吃音について考え、表現する活動への取り組み~ナラティヴ・アプローチと当事者研究の視点から~
夏に、イベントが開催されることが多いため、いつ頃からか、僕たちは、「吃音の夏」と呼ぶようになりました。
2014年の「吃音の夏」は、石川県金沢市で開催された全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会石川大会から始まりました。吃音の分科会の発表レポートは、3本あり、その中の一つは、僕たちの仲間の溝上茂樹さんが発表しました。鹿児島県知名町立知名小学校ことばの教室の溝上茂樹さんの発表を、「スタタリング・ナウ」2014.10.20 NO.242 より紹介します。
吃音について考え、表現する活動への取り組み
~ナラティヴ・アプローチと当事者研究の視点から~
溝上茂樹(鹿児島県知名町立知名小学校ことばの教室)
私は、鹿児島県の沖永良部島にある知名小学校でことばの教室の担当をしている。2014年度の全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会金沢大会で、どもる当事者でもある私が、子どもたちといっしょに取り組んできたことを発表した。
1 はじめに
大学を卒業し、一度は一般企業に就職したどもる私が、教員になり、さらにことばの教室の担当を目指そうとしていた当時、私自身は、どもりを完全に受け入れていたわけではなかった。どもりたくない思い、どもった後の否定的な感情も、なくなった訳ではなかった。どもることに、まだ劣等感も持っている私が、どもる子どもと、向き合い、指導できるだろうかという、ジレンマをもっていた。
一方で、そんな弱さを感じている自分だからこそ、どもる子どもたちをそのまま受け止められるのではないか。自信にあふれる教師ではなく、弱さをもっている、今のままの私が教員を続けることで、「どもって気にすることがあっても、大丈夫」、「話すことの多い先生にもなれる」、「どもりながら、いろいろなことができる」と、子どもたちに伝えられるのではないか。さらに、どもりを受け入れようとしつつも、まだ迷いのある私自身を、前に進めてくれるのではと思っていた。
田舎の小さな小学校、中学校に通っていた私は、まわりから、ごく自然にどもることを受け入れられ、いじめや、からかいもなかった。そのためか、どもる毎日の中で、嫌だなあ、治らないかなあと思っても、それが強い劣等感や、辛さにはならなかった。どもりは簡単には治らなそうだし、子どもの時代はどもっていてもいいが、将来に対しては、どもることを漠然と恐れ、しゃべることが多い仕事、たとえば学校の先生は無理だと思うなど、自信のない、不安でいっぱいだった。
教員になった私は、クラスの子どもたちには「先生、どもるんだ」と伝え、卒業式で言いにくい子どもの呼名に苦労する経験をしながらも、何とかやっていた。教師生活の中で、だんだんと、どもっている自分を認められるようになっていったが、教員をしていることが生きる自信には繋がらなかった。
そんな中、2008年夏、日本吃音臨床研究会主催の「吃音親子サマーキャンプ」へ参加したことが、私の転機となった。吃音親子サマーキャンプのことは、その2年ほど前から、ホームページで知っていて、行きたいとの思いはあったが、一歩踏み出す勇気がでなかった。その時、ことばの教室の先輩教員の「どもるあなたが、このキャンプに参加しないでどうするの」とのことばに後押しされてキャンプに参加した。どもる子どもの指導に役立てたいという思いが半分、自分をみつめる機会にしたいという思いが半分の参加だったが、自分自身を見つめることがすべてで、自分の魂を揺さぶられる経験をし、最後の全体の時間では、泣きながら、キャンプでの経験の感想を述べていた。
このキャンプには、生き生きと自分のどもりを語る子どもに加えて、スタッフとして参加した大人たちの、同じように語る姿があった。話し合いや作文、劇などキャンプの柱となっている活動を通して、子どもも大人も自らのどもりと向き合い、しっかりと悩み、自分の問題として取り組んでいることが分かった。その自分のどもりをありのままに口に出し、どもっても大丈夫と自然体で生きている姿に、何とも言えない魅力を感じ、心を揺さぶられたのだ。
子どもたちは、それまで私が考えていたような、かわいそうな弱い存在ではなかった。むしろ尊敬できる存在だった。大人である私も、あんなふうにどもりたいと思える魅力的な子どもたちに出会ったことで、自分の進む方向に確信を持った。
2 自分のどもりについて考え、語る力をつけたい
「吃音親子サマーキャンプ」に参加し、自分の吃音をすごく語る子どもたちを目の前にした時、私に課せられた課題は、自分自身を語ることばをみつけることだった。私は、子どもの頃から、大きく悩むことなく、何となくやってきたが故に、自分や自分の吃音と向き合いきれずにいたのだ。
キャンプ2日目、子どもたちの話し合いのファシリテーターをすることになり、私は、自分自身の吃音を子どもたちに話し始めた。そうすると、それに呼応するように、子どもたちからもたくさんのことばが出てきた。その経験から見えてきたことは、子どもたちは語る力を持ち、自ら語ることで、吃音に対する様々な考え方や生き方に、互いに触れ合うことができるということだった。
どう生きるかを見っめるためには、考え、語ることが必要だ。「吃音とともに豊かに生きる」ためには、自分のどもりにしっかりと悩み、語る力を育成することが大切だと考えた。
この私自身の気づきがベースになり、当事者研究やナラティヴ・アプローチの考え方も取り入れて実践を続けている。
