苦労の専門家

 2012年秋の吃音ショートコースは、「当事者研究」をテーマに、北海道・浦河のべてるの家の理事である向谷地生良さんをゲストに迎えて行いました。そのときの様子は、金子書房から『吃音の当事者研究~どもる人たちが「べてるの家」と出会った~』として発行しました。
 今日は、そのショートコースの報告をしている「スタタリング・ナウ」2014.7.23 NO.239 より、向谷地さんと藤岡さんの公開面接の様子を紹介します。

  苦労の専門家
             向谷地生良 北海道医療大学教授・浦河べてるの家理事
             藤岡千恵  大阪スタタリングプロジェクト

向谷地 いわゆる当事者研究の場面はさまざまで、廊下での立ち話から、電話やメールでの当事者研究、そしてみんなでワイワイするスタイルから、即興的にその場、その場で当事者研究的な出会いをします。その意味では、「何が大切か」当事者研究は形がなく、場所を選ばない。どんな場面、状況でも、そこで自分自身が、互いに、意味のある「いま」を創造するために考える、知恵を出す。
 それは、決して常にアクティブな形ではなく、「信じる」という一見わかりにくくて、消極的とも見える仕方で、その場に立つことを志向する。
 今日も突然こんな形ですが、よろしくお願いします。ここに集まっているみなさんはいろんな経験や苦労を生き抜いてこられたスペシャリストだと思います。吃音のテーマは広いと思いますが、藤岡さんはどの分野の”苦労の専門家”だと思っていますか。
藤岡 今の私の大きなテーマは「うつ」で、生きることにしんどさも感じています。
向谷地 それは現在進行形で藤岡さんに重くのしかかっている感じですか?
藤岡 はい、重くのしかかって「しんどいなあ」と思いながら、今、生きています。
向谷地 いつ頃から「うつ」は藤岡さんに“おじゃま”したんですか?
藤岡 今、私は35歳ですが、私のもとに来たのは多分21歳頃です。当時私は吃音を治したくて大阪吃音教室に参加しました。吃音教室は「吃音を治すではなく、吃音とつきあう」のスタンスで、当時の私はどもることにとても抵抗があり、「大阪吃音教室は自分には合わない」と足が遠のきました。その後「吃音を治すために催眠療法を受けてみたい」と思いました。
向谷地 吃音は催眠療法で治るんですか?
藤岡 当時の私にはそれもわからなかった。「催眠療法で吃音が治るかもしれない」と思い、書店で催眠療法の本を読んでもわからなかったので、「心療内科にいけば催眠療法を紹介してもらえるかもしれない」と思いました。22歳くらいのことです。医師に吃音の悩みを伝えて「催眠療法を受けたいので紹介してほしい」と言ったら、その医師は「催眠療法はあまり薦められない。それより、あなたには薬の服用が必要です」と言われました。
向谷地 お医者さんは吃音に対して薬を処方しようとしたんですか?
藤岡 吃音が原因の不安障害だと診断されたようで、吃音に対してより、不安障害に対する処方だったのだと思います。
向谷地 若干「うつ」に近い不安障害で薬を処方されたんですね。
藤岡 精神科の薬を最初に飲んだ時は憂うつな気持ちがパーっと晴れるような感じがしました。「よくわからないけど薬が効いたのかもしれない」と思い、先生にそのことを伝えたら服用を継続することになりました。でも気分が晴れたのは最初の数週間だけでその後は晴れたことはほとんどなかったように思います。
向谷地 一瞬気持ちが晴れたんですね。薬は飲み続けたけれど日が陰ってきたという感じですか。その心療内科にはどのくらい通ったのですか?
藤岡 4、5年通いました。
向谷地 それで吃音はどうなったんですか?
