劣等感の補償~吃音サバイバル~
僕はこれまでたくさんのどもる人たち、どもる子どもたちに出会ってきました。そして、真剣に、誠実に、対話を重ねてきました。その出会いをきっかけに、自らの手で人生を変えていった人がたくさんいます。僕たちとの出会いが人生の転機のきっかけになったとしたら、こんなにうれしいことはありません。
僕が小2から21歳まで悩みのどん底にいたこと、21歳からずうっと変わらず吃音とともに豊かに生きることを突き詰めてきたと、その甲斐があったというものです。
「スタタリング・ナウ」2015.1.20 NO.245 に掲載の、小林悠太さんのお母さんの厚美さんの文章を紹介します。「吃音親子の旅・小林厚美さんと悠太さん」の前半です。後半の悠太さんの文章は、明日、紹介します。
2014年12月6日(土)には、「どもる子どもの親と臨床家のための吃音相談会・講演会in横浜」が、2015年1月11日(日)には、「吃音と向き合い、語り合う伊藤伸二・吃音ワーショップin東京」がありました。また、吃音親子サマーキャンプや吃音ショートコースなどでも、大勢のどもる人、どもる子ども、どもる子どもの保護者や臨床家に会っています。そうして出会った人たちが、その後、吃音と真摯に向き合い、大きく成長したり、大きな方向転換をし、人生が変わったという話をよく聞きます。私たちとの出会いが、ひとつのきっかけになったとしたら、こんなにうれしいことはありません。
横浜の相談会で初めて出会い、その後、吃音ショートコースに参加した小林悠太さんもそんな一人です。彼は、好きなバイオリンに打ち込み、念願だった国立ウィーン音楽大学・大学院に合格し、留学しました。
周りの人から、吃音を治した方がいいと治療をすすめられたのを、毅然とした態度でそれを拒否したということも、母親の厚美さんからの手紙で知りました。その手紙を読ませていただき、小林厚美さんに、これまでの親子での「どもりの旅」をまとめていただけないかとお願いしました。
遠い異国で、しっかり、自分を、また、自分の吃音をみつめて暮らしている悠太さん。吃音ショートコースで、どもりながら、サイコドラマを演じていた姿を思い出しながら、お手紙を読ませていただきました。この体験を、ぜひ、「スタタリング・ナウ」で紹介させていただけないでしょうか。きっと、どもる子どもにも、どもる子どもの保護者の方にも、大きな励まし、勇気づけになることでしょう。
今、私たちは、吃音治療・訓練ではなく、サバイバルを考えていますが、悠太さんの体験は、吃音サバイバルにふさわしいものです。
吃音教室卒業宣言
小林厚美
はじめに
2013年1月、東京で行われた「伊藤伸二・東京吃音ワークショップ」に参加した悠太が、家に帰ってきて、「今日、皆の前で“ここを卒業する”と宣言してきた」と私に毅然と切り出した。予想していなかった私の少し戸惑った表情に「伊藤伸二さんの考えているこのワークショップの意図することに対して自分は十分理解して実行しているから」と説明した悠太が頼もしくみえた。
2013年4月にヴァイオリンを専攻した音楽大学を卒業し、その後6月の入試を経てウィーン国立音楽大学の大学院に留学する計画を立てていたことで吃音教室にお別れをする意味もあったと思う。
さて、卒業宣言をした悠太がそれまで通りどもる毎日は今も変わらない。これまでの悠太と私の吃音の旅を振り返る。
何でお口がお話できないの?
1歳前にすでに何語か発するようになって、順調な発育よりもむしろ早かった。語彙が増え、文章になり、絵本が何より好きな悠太は私が読んだ絵本を一人でめくりながら自分の言葉でお話を繰り返していた。
2歳のころ、全身で一生懸命しゃべる悠太は少し最初の発音がつっかかるようになってきた。
3歳3か月の時次男が生まれ、私と悠太の関係が今までとは当然変わってきた。ずっと一対一ではなくなった。そしてその直後の3児検診で吃音と指摘された。
4歳で幼稚園に通うようになっていた悠太が家で何か話そうとした時、「何でお口がお話できないの?」と突然泣き出した。私も思わず涙が出た。
小学校入学、クラス替え、何か節目がくる度本人も私も不安だった。しかし、この頃の吃音ははっきりとした波があり、全くどもらず話すこともあればひどくどもることもあった。
小学校高学年から自分で気になってきた!
