「それはそれとして」、「いやだ、いやだでそれっきり」
吃音を治すために行った東京正生学院で、僕の吃音は治りませんでした。治らないという事実を直視し、初恋の人や仲間との出会いで、僕は、どもりながら、吃音とともに生きる覚悟を決めました。そして、どもる人のセルフヘルプグループを作り、東京で活動していました。共に活動していた岐阜の村上英雄さんが、大阪教育大学に吃音の勉強をしに行くと言うので、おもしろそうで、ついて一緒に大阪に来ました。そして、すすめられるままに、大阪教育大学の教員になりました。まさに「風に吹かれて」生きてきたと言えます。
大阪教育大学の教員時代、たくさんのどもる人と出会い、対話を続けました。それらの体験から、「吃音を治す努力の否定」を提起し、「吃音者宣言」を出しました。全国巡回吃音相談会も、教員時代にできたことでした。
国立大学の教員を辞め、カレー屋の経営という道を選びましたが、ライフワークは、ずっと「吃音」でした。大阪教育大学にも、非常勤講師という立場で、関わり続けました。そのときに、お世話をしてくださったのが、特別支援教育講座教授の藤田裕司さんでした。
藤田さんにお願いして文章を書いていただきました。「スタタリング・ナウ」2014.12.23 NO.244 に掲載したものを紹介します。タイトルもおもしろく、印象に残っています。
「それはそれとして」、「いやだ、いやだでそれっきり」
大阪教育大学 教育学部 教員養成課程 特別支援教育講座・教授 藤田裕司
1 マンションの換気扇
半世紀余り住み慣れたわが家がいよいよダメになったので、ちょうど2年前、近くのマンション(と言っても、もちろんmansionではありません)に引っ越しました。立地よし(駅まで徒歩3分、走って1分、これで何度遅刻を免れたことか!)、環境よし(四辺閑寂)、ただ、風の具合でゴミ焼却場から流れてくる煙の中に、汚染魚の骨を燃やすことで発生したプルトニウムが含まれてはいまいか、という妄想的な不安と、室内24時間換気のためにつけっ放しの換気扇の音とに、当初、心休まらぬ日々でした。
まあ、煙はともかく、換気扇の音は安眠を妨げかねず、チョー神経質の私にはほんとに困ったものです。寝室を変えれば何ら問題はないのですが、今更また家具を動かす気にもなれず、かといって、換気扇を止めればたちまち風呂場がカビったりするでしょうから、どうしようもありません。
とはいえ、あれやこれや思案しているうちに、室内を完全に閉め切らなければいいのでは、ということに考えが至り、通気口や窓をほんの少し開けておくようにしたところ、案の定、換気扇の音がほとんど気にならないまでに小さくなったのでした。してやったり、これにて一件落着! と思いきや、夏場はそれでいいとして、冬は困るのです。すきま風が入ってきて、やっぱり寒い(ちなみに、私はとてもケチなので、夏も冬も家ではエアコンなどという便利なものは一切使いません。それにつけても、未だ避難所での生活を強いられている被災地の人たちの日常を思うべし、です)。多少の寒さは我慢するか、それとも換気扇の音をこらえるか? これは、窮極の選択にも似て、私を”変化”の土壇場へと追い詰めました。
万策尽きて(というほどジタバタしたわけでもありませんが)、背に腹は代えられず、風邪をひくと面倒ですから、ドア越しにブンブンと聞こえてくる換気扇の音を子守唄代わりにして寝ることに決めました。その後、だんだん不眠が高じ、ついにインソムニアになってフジタはあえなくダウンした、かというと、どっこいそうはならなかったところが、人生のミョウというか、アヤというか。
もちろん、注意を向ければ換気扇の音は聞こえているのですが、入眠には何ら支障がないまでに”変化”したのでした。かくしてこの1年余り、換気扇の音が気になって一睡もできなかった、ということは一度もありません。もっとも、夜中に目ざめることはしょっちゅうです。これは、換気扇の音のためではなく、尿意のため。歳を取るにつれてその回数が増えていますが、さいわい、まだお漏らしをするところまではいっていません。
2 まなかひ(眼間)の鼻先
上のエピソードをとても自分らしい体験の一コマだと思い返していたとき、もう40年以上も前の学生時代に、目線を下げれば視野に入る自分の鼻先が始終気になって往生したことを思い出しました。当時は、いわゆるノイローゼの真っ最中で、なろうことなら鼻の整形手術をしてでも鼻先が見えないようにしたい、と思ったほどです。しかし、(おそらく良心的な)医者に、それはちょっと無理だろうといわれて、泣く泣くあきらめたのでした。
この体験は、もう長いこと忘却の彼方にありましたが、あのとき以来、私は自分の鼻先を見れども見えず、あれどもなきが如く生きてきたことになります。
そういえば一度、大学の教員になりたてのころ、この秘話をある学生に、彼をハゲますつもりで伝授(?)したことがありました。彼は、それ以来、自分の鼻先が気になってしょうがない、と言ってきましたので、私は、その治し方もちゃんといっしょに話したではないか、と言ってやったのですが、彼はその後、うまくゲダツできたのでしょうか? あるいは罪作りなことをしてしまったかな、と今になって思う次第です。
3 ハゲはいやだ!