藤岡 私は人前でどもりたくないがために吃音をコントロールすることに慣れて、先生の前でもどもれませんでした。なので、いくら先生に吃音の悩みを伝えても「あなたはどもっていないから大丈夫。心配しすぎですよ」と言われていました。
向谷地 全然どもっていないから「あなたの思い過ごしだ」と言われたわけですね。先生の前でどもれない状態になったわけね。それと「うつ」とはどう繋がりますか。
藤岡 当時私は保育士だったのですが、どもりを必死に隠して保育をしていました。「どもりがばれたらどうしよう」と毎日びくびくでした。保育園では子どもに絵本を読んだり、保護者と会話したり、しゃべらないといけない場面がとても多く、そんな毎日で気持ちが消耗していたのだと思います。その頃は、自分が「うつ」という認識はなかったのですが、「薬を飲んでいれば憂うつな気持ちもそのうち晴れるだろう」と心療内科に通い続けました。
向谷地 精神科の薬で気分が一瞬晴れたことがあり、それから5年間服用を続けた。その後気分はどうなったんですか? ずっと曇りっぱなしですか? それとも晴れたり曇ったり?
藤岡 その後の人生、気分が高揚してバラ色になることもあれば嵐になることもあり、安定せず10数年すごく忙しい人生でした。
向谷地 「うつ」の背景には吃音のテーマがあるわけですよね。「うつ」は誰から言われたんですか?
藤岡 最初の病院を転院してから何度も病院が変わり、ある医師に「あなた『うつ』です」と診断されました。ほかに「不安障害」「社会不安障害」の診断名もつきました。
向谷地 「うつ」は今、藤岡さんにとってどんなふうに重要ですか?
藤岡 いつ大きな「うつ」の波がやってくるのか想像がつかないから、明日の自分の状態が想像できないということがとても不便です。
向谷地 その「うつ」の波を数値で表したら今はどれくらいですか?
藤岡 平穏な状態をゼロとしたら、今の状態はマイナス2.5ぐらいです。
向谷地 今はマイナスということは水面下なんですかね。なるほど、これはかなり辛い状況ですか?
藤岡 一番辛い状態はマイナス5の状態なので、それよりはちょっと楽です。
向谷地 水面上にも高くなると、どれ位まで高くなるのですか?
藤岡 最大はプラス5です。
向谷地 プラス5になるとどんな現象が起きるんですか? 買い物が止まらないとか。
藤岡 ハイテンションになります。最初にプラス5の状態になったと認識しているのは28歳の時です。それまで低迷していた気分が、その時期にはすごく元気になり、何でもできるような気がしました。それまで就いていたデザインの仕事が行き詰まって方向転換したいと思っていたので、書店で資格の本をかたっぱしから読み、自分にはいろんな事ができる気がしました。その時に「保育士に戻りたい」と思い立ち、保育園の採用試験を受けて保育園で働き始めました。
向谷地 こういう類の万能感を持つ人は、「俺は世界で一番の天才だ」「俺を中心に世の中が回っている」と感じて突っ走ることです。しかしそういう人たちと比べると藤岡さんの場合は非常に現実的で慎ましいですよね。それで保育士に復帰してどうなったんですか?
藤岡 保育士はブランクがあったので最初は現場での仕事についていけなかった。毎日仕事を持って帰り、同時に子どもの発達など専門知識の復習もしていたので、睡眠時間は1日3、4時間くらいでした。
向谷地 その時はそれぐらいの睡眠時間でもあまり疲れを感じなかったのですか?
藤岡 復帰した当初は夢中で疲れを感じなかったのが、2カ月くらいで疲れを感じていたように思います。プラス5から一転したきっかけは子どもにけがをさせたことでした。乳児4人を私1人で、園庭で保育していた時、一瞬目を離した時に、1人の男の子が転び、ブロック製の花壇の角に顔をぶつけました。子どもが「ぎゃー!」と泣いて顔から血を流しているのを見て私はパニックになりました。すぐに主任や他の先生が駆けつけて幸い大きな事故にはなりませんでしたが、私は恐怖心から震えていました。子どもの保育をすることが恐くなり、翌日園長先生に「しばらく休ませてほしい。今の自分には保育をする自信がない」と伝えました。
 休職してすぐに当時通院していた病院に行ったところ「心身ともに消耗しきっていますね。ガソリンが空っぽに近い状態のまま気力だけでアクセルを踏み続けていたようなもので、無理がたたってドーンと落ちたのでしょう」と言われました。
向谷地 プラス5からマイナス5に落ちたということですね。こういう苦労が今まで続いていたということですか? ご自身は「うつ」だと言われていますが「躁うつ」ではないですよね。
藤岡 それもちょっと分からないですね。
向谷地 わからないまま医師から処方された薬を飲んでいるのですね。藤岡さんの苦労の全体像が時間の経過の中で少し見えてきました。藤岡さんは「吃音」を研究テーマに研究をしようとしたところ、最初に「うつ」をテーマとして出された。「うつ」と「吃音」は何か繋がりがある、影響し合っているとお考えですか?