吃音のことを考えると、子どもが大きくなっていくのが怖かった。小学校高学年になってその不安が現実味を帯びてきた。友達からからかわれる、皆の前で話すのが怖い…。しかし、そんな中でも朗読はとても上手だった。卒業式には朗読の中心に選ばれ、意味をよく理解している読み方には惹きつけられた。自分の意見を言おうとする時にはひどくどもるのだが…
中学2年生の時 “学校に行きたくない”
さあ、小学校よりもさらに不安な中学校。帰宅する悠太の表情が暗く、学校の中の様子がとても気になった。そんな中、入学と同時に書いた目標が「僕は部活などには一切入らない。ヴァイオリンをがんばっていく」だった。
入部は任意という中、95%の生徒がどこかの部活に入る。その中いきなりこの文章を書いた悠太に“大丈夫”という強さを感じた。クラスの中で吃音のためからかわれ、いじめととれる行動はあった。2年生でクラス替え。その夏休みの終わろうとするある日、父親は悠太、弟の2人を車に乗せ、買い物に出かけた時、中学校の前の道を行こうとした父親に「いやだ!」と大声で言った。その時家に帰ってきた悠太の青白くなった顔が忘れられない。もうすぐ新学期、あの中学校にまた行かせるのだと思うとやるせなかった。
9月1日、いやとも言わず、しかし義務感で行っているのだとはっきりわかる面持ちでまた中学校に通い始めた。そして10月半ば、クラスの一部の生徒から吃音、チックのことでからかわれていて、もう学校には行きたくない、と学校での様子、それに対しての自分の意見を、言葉を選びながら話してくれた。
担任に今の状況では学校に行けない事を伝えた。早く登校するよう促す担任に対して悠太と話し合い、その頃相談していたスクールカウンセラーの先生からクラスの皆に“どもり、チック(その頃チックも現れていた)本人の意思とは関係ない症状で障害でもないこと、受け入れられるべきものであることを話してもらいたい”という条件を出した。教頭、校長先生の力添えもあり受け入れられ、実現した。
登校再開の日、やはり行くのを躊躇していた悠太を友達と担任が迎えに来て、また祖母が背中を押して2週間の登校拒否がおわった。
その後の中学生活は全て解決した訳ではないが、この一件をクラスのみんなが共有したことで深刻な事態には至らなかったのだと思う。
高校、話すことからの逃避
学校、友達、先生と多くの環境が変わり、どもることは一層大きな不安材料になった。特に授業中での発表。家で私を前にして何度も練習した。私もここで大きく息をしてみたら、ゆっくり言ってみたら…等々アドバイスしてみるが、何か虚しかった。
同時に国語の授業で、出されたテーマに対して自分の意見を書いているうちに、書くことに夢中になっていった。上手な文章ではないが、悠太の考えていることがストレートに伝わってくる。
その頃、ヴァイオリンの先生との関係が悪くなっていた。吃音がヴァイオリンの上達の妨げになっていると譲らず、レッスン中に話す練習をさせる。さすがにこれには私も反論したが取り合わず、受験を前にしてその先生のレッスンを辞めることにした。そして受験失敗。浪人生活に入る。
音楽大学の浪人ということで予備校には行かず、ほとんど家で練習と勉強。外との接点がなく私と話すだけの生活になった。受験への不安はあってもどもることへの不安はあまりなかったと思う。夏期講習で自分に合うヴァイオリンの先生に出会え、かなり前向きになっていった。受験も無事に終え、音楽大学へ進んだ。
大学にはクラスがない!
