ナラティヴ・アプローチ 2
ニュージーランド在住の国重浩一さんをゲストに迎え、ナラティヴ・アプローチをテーマとした第20回吃音ショートコースの報告のつづきです。
参加した中から4人の方の感想を紹介します。それにしても、3日間の国重浩一さんのバイタリティあふれる講義やワーク、ありがたかったです。その後、国重さんとは、金子書房から『どもる子どもとの対話~ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力~』を共著で出版することにつながりました。
「スタタリング・ナウ」2015.3.22 NO.247 より紹介します。
《2014年第20回吃音ショートコース報告》ナラティヴ・アプローチ
〈感想〉
学びの集大成としてのナラティヴ・アプローチ
川崎益彦(大阪府・大販スタタリングプロジェクト)
子どもの時からどもりに苦しみ、どもりを否定してきた僕は、「どもりは悪い、劣ったもの」「どもりが知られたら、自分はもう終わりだ」のドミナント・ストーリーに支配されていた。どもっているにも関わらず「どもりでない自分」を必死で演じていた。そのためには、電話が鳴るのと同時にトイレに駆け込むとか、自己紹介が想像される場面には絶対参加しないで、社会生活で困る状況もあまんじて受けてきた。そんな僕でも、職場で苦労する中でどもりの影響を受けていない部分、ナラティヴでいう「ユニークな結果」がいくつか見つかり、自分の中で自信となった。「どもるから何々ができない」ではなく、「どもっていても何々できた」となった。しかし、「どもりは悪いもの、劣ったもの」というドミナント・ストーリーは、依然として僕を支配していた。
それが劇的に変わったのが、高野山でのゲシュタルト・セラピーでの伊藤伸二さんとの出会いから吃音ショートコースや大阪吃音教室に参加したことである。ここで僕は自分のことを語り、それに対して多くの人が聞いてくれ、大勢のどもる人の話を聞いてきた。苦しい、辛い話が多い中で、時々自分では想像もできない話「ユニークな結果」があった。自分以外の多くの語りを聞いてきたことも、今の自分を作るのに大きな影響を与えた。このようにして、「どもりは悪い、劣ったもの」というドミナント・ストーリーから、「どもっていても何の問題もない」「どもりのおかげで、いろんな勉強ができる」「どもりはオモシロイ」という「新たな物語」、オルタナティヴ・ストーリーに変わることができた。
人は生きていく中で、様々なディスコースの影響を受ける。自分ではドミナント・ストーリーやディスコースに支配されていると思っているが、意外とそうではない部分、「ユニークな結果」があるのではないか。ただ残念なことに、その事実に気づかないことが多い。僕の場合はいろいろな偶然や幸運が重なって、しかも多くのどもる仲間のナラティヴを聞くことで、昔持っていたドミナント・ストーリーは完全に消えてなくなった。
また、ナラティヴ・アプローチで言われる「外在化」は、以前勉強した「当事者研究」と全く同じだと思った。当事者研究でも、「人が問題なのではなく、問題が問題なのである」という態度をとる。例えば、11月に東京で開催された「第11回当事者研究全国交流集会」に参加した時の分科会で、学校で問題を起こす生徒を「困った生徒」と位置づけて先生や保護者でその子どもを周囲から囲むのではなく、当事者研究では「その問題によって困っている生徒」と位置づけ、先生や保護者と一緒に当事者である子どもも一緒に、その問題を中心に囲む。しかも当事者研究でよく使われる手法として、問題を擬人化する。例えば統合失調症で幻聴に悩まされている人は、聞こえてくる幻聴を「幻聴さん」と呼んで「外在化」する。東京で聞いた分科会でも、子どもたちは自分の問題をキャラクター化していた。ショートコースでは時間の都合上発表はなかったが、ことばの教室の先生である溝上さんの発表の中でも、「吃音を外在化する」という実践で、子どもたちは自分の吃音をキャラクターにしていた。ここで、自分を支配し、振り回していた問題との関係は逆転し、自分が客観的に眺めることができ、自分がある程度コントロールできる問題へと変化する。
この場の空気が好きだから
野原信(埼玉県、言語聴覚士・帝京平成大学教員)
昨日は、あわただしく皆さんとお別れをし、新幹線に乗った後は、いつの間にか寝ていました。
先週は月曜から金曜は補聴器の講習会で朝から夕方まで講義に参加していました。土曜も午前中から博士課程の研究指導、午後は子どもとの臨床を1つ終えてから新幹線に飛び乗りました。京都駅に向かう新幹線の中で、「なんでこんなに予定を詰め込んでまで遠い滋賀に時間と金をかけて行くのだろう」と自問自答をしていました。
夜に到着してすぐに国重さんの講義に参加しました。講義に対しての参加者の積極的な反応、それにこたえるかのように国重さんの話が熱を帯びているのを感じ、「この場の空気が好きで参加しているんだ」ということを思い出しました。私がいつも参加する他の講演会とはまったく違う空気です。受講者がとにかく積極的、少しでも講師の先生の中にある知識を吸収していこうとするあの感じの中にいると、おそらくどんなテーマの話を聞いておもしろいのだと思います。