このように書いてくると、所詮どうしようもないことは受け入れるしかないのだ、というような主張として受け取られるかもしれません。確かにそのような一面はありますが、それが私の本意ではありません。私は、わが身を省みて、世間でよく言われる「障がい受容」を声高に主張できるほどの体験的裏づけもなければ勇気もないのです。もちろん、受容できる人はそれでいいし、それに越したことはありません。しかし、だれもがそんな簡単に受容できるわけではないはずです。
治癒が困難な障がいの場合、まず受容することが大切、だから障がいとともに生きよう、などと言ってみたところで、すんなりとそうできる人はよくても、できない人はできない自分の不甲斐なさのために、よけい自己否定的になるだけでしょう。これでは、いくら治療にハゲんでもなかなか治癒に至らない自分を責めるのと同じ轍ですね。
私は、30歳前から頭髪が薄くなり始め、還暦を迎えるころにはもうすっかりハゲ頭になってしまいました。さまざまな養毛剤を始め、イオナイザー、エアロップなどという胡散臭い器具、それに紫電改ブラシ等々、可能性がありそうなものはだいたい試しましたが、結局のところ全部ムダでした(なお、邪魔臭がりの私は、カツラまでしてハゲを隠そうとは思いませんでした)。
しかし、若いころに比べれば、今やハゲ頭はほとんど苦になっていません。それは、ハゲを受容した、あるいはあきらめたからか、というと決してそうではありません。やっぱり、ハゲはいやだ!
みっともないし、みじめです。ただ、若いころと違うのは、いやだあーー、と単発的に、その時その場でそう思うだけで、後々まで長く尾を引くことがなくなりました。つまり、「いやだ、いやだでそれっきり」。これは、森田療法家の鈴木知準師から教わった免許皆伝の極意です。
ここのところを、私なりにことばを補って、少し理屈っぽく言うと、ハゲがいやだと思ったとき、「それではいけない。ハゲをもっと受容しなければ」とか、「ハゲがいやならもっと治す努力をしなければ」とか思わないところがミソなのです。「ハゲはいやだ!」で止めておく。そして、「いやだ、いやだ」と思いながらも、その時その場で自分がやらなければならないことをやっていく。それが、ハゲ男の人生の王道であり、美学です。
同じことを別のことばで言えば、「それはそれとして」ということになりましょうか。これは、同じ鈴木でも、かの有名な大拙師のことばです。ハゲを無理に受容する必要もなく、また否認する必要もなく、「それはそれとして」当面の仕事本位に日常を生きていく。中途半端と言えば実に中途半端、宙ぶらりんと言えば誠に宙ぶらりん。しかし、しなやかに、また、したたかに、目下、私は、「ハゲとともに生きる」のではなく、まさしく「ハゲを生きている」のです。目出度もちう位也 おらが生。
4 無喜また無憂なり
森田療法の創始者である森田正馬がよく引き合いに出したことばの一つに、「心は万境に従って転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随って性を認得すれば、無喜また無憂なり」というのがあります。もともと、某尊者の偶らしいのですが、私は学生時代にこれを読んで、特に最後の「無喜また無憂なり」がわかりませんでした。それって、感情がなくなるっていうこと? だったら、死んだも同然じゃない?
