基本設定の吃音
東京での合宿と東京ワークショップ、その翌日の立川志の輔さんの落語のことを紹介して中断していた「スタタリング・ナウ」2014.5.20 NO.237 の紹介に戻ります。
「基本設定の吃音」ということばが、今、紹介している「スタタリング・ナウ」の前後によく出てきます。これは、吃音を治そうとすればするほど、悩みの中に落ちていく経験を重ねてきた、多くのどもる人たちの経験をもとに考えたことです。吃音は、治そうとか、改善しようとかせず、そのままどもるままに生きていけるよう、最初から基本設定されているのではないかということです。大阪吃音教室で、そのものずばりのテーマで話し合いをしました。参加した人たちが、自分の経験を語っています。「基本設定の吃音」、まさにそのとおり!と言いたくなるようなエピソードが満載です。「スタタリング・ナウ」2014.5.20 NO.237 で報告している、2014年4月18日の大阪吃音教室の様子を紹介します。
基本設定の吃音 大阪吃音教室での話し合い 2014年4月18日
報告:大阪スタタリングプロジェクト 藤岡千恵
「僕たちは吃音とともに生きていけるように基本設定されている」と聞いた時、そのことが自分なりにすんなりとわかる気がしました。また、講座の中でたくさんの人が話したエピソードは「基本設定の吃音」の視点で考えてもピタリとハマる感じがしました。私がこれまで仲間から「自分には”自分を助ける力”があるんだよ」ということをいろんな角度から教えてもらった蓄積が自分の中にもたっぷりとあるからだと思います。崩した基本設定をもう一度信じて生きることで、”自分の命を生きる”力も、しっかりと育まれていく気がしています。
伊藤 僕らは、吃音を治す、改善は考えていません。吃音を治す試みは、100年以上、世界中が失敗してきたことです。「治らない、治せない」ものに、「完全には治らなくても、少しでも軽減する」と考え、努力することはとてもしんどいことです。
今日、51歳の女性から電話がありました。母親が長女の吃音を治すために、次女の彼女も連れてスピーチクリニックに行った。長女は、どもらなくなったが、次女がどもるようになり、母親からの精神的な虐待に悩んできたというのです。
その後、彼女は脳梗塞になり、膠原病も発症し、「脳梗塞も、膠原病も、吃音の悩みのストレスからきた」と考え、どもりを治そうとしてきたが、僕の本で、考え方が変わり楽になったそうです。
法然
伊藤 4月号の、櫛谷宗則さんの、「伊藤さんは、吃音のいのちを生きている。吃音に導かれ、吃音にいろいろなことを学んで吃音とともに生きてきた」との文章を何度も読んでいた時に、もともと、人間は吃音とともに生きていけるように「基本設定」されているのではと思い至りました。僕は浄土宗の開祖、法然上人の「念仏を唱えるだけで救われる」という考え方が好きなのです。「阿弥陀仏があなたを救ってくれるということを信じて『念仏を唱える』と決意した時に、すでにあなたは救われている」という考えです。
ディビッド・ミッチェル
伊藤 去年6月のオランダのどもる人の世界大会で、世界的に有名な小説家デイビッド・ミッチェルさんがこんな話をしました。
「どもりを殺してやりたいと、長年、戦ってきたが、戦えば戦うほど自分が壊れていった。絶望して、自分の遺伝子まで壊してしまう、吃音との戦いはやめよう、自分自身でもあるどもりと戦うのはやめよう、内戦はもうやめようと白旗をあげた。「君はいてもいいよ」と言うと、どもりも「あなたもいていいよ」と言ってくれた。こうして和解をしたら幸せになれた」
僕は今まで、吃音が変化していくのはその人が持っている自己免疫力、自然治癒力だと言ってきました。それは、吃音と気づいたときから、すでに僕たちの体の中に備わっている、コンピューターで言えば初期設定、基本設定として、どもりとともに生きていけるようになっているんじゃないかという考えに結びつきました。
リウマチ
伊藤 僕は三年前にあるグループで知り合った、リウマチで苦しんできた人から、その痛みがどれだけすごいかの話を聞いて驚きました。その人の場合は、「ガーン」と殴りつけられたような痛みが24時間続き、痛みに耐えることで気が狂いそうになる。それでも人間の体は不思議なもので、その痛みにすら耐えるようになっていく。しかし、強い痛みを伴う人生はつらい。だから「この痛みとともに生きるのは、人間として簡単なことではない」と、医学の分野で、治療法や痛みを和らげる薬が開発される。彼は薬が合ったのか、今はずいぶんと痛みは楽になっています。