特に、今回は、講師の国重さん自身からも、こちらのことを知ろうとする意欲が前面にでていて、講師と受講者の対話の中でセミナーが展開していったと思います。こんなセミナーに参加したのは初めてです。ナラティヴ・アプローチについては、今はまだ感情的なことばとキーワードの分散的な表現になってしまい、整理できていません。これからの自分の方法で復習をすすめたいと思います。
仲間のなかにいることの幸せ
藤岡千恵(兵庫県・大阪スタタリングプロジェクト)
吃音ショートコースの三日間、楽しくてうれしくて、ひたすらワクワクしていました。
今年は出会いの広場から国重さんが進めてくださり、いつもは味わえないショートコースになりました。国重さんは、私たちに強く共感してくださり、とても心強い仲間が増えた気持ちです。ナラティヴの第一人者である国重さんから直接、ナラティヴの話をたっぷり聞くことができ、3日間をふり返ってあらためて、すごい経験をしたのだと思いました。私は大野裕さんの認知行動療法から毎年続けて吃音ショートコースに参加しており、どの講師の先生との時間もとてもよく覚えています。普通の人生では決して出会うことができない世界の方々と出会い、一緒に時間を過ごせること、本当にすごいことですね。
ショートコースでは毎年初めて会う方もいて、遠方に住む久しぶりに会う仲間、吃音の夏を一緒に過ごした仲間、いつも大阪で会う仲間、その人たちと積み重ねた3日問は、本当に特別な時間です。どの瞬間も見逃したくなくて、時々「この仲間のなかにいること」に幸せな気持ちがこみあげていました。
外在化するコミュニティ
長田誠司(埼玉県・カウンセラー)
ぼくには吃音・どもりの友人や同僚がいますが、吃音・どもりについて好奇心を持って何かを尋ねたり、何らかの苦労話やどのような思いを抱えているのかを語ってもらったりする経験は、これまでありませんでした。そのため、ぼくには、その友人たちを通した表面的な経験が少しばかりあるだけでしたので、吃音・どもりについて、ほとんど完全に無知の状態で場に入りました。
「吃音ショートコース」という場であるため、参加者のほとんどは当然、吃音・どもりの当事者です。話している途中にながーい沈黙があっても話し続ける人がいたり、手を振り下げる動作とともに勢いをつけて発語する人がいたり、「最近、どもれないんですよー」と言って流暢によどみなくしゃべる人がいたり、ぼくよりも早いスピードでしゃべりまくる人がいたり、吃音・どもりの表れ方の多様さに驚いたりしながら、経験を聞いたり、実際に触れ合うなかでの体験が、今まで入ったことのない世界に足を踏み入れたような新鮮で視野が広がっていくような感覚がありました。
そして、当事者同士が「はよしゃべれ!」と言ってつっこみを入れたり、発表者が「べべべべべべべ…べてるの家での~」とどもっているところでみんながどっと爆笑したりしているとてもリラックスできる安心・安全な場でした。
あえてナラティヴ的な視点で見てみるならば、ぼくが経験したこのような経験が、参加する当事者の方たちにとってもオルタナティヴな経験になって、それらが個々の人をエンパワーするストーリーとして内在化していく助けになっているのではないかと想像しています。名づけるなら外在化するコミュニティと呼んでもいいでしょうか。
ナラティヴ・アプローチの在り方のひとつとして「無知の姿勢」がありますが、これは成長するなかで無意識にしている「気づき」や「知る」という経験に意識的に向かおうとする姿勢であると思っています。このコミュニティのなかで、実際の経験として、これだけの多様さを見せつけられると、意識せずとも「無知」であることを知らされます。いえ「無知」ということを忘れるくらい、笑いに包まれる安全な雰囲気のなかで、ごく自然にコミュニティの他の人に興味を持ち、他者を通して吃音・どもりやそれにまつわる恐れが外在化され、自分にとってのオルタナティヴに「気づき」「知る」経験をしていくのを目撃したように思います。
それらが内在化したままなら、自分のことは笑えないでしょう。笑われたら、怒るでしょう。はじめは他者のことだから笑えるのですが、そうするうちに、そこにいつの間にか自分をあたたかな目で見て気楽に笑っている自分を見るのだと想像しています。
ディスコースというと、つい悪いもの、脱構築すべきものと構えがちでしたが、同じ構造を持ちながら、生命に貢献するような(Life Serving)なセッティングになるとき、ディスコースは私たちの味方になるのだという頭では知っているはずのことを新鮮な気持ちで実感しました。
国重さんの講義やワークの時間とともに、合間の時間の何気ない会話やふれあいを通して、ナラティヴの理論的なことが体感として腑に落ちていくような素敵な経験をもらいました。ナラティヴの中心は生身の人間なのだという愛おしい希望を抱き直しました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/26