オリエンテーションを受け、授業を自分で組んでいく。今までの学校と違い複雑でわからないことが多かったが、悠太はなかなか人に聞けない。学校の事務の人にしぶしぶ聞くという状態が続いた。高校まではクラスがあり担任がいたので友達と呼べる人はいつもいたし、担任は吃音のことを念頭においていてくれた。しかし大学に入って私もふと気づく。自分からアプローチしない限り独りだ。いろいろな先生がごく短い時間関わるだけで悠太の人格を理解してもらうという要求はほぼ通らない。空き時間、お昼ご飯…一人で何とかしなくてはいけない。その不自由さをもう19歳になっている息子でも何とかしてあげたいと思った。
そう、もう19歳の息子…世間一般では自分で何でもやるのが当たり前、それを親が手伝うのは過保護、そういう固定観念が私の頭を駆け巡る。でも実際悠太は本当に苦しい状況にいる。お昼ご飯は? 「学食があるはずなんだけど何処だかわからない。お店に入って注文するのは嫌。コンビニでおにぎりなら買える」という悠太。「少しくらい人と話したほうがいいよ」と言いつつお弁当を作った。このころの吃音はとくにひどかった。確かに話しかけるのは辛いだろうな。でも私がずっとついているわけにはいかない。辛いかもしれないけど逃げないでほしい。
大学というそれまでとは違うコミュニティー。でもそれは今まで学校という小さい世界の中で生活していたところから社会という大きな世界に放り出される準備段階みたいなところ。自分で何とか乗り越えてほしいと願ってもできない、やりたくない、無理、と逃げる悠太に対して私も夫も何か行動をしなくてはいけない、と切羽詰った。
大学1年の冬、伊藤さんとの出会い
今まで吃音を治す機関を調べた事もなかったが、夫と相談してネットを開いてみた。吃音についての数多い情報の中、夫の目に留まったのが伊藤伸二著『どもる君へいま伝えたいこと』(解放出版社)だった。すぐに書店に注文し手にとった。何となく思っていた事、考えてきた事が論理的に綴られていた。(圧倒的な説得力をもって)。悠太にも本を読むことを勧めた。
悠太も素直に共感できたようなので私はすぐに著者の伊藤伸二さんに電話した。電話口に出た伊藤さんに私は正直驚いた。全くどもらずに喋る。本当にひどくどもる悠太の悩みが分かってもらえるのだろうか? という疑問を持ったが、近日中にあるという横浜の「親・臨床家のための吃音相談講演会」に悠太、私、夫と3人で参加することにした。講演会の内容を聞いていて“悠太はすぐ受け入れる”と直感したとおり、その日を境に徐々に変わり始めた。
先入観を持たずに伊藤さんの話を聞くことが何より大事。悠太にはその姿勢があったと思う。本当に徐々にだが(今でもできないことが多くある)どもりから逃げないようになった。どもりを気にするより大事なことがたくさんある。そのために話す必要があるならどもって話す。
伊藤さんに大学1年生の12月、横浜で会ってから4年生の1月に卒業するまでの3年間、琵琶湖の吃音ショートコースという合宿に2回参加、東京で開かれる吃音ワークショップにもほぼ出席し、吃音の仲間もできた。
初めて琵琶湖の合宿に参加した時は「どもる人たちのはずなんだけどみんな普通に話すんだ。自分はかなりひどいのかな?」そして次の年、同じ合宿に参加した。そのときのテーマはサイコドラマで、ワークの時には、ドラマの主人公になったそうだ。ひどくどもって。
そのワークショップに参加していた東京のどもる人のグループが主催する東京での「中高生の集い」にお手伝いとして参加したことがあった。帰ってきて「どもる子どもを持つ両親が、“どもりが治らないと未来が見通せない”みたいなことを言っていた。とても残念だ」と私に話してくれた。悠太は、もう伊藤さんが主張する趣旨がほぼ身についたのかもしれないと思った。
哲学を本格的に始める
大学生の時期、伊藤さんとの出会いのほかもう一つ悠太に大きな影響を与えたのが哲学を学んだことだった。中学のころから多くの本を読んできたが、たまたま父がすすめた中島義道著『働くことがイヤな人のための本』(新潮文庫)に触発され、カントをはじめ哲学書を次々に読み進め、大学1年の教養課程で哲学を履修した。その哲学の先生が自分の主宰する中央大学での読書会に誘ってくれたが、まだ伊藤さんに出会う前だったこともあり、自分の世界を広げられずにいた。