藤岡 今の私の「うつ」には吃音は影響してないと思っていますが、これまで吃音を隠し、長期間自分を抑圧してきたことが「うつ」に影響しているだろうと思います。
向谷地 長い間吃音を隠していたストレスや負荷が「うつ」と繋がっていると感じている。藤岡さんは今も吃音を隠しているんですか? そうは見えないですが。
藤岡 今は吃音を隠してない。オープンです。
向谷地 吃音をオープンにしている今は「うつ」はどうなるんですか?
藤岡 これまでは「薬を飲み続ければ、いつか心の状態は良くなるだろう」と楽観的に考えていました。それが28歳くらいの時にふと「心の状態が良くならないのは吃音を隠して生きているからかな、この先も吃音を隠し続けていれば、死ぬまで薬を飲み続けないといけないかもしれない。死ぬまでこんな状態が続くなんて耐えられない」と思った時に大阪吃音教室の存在を思い出し、再び教室に通い始めました。
向谷地 新聞広告にも「うつは心の風邪です」と出ていますよね。心の風邪と言われたら、薬を飲めばすぐに治るような、そういうイメージがありますね。「吃音を隠して抑圧しているものが『うつ』のエネルギーになっているかもしれない」と気づき、28歳の頃に吃音教室に復帰されたのですね。それから「うつ」の波は何か変化がありましたか?
藤岡 それが波はそんなに変化がないです。再び大阪吃音教室に通い始めた頃の私は新聞社に勤めていました。職場でも吃音のことは上手に隠しながら、なんとか仕事をしていました。
向谷地 演習の時間に藤岡さんが紹介されていた「小技」を駆使してなんとか仕事をしていたんですね。先程のお話の中で、「(言いかえなどの)小技はものすごくエネルギーを遣う」とおっしゃっていましたね。その小技は、今は止めているんですか?
藤岡 止めています。先月から新しい会社に入社しましたが、そこでは吃音をオープンにして面接を受けました。職場でも吃音のことを伝えています。
向谷地 藤岡さんは28歳でこの会に復帰しただけではなく、職場で小技を遣うことも止めたのですね。小技を止めてから「うつ」に変化はありましたか?
藤岡 「大阪吃音教室の人たちと一緒に自分の吃音と向き合えたら『うつ』もきっとよくなるだろう」と思っていました。吃音と向き合い始めてからも「うつ」は相変わらずの状態です。
向谷地 今、藤岡さんがおっしゃっている「うつ」とは具体的にどういう状態のことを言うのですか?
藤岡 「うつ」の波が深くなると、日常生活のあらゆることがとても億劫になり、それをすることがとても難しいと感じます。普段は当たり前に出来ている、歯を磨いたり食事の用意をしたりお風呂に入ったり人に会ったりするようなことがとても億劫に感じます。
向谷地 水面下のマイナスの状態になると生活のあらゆることが億劫になるのですね。では、ゼロから上の状態になった時はどうですか? 何事も軽快にできる?
藤岡 軽快にできます。
向谷地 なるほど。ところで、今の「マイナス2.5」の状態の居心地は?
藤岡 居心地は、それほど悪くはないです。
向谷地 マイナス2.5のレベルでは、まあ大丈夫ということですか?
藤岡 1週間前の土日はレベルがマイナス4.5だったので、この吃音ショートコースにも参加できないかもしれないと思っていました。マイナス2.5だと今のように大丈夫です。
向谷地 今、藤岡さんはホワイトボードにグラフを書きながら話をしていますが、これまでこのようなグラフをつけられたことがありますか?