爾来40年有半を閲した今、嬉しいときは嬉しいまま、悲しいときは悲しいままに、心は一時も滞ることなく流れ転じていき、「喜」・「憂」の跡を留めない、その様相たるや水の如く(これは、あの軍師「官兵衛」さんも目指した境地のようですが)、「無自性」にして「空」、この本性を体得せよ、といった趣旨らしいことに気づきました。真に目指すべきは、ことばの「流暢性」ではなく、「心」のそれでしょう。どもろうと、ハゲようと、「それはそれとして」、「いやだ、いやだでそれっきり」になったとき、心は転じ流れていくのです。
ついでに、森田正馬のことばをもう一つ挙げておきましょう。「日々是好日―喜びにも苦しみにも、可も猶ほあきたらず、不可も必ず之を切開かんとする、時々刻々の我心のひらめきに、汝自身を知らずには居られないだろう。是好日である」。
5 磨塼作鏡(ませんさきょう)
伊藤伸二さんからいただいた、たくさんのご本を読んでいるうちに、「塼(かわら)を磨して鏡と作(な)す」という話を思い起こしました。中国のある禅語録に出る師弟の問答として、その筋ではたいへん有名な話のようですが、塼をいくら磨いてもそれで鏡になるわけがないのと同様、坐禅ばかりしていても悟りは開けないよ、と事上錬磨の大切さを師が弟子に諭す、そんな趣旨であったかと思います。
しかし、わが国の道元禅師は、例によって例のごとく、これに独得の解釈を加え、通説を180度引っ繰り返しつつ(すなわち「只管打坐」)自らの悟境を呈しました。日く、「ただ塼なるを磨塼するなり。このところに、作鏡の功徳(くどく)の現成(げんじょう)する、すなはち仏祖の功夫(くふう)なり。磨塼もし作鏡せずは、磨鏡も作鏡すべからざるなり。たれかはかることあらん、この作(さ)に作仏あり、作鏡あることを」と(『正法眼蔵』「第十九古鏡」)。
つまり、塼を磨いても鏡にはならないが、塼を磨いてりっぱな塼にすること、それが作鏡に他ならないというのです。この考えに従えば、吃音を吃音のままに生き磨き高めていくことこそ、心の「流暢性」へとつながる捷径なのではないでしょうか。そして、その途を従容として歩むとき、それまで吃音によって被ってきた心の傷は、また吃音によって癒されることになるでしょう。
以上、伊藤伸二さんの求めに応じて、あらずもがなの駄文を草しました。私は、一応、大学で特別支援教育を専攻する身ながら、吃音については甚だ不勉強でお恥ずかしい限りです。そのため、直接吃音にかかわることは書けませんでしたが、何か参考にしていただけるところがあったとすれば幸いです。
なお、硬い論文ではありませんので、引用文献の頁等は一切省略しました。森田療法について詳しいことをお知りになりたい方は、白揚社刊の『森田正馬全集』全7巻を、また、道元禅師については岩波書店刊の『日本思想大系』第12、13巻をご覧ください。
それでは、皆さま方のさらなるご活躍・ご健闘を心からお祈りします。合掌。
大阪教育大学を退職し、カレー専門店を経営していた時も、アイドルタイムに非常勤講師として講義に行っていましたので、大学での講義は30年ほどになるのですが、非常勤講師にも定年があって、今年で終了となりました。私の担当は、特殊教育特別専攻科で、主として現職のベテラン教員が学生です。その人たちとの対話は、時に厳しく、楽しい豊かなものでした。
また、4日間の講義の間の休憩時間、講義が終わってからのひととき、藤田裕司さんと話すのがとても楽しみでした。ご自分の専門の心理療法、森田療法、仏教などを通しての人生観や、第三者から見た吃音の世界の感想を聞かせていただくことが、大学に出講する喜びでもありました。
学生の前で、対談したこともありました。いろんな思い出があります。講義ができなくなること以上に、藤田さんと話ができないことが残念です。
何か、『スタタリング・ナウ』に書いていただけないかとお願いして、今回投稿いただきました。
長い間、ありがとうございました。
伊藤伸二
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/17

