レジリエンス元年
今、紹介している、2015年のこの頃の「スタタリング・ナウ」の巻頭言のタイトルには、「レジリエンス」のことばが入っているものがとても多いです。「レジリエンス」に出会い、これまで取り組んできたことが見事に結びつき、これから取り組むことが見えてきたのだろうと思います。
この巻頭言を書いたのが、日本の戦後70年でした。そして現在は、戦後80年、僕の吃音との闘い敗北宣言から60年の年にあたります。
「スタタリング・ナウ」2015.8.20 NO.252 より、まず巻頭言を紹介します。
レジリエンス元年
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「子どものレジリエンスを育てる」
2015年8月1・2日、第4回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会が、東京・池袋の帝京平成大学で、関東地方を中心に沖縄や東北地方など広範囲から79名が参加して開かれた。最後のセッション、参加者ひとりひとりのふりかえりに、レジリエンスへの期待と決意が込められていた。
筑波大学副学長の石隈利紀さんが、「レジリエンスは、自動充電装置だ」などと、ユーモアたっぷりに、当事者研究、論理療法、アサーションなど、私たちが学んできたことを紹介しつつ、それらがレジリエンスを育てることになると、話して下さった。私たちは、さまざまな領域から学び、思索と実践、検討を積み重ねて、ここまでたどり着いたのだが、世界の吃音の取り組みは、「少しでも、吃音を改善したい」とのどもる人の思いと、「完全に治せなくても、少しでも症状を軽減してあげることが必要だ」の臨床家の思いが重なって、近年「治す、改善する」の動きが強まっている。私は、50年以上も前に逆戻りをしたとの印象をもつ。
1970年、アメリカの言語病理学者、ジョゼフ・G・シーアンは、吃音は、氷山に例えれば、海面に浮かんでいるごく一部だ。海面下に沈んでいる、行動・感情にアプローチすべきだと主張し、言語病理学者とともに『ToTheStutterer』を出版した。それが、私たちが翻訳した、『人間とコミュニケーション』(1975、日本放送出版協会)だ。この原著は、45年経った現在でも通用するとして、アメリカ言語財団から、新版も出版されている。
今回、その中の2つを、大切なメッセージが込められているので紹介するが、少し、解説を添えたい。アメリカと、現在の私との違いが相当あるからだ。あえて2つを紹介することで、アメリカ言語病理学と私との違いが明確になるだろう。
「安らかに眠って下さい過ちは繰り返しませぬから」。
2015年8月6日に文章を書いている時、広島平和記念式典の映像で、石碑が何度も映し出されていた。敗戦から70年、営々と築きあげてきた日本の平和が、今、大きな危機にある。吃音も同じような危機にあると、私には思えてならない。
1965年の夏は、私にとって、吃音との闘いの敗戦記念日で、以来、吃音との闘いはやめ、吃音と共存し、平和主義に徹してきた。それが、「吃音を治す努力の否定」、「吃音者宣言」となった。ことばを変えれば「吃音との闘いの敗北宣言」であり、吃音にこだわらず、人として、より良く生きる「吃音からの独立宣言」でもあった。
私は、50年の間に、数千人以上のどもる人々と出会ってきた。そのほとんどの人々が、吃音との闘いに破れ、吃音と和解し、自分の人生を生き始めていた。吃音は闘えば闘うほど巨大な敵として向かってくる。私は、吃音との愚かな闘いを止めよう、失敗の歴史を繰り返してはならないと言い続けてきた。しかし、少しでも可能性があるなら闘わなくてはならないとの勇ましい声は、やまないどころか、再び大きな声になりつつある。
吃音と闘い、強制的にどもり方を変えたものは、何かのきっかけでぶり返す。吃音治療の難しさは、常にぶり返すことだと、アメリカの言語病理学者も言う。吃音と闘うのではなく、不安や恐怖があっても日常生活に身を委ねる。どもりながらも話していく生活の中で、自然に、少しずつ変わったものは、しなやかで、状況の変化や、困難があってもくずれない。どもる人が、日常生活に出ていくのを励まし、支えるのがレジリエンスだ。
レジリエンスは、私が言い続けてきた、「吃音は自然に変わる」を、理論的にも実践的にも裏づけてくれる。「吃音を少しでも改善しよう」の大合唱の中で、私たち自身がレジリエンスを発揮して、きっちりと対峙しなければならない。
吃音に打ち克つことはできなかったが、吃音に負けずに、しなやかに生き抜いている子どもたちやどもる人々の存在を知らせたい。紀元前の時代から続いてきた、吃音との無意味な闘いに終止符をうつ時に来ているからだ。私たちが吃音と共に生きてきた事実を、レジリエンスの視点で整理し、次の世代に手渡すのが私たちの使命だろう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/20