藤岡 こういうふうに数値で表すことは、今年の夏から始めました。
向谷地 まさに、研究ですね。つけてみてそこから何か見えてきましたか? 何かわかったことはありますか?
藤岡 まだそこまではいっていないですね。
向谷地 そういう意味では「波が意味するところから何が見えてくるか」はひとつのテーマですね。今までのお話を伺って、私の中に最初に芽生えた関心は「吃音を隠したりコントロールする小技を駆使していた時のエネルギーが『うつ』のさざ波になっていないか」ということです。しかし「会に復帰し小技を使うのを止めても『うつ』の波は変わらない」ということで、その仮説が崩れました。そうなるとこの波に影響を与えている力は何でしょうか。
 べてるのメンバーもよくこういう研究をしています。彼らは波に影響を与えている要因のことを「お客さん」と呼びます。結構派手なことをやっている人が「自分ってだめじゃないか」「何をやっても上手くいかない」「自分はだめだ」と、知らないうちに自分で一所懸命に波を起こしているメカニズムを発見しています。いろんなものが影響している可能性がありますが、今の時点で、自分の中では何が波に影響を与えていると思いますか?
藤岡 吃音が原因ではないのは確かです。大阪吃音教室では認知行動療法や論理療法、アサーションなども勉強しています。教室で学ぶ中で私は自分が「すごくくよくよする」「人のことをすごく気にする」「人に良く思われたい気持ちが強い」と気づきました。自分の人生なのに、ずっと他人が主人公になっていたのだということにも気づきました。
向谷地 ということは、「人のことが気になる」「他者評価」が今日のテーマですかね。べてるのメンバーもよくそのテーマを研究で扱っている人は多いですね。そこにものすごくエネルギーを遣う。あとは「くよくよさん」ですか。「くよくよ」は得意ですか?
藤岡 「くよくよ」も得意だし、マイナスの感情をほじくり返すのも得意です。(笑)
向谷地 そうですか。「マイナスの感情のほじくり」もいいですね。何か痛々しい感じがしますからね。ようやく治りかけた傷口のかさぶたを自らはがすということですからね。藤岡さんは吃音の小技以上にいろんなすごい小技を持っている。小技というよりも中技ぐらいですよね。「くよくよ」「ほじくり」という技を持っていることがわかりました。これはいつから得意だったのですか?
藤岡 小学校ぐらいの頃から得意でした。
向谷地 小学校時代から培った「くよくよ」「ほじくり」のいいところはどういうことですか? 何か役に立ちますか? 普通はマイナスの感情はあまり触りたくない。でもそのマイナスの感情をあえてほじくるわけですから、何かいいことがあるんじゃないですか?
藤岡 小学校時代を振り返ると、「とにかく吃音のことを考えたくなかった」ということを思い出しました。
向谷地 ということは「マイナス感情のほじくりの技を遣っている間は吃音のことを考えないで済む」ということですね。自分と吃音の間に壁ができる。吃音を考える時間を減らすためにマイナス感情のほじくりをしていた。りっぱな、”自分の助け方”をしてきたんですね。
藤岡 小学校時代に吃音のことを考えたくないから「くよくよ」や「マイナス感情のほじくり」をしていたということは、今、向谷地さんと話している中で「もしかしたらそうだったのかなあ」と思っただけですよ。
向谷地 そうですか。それもすごい。その意味では、これは小技以上に結構な「大技」ですね。かなり効き目があったわけですね。
藤岡 どういうことですか?「吃音のことを考えなくて済む」という効き目ですか?