3年生になってまた同じ哲学の講座を履修した時には、自ら先生にその読書会に参加したい気持ちを伝え、哲学を専門に学ぶ学生と一緒に哲学書を原書で読む会に参加するようになった。その頃の学問に向かう高揚感を後にある先生にあてた手紙に書き記している。毎週土曜日の午後から夜にかけて家から片道2時間もかかる大学に他に用事がない限りとても楽しみにして参加していた。ここで出会った学生や先生とは今でもつながりを持っている。そして今まであった自分の世界が何倍にも大きく膨れあがったように学問の奥深さに魅了されていった。
学び進めていくうちに、自分のやっている音楽も含め哲学、文学、美術、そして歴史とつらなる大きく深い世界と相対することが、吃音のことを気にしなくなった一つの要因になった。
不安な教育実習
大学4年の秋、心配していた教育実習が始まった。母校の高校、当時の担任が指導者であることが心強かったが、あの通りひどくどもりながら生徒たちに指導するのかと私も困惑した。
2012年10月23日、教育実習初日。そして悠太の23歳のお誕生日。いっものように悠太の好きな献立に手作りのケーキ、メッセージカード…と家族みんなで用意した夜、実習から帰ってきた悠太は、顔色が悪くほとんど食べ物を口にできなかった。先生という仕事を任され、服装、長い時間の拘束、責任と今まで経験したことのない状況下、その不安の中にもちろん吃音もあった。私には想像できないほどの緊張だったのだ。次の日も体調不良のまま実習に行った。しかし徐々に慣れ、少し楽しんでいるようにも見えた。自分が授業をもった日、たぶんひどくどもったであろう悠太だが、授業の内容に関してほめられたことが嬉しそうだった。そして最終日、生徒の寄せ書きを持って帰ってきた。それは私をとても驚かせた。
「先生の話がとても心に残りました。もっとお話を聞きたかった。またお会いしてお話ししましょう」
このとき、多くの生徒から、話が良かった、また話したいと書かれていたのだ。素敵な先生としてみんなに受け入れられていたのだ。どもることは障害になっていない。何を考えているか、そして自分に対して人に対して真摯に向き合っているかが大事なのだということを悠太は教えてくれている。
あれだけ不安だった教育実習、逃げずに経験したことで悠太の得るものはとても大きかった。その後、今まで学んできた積み重ねが確実に結果として現れてきた。
伊藤伸二さんから得たこと
伊藤さんに会ってからは、いろいろな縛りが取れて自由になり、悠太自身の成長につながったとそばで見ていて思う。悠太は伊藤さんとの出会いを次のように語っていた。
「伊藤さんのいつもの話の中に“どもりの症状は氷山の一角でその症状下に潜んでいる心理的な負の側面のほうがはるかに大きい”とあるが、これが自分の症状を見直すきっかけになった。治療に走ると、これさえ治ったら人生がすべてうまくいくと安易な、短絡的な幻想を抱いてしまう。それに集中させるよりも自覚、意思の持ちようで他に考えること、悩むことがあるはず。このことを前から薄々感じていたが、伊藤さんに会って、鮮明になった」…と。
ウィーン留学
2013年10月からウィーン国立音楽大学大学院でヴァイオリンを専攻している。ドイツ語の生活になり、新しい環境でわからないことばかり、当然どもりもひどくなったと思う。悠太の小さい時からの知り合いが住んでいる家の上の階に住むことになった。夫婦で声楽の先生、夫の方は元医者ということで心強かった。悠太のどもりを心配してくれて“トーマスメソード”を紹介してくれた。治療を施すつもりはなかったが、モーツァルトの音楽を聴いて耳の治療をする、ということに少し興味があり言われるまま1サイクル受けた。受ける前と後に耳の検査をし、まだよくなっていないのでもう1サイクルと言われたが費用も高く、時間もかかるので断った。
さてその後、催眠療法があるがドイツまで行かなくてはいけないという提案をされたとき、悠太はその知り合いに対して、自分の吃音に対する考えをはっきりと言わなくてはいけないと思ったようだ。もとより自分の考えを話すときは普通の会話以上にどもる。そこで文章にして彼に送った。以下は悠太がドイツ語でメール送信したものを本人が日本語に訳した文章である。
(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/19