「どもりは何だろう」と考えると、痛みも痒みもない。「からだ」としてのつらさはない。「あなたたちは吃音とともに生きていけるように基本設定してあるんだよ」ということではないかと思いました。僕も、3歳の頃からどもっていたけれど、基本設定のために、小学校2年生までは、悩むこともなく、平気でどもって、元気に生きてきた。
どもりながら生きることは誰にでもできるということは間違いない事実です。治したいと思う人も実際にどもりながら生きています。今日は、『基本設定の吃音』のエビデンス、証拠を考えてほしいのです。僕の根拠は、小学校2年までは平気で、どもりながら生きてきた。皆さんの中に「私にも、どもりとともに生きていく力が備わっていたんだな」と思えるような経験があれば教えて下さい。
川崎 僕も物心ついた時からどもっていました。幼稚園の時に親に吃音矯正所に連れて行かれ、その時から「どもったらあかん」と思っていました。症状としては軽かったのですが、難発で名前を聞かれたら言えない。「お名前は?」と聞かれても全く言えなくて、すごくつらかった。長い間どもりを否定してきたのが、大阪吃音教室に来て、「どもってもいい」と思えた。僕は、どもれるようになって基本設定にやっと戻ったという感じです。どもらないで言うことはできないが「どもれば言える」ことがわかりました。それがわかるまではしんどかった。悩んでいた時は、人生のほとんどのエネルギーを「どもりを隠すため」に、「どもらないように」に全エネルギーを注いでいた。
伊藤 設定が狂ったのは、今の川崎さんの話では、親が「どもっている益彦ではだめだ」と、吃音矯正所に連れて行ったことで、親から「あなたの基本設定はだめなんだよ」と言われたようなものですね。自分もその考えを取り込んで、吃音を否定し、基本設定が狂ったのですね。
基本設定が狂うと様々な問題が起こってきます。今話していることは、これまで僕らが話をしてきたことの延長で、新しいことはないのですが、考える視点としてひとつ言えるのは「もともと持っているものをいじるなよ」ということですね。
西田さんのエピソード
西田 僕は、隠せない状態で、人前でどもること自体は恥ずかしくなかったが、「自分で自分のことばを話していない」ことに悩んでいた。話す瞬間に「今、このことばをどもらずに言えるか」を毎回必ずチェックする。どもると判断した時には常に代わりのことばを代用した。ことばのバックアップリストをあらゆる瞬間に用意することにエネルギーの大半をとられていた。それを続けているうちは「自分は永久に、自分のことばの主人公にはなれない」と思った。自分の表現をコントロールすることがつらかった。ある時「それをやめて、最初に思いついたことばを話そう」としてみたことがあります。すると、「自分はどもりを克服した」と同じくらいの爽快さでした。
しかし、電話相談の事業での電話がかかってきた時に、そのやり方で会話をした時に、あまりもどもるので、「電話の相手は聞きづらいだろうな」と気づきました。初めて、他者と出会った感覚でした。自分のどもりと対話をし、相手とは対話をしていなかったことに気がついたのです。相手に自分の話したいことを伝えるには言い換えてもいいと思った。相手のために、ことばのチェック機能をフル回転させようと思ったら、不思議なことに言い換えが嫌ではなくなった。曇りガラスの曇りがとれたような感覚を味わい、初めて「人と向き合える状態」になった。
自分に備わっているものを否定するか、一緒にやっていこうと思うかで、楽さが全然違うと思う。
言い換えについての話題
村田 西田さんのように強く意識はしていなかったが、中学生の頃には上手になっていました。
藤岡 私も言い換えに、フル回転していたが、チェック機能が働いているとの意識はなかった。
伊藤 自動制御システムが二人とも働いていたわけですね。西田さんのは性能が悪かったのかな(笑)
デイビッド・ミッチェルさんも、ことばの言い換えに悩み、「犯罪行為だ」とまで言っていました。13歳の年齢なら絶対に使わないような難しいことばを使ったら、子ども同士の会話が成り立たない。彼も結局、言い換えにOKを出すことで、小説家として成長した。西田さんは頭が良くて、ことばの言い換えを考えられたけれど、そこまで頭が良くない僕は逃げの一手しかなかった。無意識のうちに言い換えをしてきていたので意識はなかった。覚えているのは、小学校1、2年の時、八百屋で、「たまご」が言えなくて「鶏卵、下さい」と言って変な顔をされたことくらいで、後はどんなことばを言い換えてサバイバルしてきたのかは全然思い出せない。
川崎さんの技
伊藤 川崎さんの場合は親からどもることを否定されたことで、どもらない自分を設定しようとした。川崎さんは親の前でどういう技を使ってどもらないようにしていたのですか?