向谷地 そうですね。「マイナス感情のほじくりをすると吃音に蓋ができる」ということを、藤岡さんは生き抜くためにやってきたんですね。
藤岡 でもそれはさっき気づいたことですよ。
向谷地 それにしても、「くよくよして自分のマイナスの感情に浸っていると『吃音』という自分のテーマにシャッターが下りる」というのはすごいですね。これを1つの技だとすれば、「うつうつとした感情」や「マイナス感情」は、「うつ」につながっていきませんか? 小学校時代に編み出した大技を、習慣的に今も延々と使い続けている。でも今はこの「マイナス感情のほじくりかえし」はもう必要ない。昔はお世話になったけれど、今になって気づくぐらい、とっくに忘れてたものですからね。
藤岡 あ、はい。今、向谷地さんとお話をしている中で「癖みたいな感じになっている」と分かりました。癖になっているから、吃音には悩まなくなっても今でも出てくる。
向谷地 そうか。一種の癖なんですね。藤岡さんの身体の中に「藤岡さんを吃音という苦労から守ろう」という身体の守り神みたいなものが存在していて、今もしっかりと護衛のように藤岡さんを従順に守り続けているわけですね。何か愛着を感じませんか? 一所懸命「うつ」が守ってくれているわけだ。何か名残り惜しくないですか?
藤岡 うん、そう言われたら。(笑)
向谷地 いろいろ策を講じてみて自分で小技を磨いてみたりこの会に復帰したりしたけれど何も変わらない。吃音の視界が全部クリアになったにもかかわらず「うつさん」が自分に張りついて離れない。「これは一体どういうことなんだろう」と過去をさかのぼってみたら、「子どもの時からずっと藤岡さんを一所懸命守ってきた」という歴史が見えてきましたね。どうしますかね。この「うつさん」とのつき合いは。
藤岡 「うつさん」とはずっとお別れしたいと思っていました。吃音とは上手につきあえるようになりましたが、「うつさん」とは上手くつき合えないし、私には扱いきれない。
向谷地 というよりも「いろいろお世話になったけど、これからは自分でやってみたいと思うのでそろそろ『うつさん』から自立したい」という感じですかね。べてるの、統合失調症を持っているメンバーさんは、最初は何かあるとすぐに幻聴さんが自分のもとにやってくる。でも浦河で仲間ができて話し相手が増えると、これまで自分に張り付いていた幻聴さんから「そろそろあなたから自立するよ」と自立を宣言されるそうです。「そうやって宣言されると困る」という人もいます。ここにいる皆さんがもし「うつさん」だとしたら、「役割を終えたようだからそろそろ自立しようか」というような気配を感じませんか? 私が「うつさん」だったら、堂々と喜んで自立したいなあと思います。藤岡さんも「うつさん」との自立を期待して求めていらっしゃるんですよね。次の研究テーマとして「うつからの自立」というのはどうですか?
藤岡 そうですね。実は、2、3年ぐらい前までは「うつさん」と完全にさよならをしたかったのですが、最近では、薄々「さよならはできないんじゃないかな」と感じていて、「もしかしたら吃音みたいに一緒に歩いていく方法も考えたほうがいいのかな」とも思い始めているところです。
向谷地 なるほど。仮に「うつさん」が藤岡さんから自立して、一時的に卒業したとしても、藤岡さんというご主人様の身に何かがあったら「うつさん」はきっと飛んできますよ。「ご主人様、お呼びですか?」ってね。(笑)幻聴さんも同じで、「お別れした」と思っても、その人がものすごく自分を責めたり、何か大きなプレッシャーを感じたりするとまた幻聴さんが自分のもとにやって来て助けてくれる。その意味では、この「うつさん」との自立もおもしろいですね。永遠の別れなのか、それとも「また何かあったら頼むね」みたいな感じなのか。どんな印象を感じていますか?
