レジリエンスと論理療法
レジリエンスを知らないままに、レジリエンスに取り組んできた、と僕は、今日紹介する巻頭言に書いています。吃音は「どう治すかではなく、どう生きるか」の問題だとする僕の原点を支えてくれるものが、レジリエンスであり、論理療法です。
普段の僕の生活の中でも、論理療法の考え方が生きています。損か得か、大阪人には、ぴったりとくるようです。
「スタタリング・ナウ」2015.7.20 NO.251 より、まず巻頭言です。
レジリエンスと論理療法
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
『サバイバーと心の回復力―逆境を乗り越えるための7つのレジリエンス』(金剛出版)には、レジリエンスの7つの構成要素が紹介されている。
先だって行った、8月1日・2日に東京で行われる「第4回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」のための事前のレジリエンス勉強会では、7つの構成要素についてひとつひとつを検討していった。
洞察、関係性、独立性、イニシアティヴ、創造性、ユーモア、モラルの7つを育てるために、どもる子どもと私たちは何に取り組めばよいかを考えていったのだが、私たちがこれまで、吃音ショートコースで学んできたことすべてがこれらに結びついていくのだと分かった。
20回の吃音ショートコースは、レジリエンスを知らないままに、レジリエンスに取り組んできたことになる。これは、ある意味当然だった。「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」を、45年以上追求してきたのは、吃音のために困難だと考えている状況とどう向き合い、どう取り組んでいくかであり、「吃音と共に生きる」は、レジリエンスがなければできないことで、反対に、「吃音と共に生きてきた」のは、私たちにレジリエンスがあったことに他ならないからだ。
今年1月開かれた、恒例の東京吃音ワークショップで、「私は吃音を受け入れられない。どうしたら受け入れることができるか」の質問が出されたので、参加者で話し合った。論理療法ではその人の考え方を3つの点でチェックする。
①事実に合うか、現実的か
②筋が通っているかどうか、柔軟であるか
③自分にとって損か得か
そこで、「どもりを受け入れない」との思いを持ち続けることのメリット、デメリットをみんなに挙げてもらった。どもりを治すことにこだわり、どもりを受け入れないことで、自分が得をするか、損をするかを考えたのだ。いくつものメリット、デメリットが出てきておもしろかった。何が正しいか、間違っているかではない。自分にとって、吃音を認めないことが幸せにつながるかどうかを考えるのだ。
どもりを認めないメリット
・何事にも諦めない人になれる。
・流暢に話せるようになる希望を持ち続けられる。
・多くの人の側、多数派のふりができる。
・次はちゃんと話せるはずだと思うことができる。
・いつか治ると思える。
どもりを認めないデメリット
・隠すことにエネルギーを使い、疲れる。
・どもっている自分が嫌いになってしまう。
・治るまで幸せだと思えない。
・本当の自分が、自分の実力が分からなくなる。
1965年の夏、吃音を治すために行った東京正生学院で、私は、治らない現実に向き合った。小学2年の秋から吃音に悩み、吃音を受け入れられずに生きてきたそれまでの人生を振り返って、参加者が出したようにメリット、デメリットをおそらく考えたのだと思う。だからこそ、そこから、私の、吃音と共に生きる人生を始められたのだ。
レジリエンスの7つの構成要素のどれもが大切なことだが、私は、最初に挙げられた「洞察」と、最後に挙げられた「モラル」が基本になると考えている。この2つがあれば、他の要素にも影響を与えて、困難があっても生き抜く力、レジリエンスが育っていくと思う。自分にとって損な、幸せにつながらない考え方を持ち続けることで、行動が制限され、新しい体験から気づく機会もなくなる。論理療法の考え方は、レジリエンスの「洞察」に大きな力を与えるだろう。
1999年の吃音ショートコースで、論理療法のワークショップをして下さった、筑波大学の石隈利紀教授が、「子どものレジリエンスを育てる」をテーマにした第4回吃音講習会に講師として来て下さり、どもる子どものレジリエンスをどう育てていくか、一緒に考えて下さる。何か、大きな曼茶羅(まんだら)に導かれている気がする。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/16