川崎 僕は、しゃべりませんでした。だから困るんです。電話でも言えなくなったら切るとか。会社勤めを始めてからも、電話の相手に「会社の住所教えて下さい」と言われた場合、言えずに気まずくなって切っていました。そんな自分を無力だと思いました。だからそのことを考えないようにしてきました。
基本設定を阻むもの
伊藤 誰もが吃音とともに生きていけるように基本設定されているものを狂わすものは何なのでしょうか。
佐藤 4年生の頃、母と担任の先生と私で三者懇談をした時、母が先生に私の吃音のことを相談していたのを聞いた時に、自分が吃音ということがわかり「吃音はダメなんだ」と感じました。
伊藤 僕の場合は小学校2年の担任教師が、「どもるお前はだめだ」と烙印を押した。本人が自分で気づいて「俺はだめな人間だ」と思うよりも、周りからのまなざしによって、人は「この基本設定ではだめなんじゃないか」と思うのですかね。
上殿 私は、小学校の時に本読みがうまくできなくて、担任が親に「本読みの練習をさせて下さい」と言ったそうですが、学生時代はそんなに悩んでいなかった。社会人になって同僚から「早く言えるように練習しろ」「社名が言えないのは社会人としておかしい」などと言われ悩み始めた。
藤岡 私は、親、特に父から言い直しをするように言われた。「お、お、お父さん」と言ったら、父に「もう一回、ゆっくりと”おとうさん”と言ってごらん」と言われて、気をつけて「おとうさん」と言ったら「よしよし」と拍手されていました。自分の中で違和感としてどもりの存在が目立ち始めたのは、小学校1年生の時だったと思います。本読みの時に、自分だけがことばにつっかえて、音を繰り返していることに気づいた。周りの友だちからも真似をされ、「私はみんなと違う」と強く意識して、劣等感が強まりました。
伊藤 他者から「お前は人と違う、日本語をしゃべれ」などと指摘され「自分は他の人と違う」と思い始める人と、他者から言われないけれど、自分自身で「他の人と違う」と思い始める人がいるんですね。
井上 僕は親から「どもらずにしゃべれ」と貼り紙をされていました。貼り紙には何ヶ条かあり、そのうちのひとつが「人前でどもってはいけない」でした。だから「どもってしゃべったらいけない」と思っていました。つらかったというより「人前でどもったらあかんねんな」くらいの感じでした。
どもることが気持ちいい
藤岡 私は去年の大阪吃音教室で、自分が書いた作文をみんなの前で読んだ時に自分が想像していた以上にどもって、あれっと思いながら読んでいたのですが、だんだん気持ちが良くなってきました。私が私の大切なことを書いた文章で、みんなが「うんうん」とうなずきながら聞いてくれている。そういうことをかみしめて味わっているうちに、ふと小学校時代に朗読をしている時の自分が思い浮かび、あの時は人前で朗読することも恐かったな、笑われるし、どもった後の休み時間は、気まずくてずっと机に突っ伏していたなと思い出した。「あの頃の自分はかわいそうだった」と思う反面「ここにいる今の自分は人前でしゃべることの喜びを取り戻している」「どもっている自分が本来の自分だ」という気持ちがこみ上げてきてうれしくなり、気持ちよかったのだと思います。バラバラだった「自分」と「自分」が一致した感覚がありました。私は大阪吃音教室に参加して、長い時間かけて「吃音は自分の一部だ」と思えるようになりましたが、これが本来の自分で、「基本設定を取り戻した」ということかなと思いました。
