を持っていても、現実の自分を変えたり、より良く生きたいと思うなら、そのために行動を起こさなくてはなりません。できれば、ことばの専門家の手助けを受けるのが望ましいでしょうが、自分ひとりでもできます。
 恐怖や不安をもった行動を十分変化させるには、最初はかなり集中的な取り組みが必要です。しかし、集中的にプログラムに取り組んだとしても、それで終わりということではありません。そこで放置してしまいますと、あまり効果は期待できません。たとえば専門機関などでの非常に集中度の高い訓練期間があって、その次に集中度が少し下がって、そして最後の頃にはほんの少しという形に移行させていきます。そして、治療期間中に変化させた行動や態度を安定、持続させることが大切です。会話というのは、その人の全人格と切っても切り離せないものです。話し方を変えているときには、私たち自身を変えているのだということができるでしょう。この変化を自分自身に完全に取り組むには非常に長い時間がかかります。あせりは禁物です。

*治療者の選び方
 吃音の治療は、言語だけに限ることはできません。人間に対する取り組みでなくてはなりません。人間の問題、その人の感情など、全体として扱わなければなりません。ですからその人の感情、考え方を十分に理解し、それに対する処置を考えなければなりません。言語面だけに注意を集中しますと、その人への注意や関心がおろそかになってしまいます。吃音に悩む人は、自分に対する人間としての関心、理解を示してくれる人を有難いと思います。しかし、吃音の症状には関心を示しても人間的な関心を持ってくれる人はあまり多くいません。もし、治療者と一緒に吃音と取り組む場合には、治療者には、そういう人間的な関心を持つ人を選ぶ必要があります。
 他の諸外国と比較して、アメリカにはスピーチセラピストが大勢いますので、治療者の選び方も重要な問題になってきます。シカゴ等大都市圏の吃る人のセルフヘルプ・グループでの話し合いで、この点はよく論議されます。そこで、どのような治療者がよいか、話してみましょう。
 吃症状のみに注意や関心を示さない人を選ぶことが大前提で、次には、以下のようなことがポイントとなるでしょう。
・吃音のケースをたくさん扱っている人
・独自のプログラムを開発するだけの意欲がある人
・自己教育の機会に、積極的に、継続的に参加する意欲のある人
 たとえば、このような吃音の国際大会やワークショップなどに参加し、絶えず努力して吃音問題に対する理解を深めようとしているような治療者を選ぶべきです。

5 セルフヘルプグループ
 私は、この講演の初めに、学童にとっても成人にとっても、「自分の吃音は自分が責任を持って取り組む」という自助努力が、最終的に最も重要なことだと述べました。つまり、私の知識、また経験をもとにしてあなたにアドバイスすることはできます。しかし、治療の本当に大変なところはあなたの手の中にあります。あなたの肩にかかっているのです。さらに大切なことは、治療機関での治療が終わってから、それを実生活に移していくための活動が必要だということです。
 セルフヘルプグループは、この活動、つまり吃音者が治療機関から現実の日常生活の様々な場面に移していくことに対して援助し、さらに自分が自分自身の吃音問題解決への取り組みに責任を持つということを絶えず指摘していくものでなければなりません。私自身も、このようなセルフヘルプグループに所属していたことがあります。私は、セルフヘルプグループは、このように専門家のもとでの治療という形態から自分自身が自分の治療者になるという移行を実現するのに大きな助けになると思います。
 私は、現状では、セルフヘルプグループに、専門家が助言者として一緒に参加する方がよいと思っています。吃音に悩む人が抱えている問題を明らかにし、それに対処していくためには専門家の力が必要だと思うからです。しかし、セルフヘルプグループがどんどん増え、自分たちで問題を解決していく力をつけていけば、専門家の役割は減らしていくことができるでしょう。(「スタタリング・ナウ」2005.2.20 NO.126 より)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/16

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