どもる少年を描く~映画『ラストからはじまる』~2

 昨日のつづきです。田中監督が書かれたストーリーの骨子を読みながら、映画のシーンを思い出していました。松原市の中学校での撮影にも同行しました。どもる少年役の男の子が素直に僕の意見を聞いてくれ、上手にどもるようになっていくのがおもしろかったです。
 人と違っていることを恐れていた少年たちが違いを認め合うことからすべてがはじまることを知る物語だと、監督が映画で描きたかったことを表しています。僕がいつも思っていることと重なります。

吃音の少年を描く~映画『ラストからはじまる』制作をめぐって~
                 映像作家 田中幸夫(兵庫県芦屋市出身)
                      風楽創作事務所主宰

 『ラストからはじまる』は、人と違っていることを恐れていた少年たちが違いを認め合うことからすべてがはじまることを知る物語だ。少し長くなるが、シープシス(ストーリーの骨子)を書く。

〈光一の世界〉
 吃音に悩む光一(中3)は今日も自宅のパソコンに向かう。デジタルカメラで撮影した野良猫の写真をホームページで公開しているのだ。
〈3年A組〉
 この日も遅刻した和馬(中3)。吃音のことを冗談まじりに言われて以来、光一は和馬が苦手だ。
〈屋上での出会い〉
 放課後の廊下で、光一は女子生徒が落とした猫のマスコットを拾った。声をかけられないまま後を追ううちに、上がることが禁止されている屋上へ出た。「ここに来るとスカッとするの」C組の友恵(中3)との初めての出会いだった。屋上から見る街の風景は新鮮だった。光一は夕陽に映える鉄塔を眺めながら、今度はあの辺りに野良猫を撮りに行こうと思った。
〈鉄塔のある街〉
 路地の一角で野良猫を撮っていた光一は不審者と間違えられる。うまく説明できない光一を救ったのは、出前帰りの友恵だった。友恵は、父母が営む食堂へ光一を連れて行った。光一のカメラは常連客の興味の的となった。「デ、デ、デジタル、カ、カメラです」これまで光一がことばを発すると、いつも周りの空気が凍り付いた。しかし、ここでは違った。「兄ちゃん、どもっとるがな」屈託のない一言が返ってきただけだった。客たちは光一のカメラで互いを撮り合った。帰宅した光一はパソコンの画面に大きく映しだされた弾ける笑顔をいつまでも見ていた。
〈それぞれの心〉
 登校途中の光一の前に和馬がいきなり現れた。
 「なんで、じいちゃん、撮ったんや!!」ただならぬ様子を見て友恵が割って入った。放課後の屋上に3人の姿があった。光一は和馬と友恵が同和地区に暮らしていることをこのとき初めて知った。
 「文化祭には絶対出すなよ!」光一と和馬がなぐり合いを始めた。友恵は叫んだ。「憎いからケンカするの?悲しいからケンカするの?」友恵は屋上へ行くきっかけとなった理不尽な失恋のことを語った。「しんどいこと抱えてるんよ、みんな」
〈亡き母の靴型〉
 和馬は写真を撮らせた辰造を責めた。「カッコエエ言うてくれたんや」きょとんとする和馬に、辰造は12年前から始めた身障者用の靴づくりについて語り出した。「きっかけはお前の母ちゃんや」
 辰造は踵のない靴型をとり出し、和馬に手渡した。
 「うれしそうな顔してたなあ。あの時ほどこの仕事してて良かったと思ったことない」和馬は母の名が記された踵のない靴型を見つめ続けた。
〈写真部〉
 週に一度のミーティング。顧問の山田教諭は、文化祭に出品する写真のテーマを光一たちに告げた。いきいきとした人々、アドバイザーとして出席したプロカメラマン白井は、熱っぽく語った。「写真というのは、撮る人と撮られる人との関係まで写ってしまうものなんです」光一には理解できなかったが、その言葉は強く印象に残った。
〈手づくりの靴〉
 光一はプリントした写真を手に、友恵の食堂を訪れた。ここで、光一は友恵から和馬の祖父、辰造(67歳)を紹介された。辰造は進学か就職か定まらない和馬が心配だと言った。辰造は食堂の裏手にある自宅へ光一を連れて行った。軒先には手づくりの靴の店の看板があった。「もう60年やってんねんで」中には身障者用の木製の靴型が所狭しと並べられていた。辰造が一人ひとりの足に合わせて作ったものだ。「靴型のことをワシらはラストと言うんや」訪れる客に温かい笑顔で接する辰造。できあがった靴を履いて喜ぶ客。その様子を見ながら、光一は初めて人を撮りたいと感じていた。「と、と、撮ってもいいですか?」辰造は、光一の申し出を快く受け入れた。
〈終わりなきはじまり〉
 文化祭前日。準備が進む校内に光一の姿はない。
 写真部では光一だけが出品していなかった。友恵からそれを聞いた和馬の気持ちは複雑だった。和馬が帰宅すると、写真を見る辰造と光一がいた。
 和馬は母の靴型を光一に差し出した。「これも撮ってくれ」文化祭当日、写真部のコーナーで、一際目を引いたのは、辰造の写真の横に展示された『ラスト』とタイトルのつけられた作品だった。そこにはひとつとして同じものがない様々な靴型が写っていた。「なんや、コレ?」首を捻る山田教諭、プロカメラマン白井はただじっと見つめていた。
 屋上に、光一、和馬、友恵の姿があった。3人には目の前に広がるパノラマの街が今までと少し違って見えた。…終わり…

