新しい年を迎えて

 新しい年を迎えました。
子どもの頃からあまのじゃくで、「明けましておめでとうございます」が言えない子どもでした。吃音に深く悩んでいた僕にとって、新年は、新しい学年が近づいてくる不安の前触れでした。学年が変わってからの自己紹介がずっと頭から離れることはありませんでした。今でも、「いとうしんじ」は発音が苦手な最右翼です。
 年を重ねるにつれて、「何がめでたいねん」と大阪弁で突っ込みたくなるような日々の連続です。世界の、日本の様々な分野でさみだれのように起こってる地球崩壊、世界秩序の崩壊、日本政治の崩壊、そして「人」としての道徳崩壊(アベ政治のいう道徳ではありません)、人間の劣化、その渦の中に巻き込まれないようにと、必死でもがいているのが、今の僕の状態です。なので、「おめでとう」は、長い間、決して言うことができないでいます。
 
 年が明け、そんなことを考えていたとき、正月気分が吹き飛ぶような大きなニュースが2つも飛び込んできました。石川県・能登地方を中心とした大地震、羽田空港での航空機同士による火災事故。石川県には知り合いも多いし、羽田空港はしょっちゅう利用しています。身近な場所での大きな災害に驚き、心が痛みます。皆さんのご無事を祈っています。

 さて、昨年は、仲間と一緒に、「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」、「吃音親子サマーキャンプ」をはじめ、いろいろなイベントをほぼ対面で行うことができました。特に、6月には鹿児島県のことばの教室や難聴学級の担当者の県大会、7月には同じく千葉県の県大会に講師として呼んでいただきました。パワーポインは用意したものの、一切使わずに、鹿児島では午前と午後合わせて3時間半、千葉では2時間、参加者の顔を見て、その人に語りかけるように話すことができました。どもる子どもやどもる人が幸せに生きるために何が大切で、それを教育現場でどう子どもと共に学んでいけるかを話しました。

 また、どこでどう探し当ててくれたのか、寝屋川市在住で、いろんな分野で活躍している人を取り上げる、寝屋川市の「広報ねやがわ」の〈ひと物語〉に取り上げられました。長年、吃音に取り組んでいると紹介されました。おかげで、それを読んだ近所の人と話が弾みました。半径3メートルの、名前は知らないけれど、会えば立ち話をする人たちです。「広報を見たよ」と連絡もあり、おもしろい経験でした。

 また、51年前に亡くなった親友・吉田昌平さんの娘さんが訪ねてきてくれ、困っていた日本吃音臨床研究会のホームページのリニューアルをしていただきました。まだまだ進行中ですが、大枠のリニューアルができ、スマートフォンにも対応できるようになりました。吃音の不思議な縁で、楽しく面白い毎日を送ることができました。

 ウクライナ情勢、ガザでの惨劇などの国際情勢、日本の政治の最悪の事態にまで来た劣化ぶりに、怒りと、心が沈みます。でも、僕の仕事や人生最晩年の喜びや楽しみが、その怒りや不安の影響を大きく受けている訳にもいきません。
 今年4月、僕は80歳の大台にのります。老年学専門の医師、和田秀樹さんのことばの「わがままいっぱいに。自分の生きたいように生きればいい」に従い、免罪符を与えてもらった人生の最晩年、信じられないような年齢ですが、まだまだしなければならない、したい仕事があるので、吃音に取り組み、ワーケーションの旅を続け、自然や人との出会いを楽しみたいと思います。

 今週末、僕の「吃音を生きる子どもをに同行する、教師・言語聴覚士の会」の仲間が、全国から集まってくれます。1月6・7日はそのありがたい仲間との合宿、8日は伊藤伸二・吃音ワークショップin東京、9日は岩手県大会で盛岡市で講演します。
 ささやかな活動ではありますが、精一杯取り組みたいと考えています。それらの活動から今年の活動が始まります。過去に書いた文章の紹介を中心に、そのときどきのできごと、感じたことや考えたことなど、ブログやTwitter、Facebookなどで発信していきたいです。
 今年も一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。
 よろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/03

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