伊藤 パソコンも、基本設定をちょっといじってしまうとぐちゃぐちゃになってしまう。それと同じようなことが起こってしまうんでしょうね。
吃音親子サマーキャンプで子どもたちは、「どもっていることが普通というのは、心地いい」と言います。去年のキャンプでも小学6年生の女の子が、すごくどもりながら主役を演じて、感想で、うまくできなくて悔しかったと、涙を流しながら話した。あの涙には「どもりながら自分は最後まで言い切った」という爽快感もあったのかなと思いました。どもるのが僕たちの基本設定のことばだから、そのどもることばを否定することは自分の「からだ」を否定することになり、どこかに異変が起こる。どもる自分を否定することは自分を否定することで、自分を否定することは、自分の将来を否定するということになりかねません。これは大きな損失ですよね。
どもりは神様からのプレゼント
川崎 僕は大学を出て企業に就職しました。仕事には何の不満もなかったが、朝礼でどもってしまい、それで悩んで会社を休んだ。結局どもりが原因でその会社を辞めてしまったんですが、今思うと、どもってしゃべれば何の問題もなかった。
伊藤 僕も悩み始めてからは、クラスの役割も、勉強も、遊びもしないで生きてきた。あの時「どもってもええんや」と思っていたら何の問題もなく小学校、中学校、高校と学校生活を送れたと思う。高校の文化祭で、みんな夜遅くまで準備をしていたのを、僕も一緒に何かやりたかったと悔しい思いがある。あの時「どもってるのが僕」と認めていたら何の問題もなかった。小学校、中学校、高校の時代に戻りたいと思うのは、どもらない僕としてではなく、今の、吃音の知識があり、つき合い方を知っていて、「どもっても大丈夫」という僕として戻りたい。今、僕たちが活動しているのは、今の子どもたちが僕たちのような失敗をしないでほしい、どもりを否定しないで、「どもりながらも僕は自分のことばをしゃべるんだ」という子どもになってほしいと思うからです。
子どもは僕たちの想像を超えてすごいことを言います。千葉県の男の子の「どもりは、たくさんの人の中から神様が僕たちを選んでプレゼントしてくれたんだよ」との発言を聞いた京都の女の子が「ああ、そうなんだ」と共感した。彼女の書いた作文を岡山のキャンプで紹介したら、岡山の子が共感した。群馬のキャンプに参加した子にも「ああ、そうなんだ」と、共感が広がった。子どもも、「自分の吃音を否定することは自分の人生を危うくしてしまう」ことを、子どもの生きる力で察知している。だから「神様からのプレゼント」のことばが出て、それに反応するのだ思います。子ども本人が「これは僕の宝物だ」というのはすごい。
奇跡
伊藤 最近、僕は「奇跡って何だろう」と思います。僕は心臓病、糖尿病、目の病気と病気の宝庫だからですが、歩けて、自分で便所に行けて、音楽を聴けて、景色が見られる。どもるけれどもしゃべれて、精密なコンピューターのような体を持ち、息をしているだけでも奇跡だと思うようになりました。素晴らしいことが起こったり、素晴らしいことができたりすることが奇跡ではなくて、今ここに生きていることが奇跡だと思う。韓国の修学旅行生が乗った客船が転覆して亡くなるなんて誰も思わない。「生きている」こと自体が奇跡なんですよ。僕たちは、奇跡のような、基本設定としての命を持って生きているのだから、不都合だからといって、変えようなどと思わず、このままで生きようと僕らは考えているのです。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/21