 私がこの映画で最も留意したのは主人公たちの気づきのプロセスをいかにリアルに自然な展開で積み上げ綿密に描き出していくかということだった。
 固定観念やステレオタイプによる偏見や差別意識が多くの出会いの機会を奪い、それが人間の成長をどれだけ妨げているか―。主人公である吃音の少年も例外ではない。吃音によって人との関係を閉ざしている光一を現代の若者の象徴として描いたつもりである。閉から開、さらに少しばかりのアクションヘ―。光一のキャラクターを含めキャスティングには大変苦労した。オーディションも60人に及んだが、イメージに合う少年はなかなか見つからなかった。ようやくめぐり会えた少年は、演技経験が全くない中学2年生だった。
 しかし、私はその子に賭けてみることにした。少年は力いっぱいのがんばりを見せてくれた。学校のシーンの撮影にアドバイザーとしてやってきた伊藤さん日く「あの子、完壁にどもりを演じています。バッチリです!」私だけでなく、スタッフ一同、そのことばにどれだけ勇気づけられたか。
 さらに「唄うときにはなんでどもらへんの?」「ぼくはカ行とタ行が苦手や」等々、吃音への理解を深めるせりふについての的確なアドバイスを含め、伊藤さんには本当に深謝の一言では言い表せない思いである。
 映画は3月に完成し、試写会が行われた。その席で私は原作者の小阪田さんと初めて顔を合わせた。小阪田さんは吃音だった。映画の感想をうれしそうな顔をして大きな声で盛大にどもりながら熱っぽく話してくれた。感激した。さらに小阪田さんは言った。母親が映画化を喜び、その完成を心待ちにしていたこと、しかし、去年の暮れに亡くなったこと、だから完成ビデオを霊前に供えたいと思っていること。小阪田さんの一言一言には、朴訥とした、しかし温かい人柄が滲み出ていた。
 私は素直に、この原作を映画化してよかったと心から思った。映画づくりは、まさに人との出会いである。

 『ラストからはじまる』は、3月下旬と夏休みにテレビ放映される。大阪市の図書館など公共施設での貸し出しもあると聞いている。機会があれば、ぜひご高覧いただきたい。

 編集後記
 日曜日の朝6時、テレビ大阪が映る所に住んでいる人、と限られた条件の中でした。知っていたけど、見逃したという方も多かったようです。映画の最後のスタッフ紹介のところに〈吃音指導 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二〉とあるのを見つけたときは、なんだかうれしくなりました。さあ、季節は春。新しい何かが始まる予感がします。ご一緒に!!  (『スタタリング・ナウ』NO.103 2003.3.21)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/10

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