3 どもりをみんなに知ってもらう―Aさんとの実践―
Aさんは3年生の女子で、通級を始めた頃、なかなか自分の考えや思いを話せなかった。また、話すのを途中でやめたり、答えが分かっていても手を挙げないなど、吃音が行動面に影響していた。さらに、「友だちが少ないのは、どもるからだと思う」「どもりが治らないと将来楽しい人生は送れない」「身近な人にどもりをできるだけ知られたくない」など、吃音を否定的に考えている様子もあった。
(1)どもることをまねされる
Aさんにとって、どもりで困っているのは、遊んでいる時に、「なななにして遊ぶ」と言ったことをまねされたり、発表した時に「変なしゃべり方だね」と言われたりすることだった。さらに「Cさんだけが、まねしたり嫌なことを言う」「Cさんは、いいところは一つもない。他の友だちもそう思っている」と、からかうCさんへの思いをぶつけてきた。
そこで、Cさんがどういう人か詳しく話してもらうと、いろいろ文句を言いつつ、ふと「Cさんは転校生だから私のことをあまり知らないかもしれない」という気づきが生まれた。すると、Cさんに対する嫌悪感が薄れ、私のことをよく知らないから、意地悪をするのかもしれないと思い始めた。さらに、「クラスの友だちは、まねをしたらだめだよと言ってくれる。味方もたくさんいたことも分かった」と、話し始めた。
こうした一連の会話の流れが、ナラティヴ・アプローチでいう「ユニークな結果」を見出し、新しい物語を紡ぎ出すことなのだろう。
その一方で、みんなが味方をしてくれるのは、「ことばの教室に行ってるのに、いじめたらどもりがひどくなると思っている」「みんな、私のことかわいそうと思っている」と話すなど、自分は人よりも劣っているという意識も伺えた。そこで、「ことばの教室に行っているのは知っているけど、Cさんもみんなも、本当はAさんのどもりのこと知らないよね」と、投げかけ、吃音を知ってもらうために、どのような方法があるか、話し合った。
Aさんからは「クイズにすると、みんなもよく分かる」というアイデアが出され、自分の知って欲しいことを、クイズ形式にまとめることにした。
Aさんは、どもるのは自分だけじゃないことや、原因や治療法が分かっていないこと、さらに自分はいつもどもるわけではなく、どもりやすい音があることなど、伝えていた。さらに自分がして欲しくないこともみんなに考えてもらい、自分の思いを知ってもらうことが、かなりできたようだ。
どもりクイズをクラスで実施した後、Aさんは「みんながちゃんと聞いてくれた」「クイズにもちゃんと答えてくれた」「みんなが手紙をくれたからよかった」と感想を話した。また、友だちからの感想の手紙に「どもりのことがよく分かったよ。Aさんが教えてくれなかったら笑っちゃってたかもしれなかったよ。教えてくれてありがとう」とあり、どもりをまねされることについて「初めて会った人にまねされても仕方ないけど、優しく、やめてねと言う」と話していた。悪意でまねをするだけでなく、どもりを知らないことで、つい笑ってしまうことがあることにも気がついたようだ。
(2)吃音について考え、表現する
どもりのクイズを経験したことで、どもりのことを話したいという意欲が高まった。その様子が、Aさんのちょっとしたことばの中に表れているように思う。
①授業中の発表
「サーカスのライオンの話を読んで発表した時、ライオンのじんざは空高く駆け登り消え去ったっていうところが、『そそそら高く』となった」と授業中の具体的にどもった場面を挙げ、その時の気持ちの変化について教えてくれた。そして「最初は嫌な気もちだったけど、そのまま全部の文を読んで、読み終わったときに『その考えと同じです』などのことばを、たくさんの友だちが言ってくれたので、最初の嫌な気持ちからだんだん普通の気持ちになった」と話していた。クイズの中でお願いした「ちゃんと、最後まで聞いてほしい」ことに、友だちが応えてくれたことが確かめられたようだ。
②どもりカルタ
自分の好きな「どもりカルタ」について話し合った。Aさんは「大人になったどもる人、いろんな仕事についている」を選び、その理由を「アナウンサーや有名人に自分は向いていないと思っていた。例えばアナウンサーだったら仕事の時にどもるとそのままテレビに映って、笑われたり、からかわれたりすると思っていた。だけど、どもる人たちが、話す、みんなに伝える仕事をしているのを知って、アナウンサーや有名人はたくさん話しながら仕事をするからたいへんだと思うけど、その仕事を自分もできるかもしれないし、してみたいなあと思えるようなったから」と話した。
③どもるかもという心配と人前で話したい気持ち
Aさんは、どもることが心配で積極的に人前で話すことができない気持ちと、人前で話したい気持ちについて、3年生と1年生の時を比較して、円の大きさで表現した。「1年生の頃はあんまり自信がなかったけど、3年生になったら、どもっても間違いじゃないと思えるようになった。そうしたら、話したい気持ちの円も大きくなった」「今はどもっても話を続けると、相手に通じるから、途中で止まるんじゃなくて、そのまま続けている。だから、心配の円は小さくなっている」と話していた。
なかなか自分のことを話せなかったAさんは、自分が作った「どもりのクイズ」をきっかけに、どもりや自分について語り、知ってもらうことが自分の生きやすさにつながるをことをつかみ始めたようだ。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/07

