私の長所はどもりです

 「就職の面接をどもらずに乗り越えたい、なんとかならないか」
 就職面接を控えた人からの電話相談を受けることがあります。就職面接は、人生の中で大きなことなので、なんとかどもらずにやり過ごしたいという気持ちは分からないわけではありません。でも、面接だけどもらずに通過したとしても、それからの長い仕事生活の中で、どもらないで生活できるはずもありません。そんな電話相談に、僕は、面接では自分のことを知ってもらうのが一番なのだから、どもっている自分を見てもらうことが大事なのではないかと返します。そうですねと言う人もいるけれど、納得できずに電話を切る人もいます。
 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 では、もう一歩踏み込んで、履歴書の長所欄に「私の長所はどもりです」と書いてはどうかと提案しています。それは、僕の個人的な意見だけではなく、どもる人たちとのワークショップで実際に出会った二人の女性の体験を聞いて、考えたことでした。
 自分の吃音のことを「特別感がある」と表現した小学5年生もいました。
 また、日本吃音臨床研究会のホームページの動画のコーナーで、吃音と就職について、様々な質問に答えています。よかったら、のぞいてください。
 「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 の巻頭言「私の長所はどもりです」を紹介します。

  私の長所はどもりです
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「私はどもります」と履歴書に書いた方がいいか、書かない方がいいか、今年高校を卒業した安野君が大阪吃音教室でどもりながらみんなに尋ねた。「君くらいどもっていたら、わざわざ書かなくても面接者はすぐに分かるよ」という外野の冷やかしもあったが、これまでひどくどもっていたときに無視されたり、誤解されたりした経験から、履歴書に書きたい気持ちはよく分かるので、「長所の欄があって、そこに書くのなら賛成だなあ」と冗談ではなく、私は本気で答えていた。
 どもりに悩み、真剣に自分について考える。ひとつのことにしっかりと悩み、考えてきたことは、その人にとって実績だ。また、悩みの中からわき上がってくる、サバイバルとしての工夫や努力は、その後の人生に大きな長所になりうると思うからだ。
 先日、東京スタタリングネットワークが企画した一泊二日のワークショップに行ってきた。その中でも、ひとりの女性から就職活動の中で履歴書にどもりのことを書くかどうかの話が出された。そのことをきっかけに、吃音のプラスの面について話し合ったが、二人の女性の話がおもしろかった。
 ひとりは、どもりは絶対に面接で有利だと言った。面接のときには、流暢にしゃべる人よりも、面接者は彼女のどもりながら、必死に話す真剣さに引き込まれてしまうのだと言う。それが一度や二度の経験ではないとの話に、私はうれしくなった。
 もうひとりの女性は、販売の仕事にどもりは有利だと言った。そして、やはり面接試験でかなりどもっていても、「あなたの笑顔がとても素敵ですね」と言われて、ほとんどの面接試験で合格するのだと言う。彼女は子どもの頃、消極的で、問いかけられても、いつもにこにこしているしかなかった。その、子どもの頃にはやむなくだったかもしれない笑顔がその人のからだに沁みていき、素敵な笑顔が財産となった。どもるからつい話を聞くことの方が多くなり、お客の好みに誠実に向き合う。一度来た人の好みをよく覚えており、驚かれ、喜ばれると言う。吃音に悩んできたからこそ、人に優しく、そして思いやりが人一倍ある人になったのだろう。
 ワークショップの翌日、東京・八王子市の第六小学校で、どもる子どもと保護者と、ことばの教室の担当者との懇談会に呼ばれていた。子どもとの話し合いの時間に、「どもりでよかったことは何ですか」と質問を受けた。子どもとの話し合いなので、「世界のどもる人と友だちとなったことかな」と答えたが、親との懇談会では早速前日に会った女性の話をしていた。
 高度経済成長期の時代には強さやたくましさが必要とされたかもしれない。しかし、バブルが弾け、マイナス成長になった今は、弱さはマイナスではない。優しさ、思いやりの時代がきたのだとと思う。老人介護や障害福祉関係の職場は、以前よりは格段に広がっている。また、教育の世界でも子どもを威圧する強い教師の時代は去った。
 私が吃音親子サマーキャンプなどで出会うたくさんのどもる子どもたちは、ときにいじめられ、からかわれ、他人と違うことによって悩む。その悩みの中から、子どもたちはやさしく、思いやりのある子どもに育っている。この子どもたちが、福祉関係の仕事、販売、接客等のサービスなどの仕事につくと、いい仕事をするだろうなあと思う。
 小学校2年のとき吃音に悩み始めてから私は何事に対しても消極的だった。何かに挑戦するという薪(まき)が手つかずのまま残っていたのだろうか。どもりが治ることをあきらめた後の私は挑戦者になっていた。1965年、日本で初めてセルフヘルプグループを作る。1986年、世界で初めて国際大会を開く。1975年、全国吃音巡回相談会で35都道府県に出掛けるという今では考えられないことに挑戦できたのも、吃音に深く悩んだできたからだろう。
 吃音はプラスの面があると言い切った二人の素敵な女性も私も、最初から吃音をプラスと思ったわけではない。吃音は治らないとあきらめ、どもる事実を認めたとき、これまでマイナスだったことが一気にプラスに変わっていく。オセロゲームの黒いコマが一瞬のうちに白に裏返っていくように。
 私の長所はどもりですと言う人が増えれは、どもる人や子どもは随分生きやすくなることだろう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/09

Follow me!