原爆の惨禍を伝える童話「おこりじぞう」  民話の語り部、沼田曜一さんと思いがけない再会

「原爆の惨禍を伝える童話「おこりじぞう」」((https://www.asahi.com/articles/ASN84744PN6ZPTLC05M.html )おこり地蔵の語りの感動がよみがえる
    
  
 第25回島根スタタリングフォーラムが終わった後、松江での夕食会のことは、先日、ブログで書きました。ご褒美のような時間でした。その翌日は、大好きな松江の町でゆっくりし、大阪に戻る途中で、もう一泊しました。前から行きたいと思っていた湯原温泉です。温泉街をぶらぶら散歩していると、1枚のポスターが目にとまりました。見たことがあると思っていると、それは、映画俳優・民話の語り部として活動していた沼田曜一さんの写真でした。
 沼田さんが、今、なぜ、ここで?と、とても不思議でした。観光センターで聞いてみると、沼田さんの出身地が、湯原温泉で、今年は生誕99年になるとのことでした。
 僕たちが、沼田さんのポスターになぜ惹かれたのかというと、40年前にさかのぼります。その頃、僕たちは、言友会の全国大会として、吃音ワークショップという名前の、2泊3日の合宿による体験学習の研修会を開催していました。その後、言友会から離れたために、吃音ワークショップは、吃音ショートコースの名前に変わり、精神医学、演劇、教育、心理学など、各分野の第一人者を講師としてお呼びして学び続けてきました。吃音ワークショップは、吃音ショートコースの原型ともいえる研修でした。
 1983年、吃音ワークショップの講師に、民話の語り部として全国を講演して回っておられた沼田曜一さんに来ていただきました。その頃、僕たちは、吃音を治すためではなく、自分の声、表現を磨くことを考えていました。そのために、沼田曜一さんをゲストにお呼びしたのです。沼田さんは、大きな病気をしたことをきっかけに人生を振り返ります。華やかな芸能界に見切りをつけて、民話の語りの世界に転身します。そのいきさつや平和への思いを話した後、いくつかの民話を語った後、「おこりじぞう」を語ってくださいました。平和への思いがあふれ、その声の力強さ、語りの豊かさに圧倒されました。2メートルも離れていないすぐ近くで聞いていただけに、表情、声を今でもよく覚えています。
 前年は、表現よみの東京都立大学教授の大久保忠利さん、その年は民話の語り部として沼田曜一さん、翌年は、童話の語り部をされていた、後にテレビドラマの「水戸黄門」役になった佐野浅夫さんにゲストとしてきていただきました。佐野さんの「島ひき鬼」もすごい迫力でした。本物の語りを身近に聞いた幸せは、今も心を豊かにしてくれています。
 そんなつながりがあったので、ふとみつけたポスターがとてもなつかしかったのです。観光センターの人に、そんな話をすると、珍しそうに聞いてくださいました。沼田さんのご夫人も参加されるというイベントは、11月3日から。また来てくださいと言われましたが、そうもいきません。
 おもしろい出会いでした。40年前の出会いがよみがえり、改めて、大勢の人に、本当にたくさんのことを学んできたなあと思いました。
 
《沼田曜一プロフィール》
 沼田曜一は、(1924年7月19日 – 2006年4月29日)日本の俳優。岡山県真庭郡湯原村出身。
 NHK大阪放送劇団研究生を経て、1947年(昭和22年)、東横映画に入社。1950年に大ヒットした『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』で性格温情で清廉な学徒士官役で注目を浴びる。1953年(昭和28年)、新東宝に移籍。丹波哲郎・天知茂らと新東宝で長く活躍した。1950年代の新東宝映画には大抵顔を出している。1959年(昭和34年)、『闘争の広場』に主演。1960年(昭和35年)、『スパイと貞操』に主演。新東宝倒産後はフリー。主に悪役として活躍する傍ら、民話の語り部としても活動していた。第39回芸術祭優秀賞受賞。
 2006年(平成18年)4月29日、心不全のため埼玉県所沢市の自宅で死去、81歳だった。

《企画展 沼田曜一 生誕99年 生き様展 の案内》
沼田曜一 奥深いその生き様 11月3日から企画展 岡山・真庭

 ホラー映画「リング」などで不気味な役を演じる一方で、「現代の語り部」と言われた俳優の沼田曜一を知っていますか――。今年が生誕99年にあたり、その生涯を紹介する企画展が11月3日から3日間、沼田の本籍地である岡山県真庭市で開かれる。企画展では渋い声の語りや表情豊かな映像が上映される。主催者は「波瀾(はらん)万丈の人生を送った沼田曜一の奥深い、人間的な魅力を知ってほしい」と話している。

 企画展の名称は「沼田曜一 生誕99年 生き様展」。
 地元の有志約10人でつくる「温故知新の会」が、湯原ふれあいセンター(真庭市豊栄)で開催される湯原文化祭(湯原文化協会主催)の中で企画した。
 温故知新の会事務局長の浜子尊行(はまごたかみち)さん(73)によると、企画展では沼田が語りをした「民話紙芝居」の映像2本が毎日、5回ずつ上映される。
 このうち「絵本 おこりじぞう」(約10分)は、広島の街角にあった柔和な顔だちの地蔵「わらいじぞう」の話。原爆投下後、地蔵のもとで倒れた少女が、「水が飲みたいよう」と絞り出す声が弱々しくなると、地蔵の顔は怒りに満ちた表情に変わった。地蔵の目からこぼれ落ちた涙を少女は口に含み、やがて息絶えた、という話だ。
 山口勇子原作の絵本「おこりじぞう」は四國五郎が挿絵を担当し、語り文は沼田自身がつくったもの。かつては教科書にも掲載されたベストセラー作品。
 企画展には、沼田の妻で91歳になる雅子さんが埼玉県から駆けつける。沼田の絵に雅子さんが語りを担当した「語り絵本 よだかの星」(約20分)も上映される予定だ。
 沼田の本名は美甘正晴(みかもまさはる)。銀行員だった父親の仕事の関係で、1924年に大阪で生まれたが、本籍地は祖父がいた旧湯原町湯本(現在の真庭市)だった。
 日本大学に在学していたが、学徒出陣のために現在の真庭市内にある旧遷喬(せんきょう)尋常小学校で徴兵検査を受け、蒜山原陸軍演習場に向かった。終戦は内地で迎えた。50年に制作された沼田の代表的な出演作「きけ、わだつみの声」は学徒兵の物語だ。
 ほかに映画「リング」「リング2」や、テレビに脇役として多数出演した。東北地方の旅で民話と出会い、70年代から民話の語り部としての活動や、民話劇の全国公演もしていた。
 湯原では83年、浜子さんが沼田に手紙を出したことで民話の一人語りの公演会が実現した。当時、会場の湯原小学校には市民ら約350人が訪れたという。
 88年にも旧ふれあいセンターで公演会が開かれ、約600人が詰めかけ満員となった。湯原では民話を収集していた人を訪ねたこともあったという。
 沼田は2006年4月、81歳で亡くなった。
 企画展では、沼田の出演作品の年譜をはじめ、雅子さんから提供された沼田の舞台写真や沼田が描いたちぎり絵、絵本の挿絵の原画なども展示される。
 長年親交のあった浜子さんは「民話の世界を広め、作品を通じて戦争の悲惨さも訴えていた沼田さんの生き様を、今の世代の人たちにも伝えたい」と話している。
 企画展は入場無料。問い合わせは真庭市湯原振興局(0867・62・2011)へ。(礒部修作)

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/5

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