藤岡 調子がいい時はいいんですけど、うつのしんどい症状が出てくると本当に不便です。やりたいこともできないし。
向谷地 不便ですよね。だから早く卒業したいんですね。提案ですけど、ぜひ藤岡さんはこの卒業の仕方を研究したらいいと思います。例えばリストカットや食べ吐きをしていた人が「昔はこんな状況だったら絶対にリストカットしていたよな」とか「こんな時は食べ吐きしていたよな」とか「こんな時は絶対うつになっていたよな」という場面に遭遇しても「あれ? 最近落ち込まないな」とか「リストカットができない」とか「食べ吐きが下手になってきたな」ということがよく起きています。もしかしたら藤岡さんも「うつ」が”下手”になるかもしれませんよ。以前だったらこういう時は落ち込んでいたのに、涙のお別れをした後はだんだん「うつ」になれなくなってきた。その代わりしっかり当事者研究した後は、今まで病気の力、うつの力を借りて解消していたものが、自分が自分の力で、仲間の中で現実的に少しずつ解決していけるようになる。「簡単に使っていた『病気』という避難場所がだんだん閉鎖されているような感覚」だと、べてるのみんなは言っていますよ。みなさん、よく見ていてくださいね。「うつ」という避難場所が藤岡さんの中でどんなふうに変化していくが、とても興味深いです。一年経ったら閉鎖されていたりして。叩いても開けてもらえなかったりするかもしれませんね。
 ポイントは「子どもの頃から、マイナス感情や抑うつ感みたいなものが、吃音の苦労を自分から切り離すためにがんばってくれていた」ということ。そしてそれが今も引き続き藤岡さんを守っているということ。ひとつのつい立てのように、今もつきまとっていると考えていいですかね?
藤岡 はい、これまではそう考えたことは全く無く、自分にとって「うつ」はすごく厄介で怖いものだと思っていました。でもこうして振り返ってみたら、小学生の自分なりに、私は自分を守るために自分ができる最大限のことをやってきた。その結果なのだと思いました。
向谷地 そうですね。ずっと自分を助けていたのですね。当事者研究の中では、「こういう『うつ』や『一見自分にとってはいてほしくない感覚の苦労』とお別れする時には喧嘩別れしない方がいい」とか、「むしろ感謝した方がスムーズにお別れできると」いう先行研究もあります。ぜひ参考にしていただき、藤岡さんなりの自立を試してみられたらいいかもしれないですよ。このセッションも「うつさん」はちゃんと聞いていますからね。もし、私がこの「うつさん」だったら「自分が今まで藤岡さんを守ってきたことが、やっと藤岡さんに伝わったんだ」という気分になったかもしれないです。今日は無茶振りしてすみませんでしたね。何か感想がありましたら、どうぞ。
藤岡 今の私は「うつ」が最大のテーマだったので、当事者研究の機会をもらえてありがたかったです。今まで私にとって「うつ」は恐い存在で、「うつ」に翻弄され、身も心もへとへとになっていたのですが、この研究で過去をさかのぼって点検してみたら、向谷地さんのことばで語られる私の「うつ」は「実はそんなに悪い奴ではないのかな」と思えました。ありがとうございました。
向谷地 一般的に「うつ」の問題は、なるべくご本人を傷つけないように、過去の苦労に触れないように配慮をするのかもしれませんが、今日、私はそういう配慮を全くしないでやりました。自分の大事な苦労を自分の前に置いてみると、一見「なければいいのに」と思っていた苦労が、よく見てみると「結構大事なものだったんだ」と感じる。そんな雰囲気がありますよね。この「うつさん」もよくがんばって、今まで藤岡さんを守ってきたので、藤岡さん自身がよく生きてきたんだということを、今日は感じました。
 藤岡さんありがとうございました。ここまでで質問や意見、感想がありましたらどうぞ。

参加者 自分の問題と関連して自分もいろいろ動いて自分を見ている感じがしていました。私は吃音の大変さから自分を助けるために小学校の時からよく嘘をついていたことを思い出しました。今までは「嘘つきはいけないことだ」と思っていたのですが、一緒に研究しながら、私の場合は小学校の時から嘘をつく形で自分を助けていたんだと今、自分の中で落ちました。私の「嘘つきさん」には自立してもらってもいいなあと思いました。
参加者 私も数ヶ月前に病院に行った時、二カ所で「うつ」と診断され薬を処方されたのですが、「うつ」を認めたくなくて薬は飲まずに、病院にも行っていません。もしあのまま通っていたら「どうにかなる」と薬を飲み続け、うつになっていたと思います。今も時々、その頃のような感覚になる時もあり、私が「うつ」ではないとは言い切れませんが、なんとかやっています。
