劣等感の補償
吃音の問題を考えるとき、「劣等感」はひとつの大きなキーワードです。
僕は、小学2年生のときの担任の対応から吃音に劣等感を持ち、悩み始めました。どもっていても、勉強はできるし、友達との関係を作ることもできます。でも、僕は、吃音を言い訳にして、口実にして、勉強やスポーツ、人間関係から、すべてから逃げていました。
アドラー心理学は、劣等感について、劣等性、劣等感、劣等コンプレックスの3つに分けて、説明しています。また、劣等感の補償について、間接的補償と直接的補償に分けています。
僕は、これまで劣等感についていろいろなところで話してきましたが、話をするときに、具体的なエピソードとして登場するのが、今回、紹介する小林悠太さんです。
音楽、ヴァイオリンという大切なものがあったので、彼は、どもりながら自分らしく生きています。建設的な間接的補償になるには、吃音と向き合う必要がある、ということを示してくれています。
「スタタリング・ナウ」2015.1.20 NO.245 より、まず、巻頭言を紹介します。
劣等感の補償
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
アドラー心理学では、すべての人は、その人にとっての良い目標追求をするために努力すると考える。だから、人生の課題に向き合った時、理想とする目標と現実の自分とのギャップに直面し、劣等感を感じ、そのギャップを埋め合わせようと、人が努力することを劣等感の補償という。
子ども時代に勉強ができなかった人が、そのことをバネに一発奮起して学者になったり、運動が苦手だった人が、オリンピック選手になったというような話はよく聞く。劣等感が、まっとうな努力と成長へのエネルギーとなれば、建設的な補償がなされる。しかし、その劣等感があまりにも強くなりすぎると、アドラー心理学でいう「劣等コンプレックス」に陥る。劣等性や劣等感を理由に、口実にして人生の課題から逃げるのである。
私は、小学2年生の秋、吃音に劣等感をもち、「どもりだから何々できない」とのライフスタイルを身につけたために、人生の課題からことごとく逃げた。アドラー心理学でいう人生の課題とは、仕事の課題、人間関係の課題、愛の課題だが、私は学童期の人生の課題である、勉強も友だちとの人間関係からも逃げて、不本意な学童期・思春期を生きた。あの頃、吃音に悩んだとしても、勉強をし、音楽やスポーツなど、自分の好きなことをみつけて、それに打ち込めばよかったと残念に思う。
劣等感の補償には、直接的なものと間接的なものがある。直接的補償と間接的補償である。
直接的補償とは、劣等性があり、劣等感をもったその領域にあえて挑戦しようとするもので、吃音の場合、ことばを特に必要とする仕事に就くことである。吃音で苦しい経験をしたから、あえてアナウンサーの仕事に挑戦した小倉智昭さんや、落語家、俳優、弁護士など、直接に苦手なことに挑戦して活躍している人が少なくないのが、他の病気や障害と違う、吃音の大きな特徴だ。
一方、劣等性があり、劣等感をもつことはそのままに、まったく別の分野で努力する人は、吃音に限らず多い。どもるために、人間関係が苦手だったからサイエンスに向かったと、ノーベル物理学賞の江崎玲於奈博士は日経新聞の「私の履歴書」に書いている。著名な数学者、小説家や芸術家、スポーツなど、間接的補償で世界的に活躍した人は、枚挙にいとまがない。
大学1年生の時に出会った小林悠太さん。母親の厚美さんが書いているように、かなりどもる。父親と母親の後ろからそっと私を眺めていた、横浜での吃音相談会での印象が強く残っている。
話すことに対する劣等性と劣等感が強くあったであろう彼には、音楽、バイオリンの世界があった。間接的補償を目指して、バイオリンに打ち込んだわけではないだろうが、彼のその後の活躍は、立派に間接的補償になっている。しかし、建設的な間接的補償になるには吃音と向き合う必要がある。劣等性、劣等感に一切向き合わない、間接的補償はもろい。以前紹介したアメリカのプロバスケットのスーパースターであったボブ・ラブは、吃音に一切向き合わずにきたために、現役を引退したとき、吃音コンプレックスに陥り、ファミリーレストランで掃除夫をした10年を地獄の日々だと語っている。(『スタタリング・ナウ』NO.45 1998.5)
小林悠太さんは、話すことはそのままに、音楽の世界で努力すると同時に、吃音ともしっかり向き合った。「サイコドラマ」をテーマにした「吃音ショートコース」で、私はドラマの主役になることをすすめた。かなりどもる彼にとって、ハードルは高かっただろうが、私の提案を受けて、大勢の前で自分のこれまでの人生と今後の展望をドラマにした主人公を演じた。
今回、母親と彼が歩んできた吃音との旅にふれることができた。吃音を治そうとする知人への、毅然とした悠太さんの態度を知るにつけ、好きなこと、したいことをもった人の力強さを感じた。
私たちの仲間の中には、かなりどもりながら、どもりを改善するためにエネルギーを浪費せず、自分の好きなこと、したいこと、どもりながらもできることを見つけ、翻訳者や絵本作家になるなど、間接的補償をし、楽しく、豊かに生きている人がいる。できること、好きなことに努力することのすばらしさを、その人たちは示してくれる。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/18