向谷地 私は、人間が生きていく上で、うつ的になったり、やる気が無くなったり、虚しいと感じたすることのほとんどは「正常な不安」で、人間の有様、社会の現状、そして、人間の歴史を振り返ると、目を背けたくなるようなことばかりのような気がします。その意味で、私たちは、”もっと落ち込む必要がある”と私は思っています。
 先日、ある大学の先生が、中学1年生を対象に「何かやる気がなくなったりしますか?」とアンケートを取ったら、何割かが「うつ」だったと新聞にセンセーショナルに出ましたね。実は、私はその新聞記事を読んだ時にちょっと違和感がありました。中学校、高校はいろんな意味で悩む時期で、悩まなければならない時期、動揺する時期でもあります。それをただ、「うつ」とひとくくりにするはもったいない。それが今の精神医学の問題でもあります。診断するメリットもあるのでしょうが、表面的に見てこれは「○○病です」と安易に診断する風潮に対して、むしろ市民の側からそこに人間として営みなどを問い返し、語り返していくことが必要なんじゃないかと思っています。
 人の営みとしての正常な、ある種の落ち込みや人間的な味わいを一切今取り払って「朝起きたらゆううつ」「時々気分が落ち込む」など、表面的な症状だけをチェックして「うつ」という病名が自動的について、自動的に投薬していく形になっている。だから「私は『うつ』じゃない」「いわゆる『うつ病』だと思われることが心外だ」という感覚は、病気を拒絶しているとか、していないとかいうのとは違う次元の大事なことだと思います。
参加者 「うつ」が、途中で「うつさん」と「さん」づけになったらすごく雰囲気が変わった。藤岡さんが途中から「うつさん」と言った瞬間に表情が変ったのがおもしろかった。研究のテーマやネーミングで「さん」づけのことばを使う背景、意味があれば教えて下さい。
向谷地 家族療法の流れから生まれたナラティヴ・アプローチに、「外在化」というのがあります。見えにくいもの、表しにくいものを、擬人化したり、何かに置き換えたりして、距離感を持って理解するというアイデアです。浦河では、ナラティヴ・アプローチは、知らなかったんですが、「幻聴」を「幻聴さん」と言ったり、抱えにくいエピソードを「さん」付けしたり、何かひとつのものに置き換えたりして笑ったり、自分にとって持ちやすいものに変えるという文化をずっと育んできました。厳しい現実を生きる人たちの知恵だと思います。しかし、そういう分野の研究者たちが浦河に来て、「これは○○アプローチだ」「○○アプローチに似ている」と言い始めた。実は、日本社会でも昔は、辛さを踊りに変えたり、出し物にしたり人形にしたり歌ったりして、抱えやすい形でみんなの中の生きづらさや苦労を分かち合ってきたと思うんです。生活の中に科学的、理性、常識という感覚でそぎ落としてきたようなものをもう少し大事にして、私たちの生活の中に取り入れてもいいんじゃないかと思っています。
 その他に、浦河では反転といって「くよくよする」ということばひとつにしても、「いつからくよくよしていますか?」と尋ねるのではなく、「いつから『くよくよ』が上手になりましたか?」という表現、ことばつかいにして尋ねることをしてきました。常に前向きな意味を探したり、そこに前向きなフレーズを挟んだりしながら聞いたり話したりするということを私たちはやってきました。
参加者 私も何年か前に精神的にしんどくなって熱も出たので、大きい病院の内科に行ったら「内科的には異常はないから精神内科に行ってください」と言われた。当時、精神科は敷居が高くて行かなかった。その時はすごく忙しくて仕事に一所懸命がんばっていたのが、同僚の教師が「そんなにがんばらなくていいよ。しんどかったら休みな」と言ってくださり、精神的にも楽になって、少し休んだだけで仕事にも復帰できた。しんどい時に誰かまわりの人に少しでも支えてもらえるといいなあと感じました。今日もいろんなみなさんの体験を、みんなで共有できたことがすごくよかったです。
向谷地 はい、ありがとうございます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/29

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