凹んだことがあると強くなれる
今年最初の大阪吃音教室が、今日、開かれました。そして、今日、僕の著書『どもる君へ いま伝えたいこと』を読んで、僕に会いたいと連絡をくれた山口在住の人が大阪吃音教室に参加しました。吃音のこと、自分のことを真剣に考えている好青年でした。
今、大阪吃音教室は、大阪ボランティア協会の研修室を借りて開催していますが、以前は、應典院というお寺で開いていました。
この應典院は、人が出会うお寺として有名です。應典院の秋田光彦住職が、そこに集まる人々との出会いを綴った『今日は泣いて明日は笑いなさい』(株式会社KADOKAWA)で、大阪吃音教室や伊藤伸二について紹介して下さいました。秋田さんの了解を得て、「スタタリング・ナウ」2014.4.21NO.236 で紹介しました。元気になれるお寺の本です。
もうひとつ、仏教と関係する文章として、「スタタリング・ナウ」NO.161(2008年1月)の巻頭言を紹介します。
凹んだことがあると強くなれる
秋田光彦(浄土宗大蓮寺・雁典院住職)
毎週金曜日の夜、ある個性を帯びた人たちが應典院に集まってきます。世代はいろいろ、男女もまちまちですが、みな同じ吃音者、つまりどもりの人々です。
その「大阪吃音教室」は、治療のための教室ではありません。むしろ勉強会のような印象が強い。メンバーがテキストを持ち寄って、対人コミュニケーションやケア、セラピーなどについて学びあいます。そのわりにガッツリ知識や情報を得ようというどん欲さもなく、和気あいあいとして、空気はゆるい。たぶん、ここが同じ境遇の人たちどうしが、安心して集える居場所だからでしょう。
この教室をリードしてきたのは、40年以上自身の吃音と向きあってきた伊藤伸二さんです。日本吃音臨床研究会の会長であり、著作15冊を持つ大学講師でもあるのですが、そういう肩書きとはまったく程遠い、気さくで、闊達なおじさんです。
伊藤さんの前半人生は、まさにどもりとの闘いでした。小学校2年で吃音に気づき、不安と孤独に苛まれ、21歳で上京して、「憧れだった」東京正生学院の寮に1ヶ月入寮。ここは全寮制の吃音矯正所で、伊藤青年は絶対完治すると、一日も休まず訓練に明け暮れます。
「結局治らないのですよ。でも、治る治らんより、ぼくには矯正所にいる同じ吃音者の存在が何よりもありがたく、ずっと心を支えられた」
退寮してから、伊藤さんは吃音者どうしの自主グループをっくります。みなで悩みを語りあったり、支えあったりする。まだセルフヘルプなどという考え方はなかった時代、都会の片隅に、同じ境遇の若者たちが人づてに聞いて加わっていきました。研究会の前身です。
「東京で大学生しながら、キャバレーのボーイのバイトをやっていましてね、客の前でどもってしまって、『ありがとうございます』が言えない。殴られましたよ。なのに、キャバレーのお姉さんもバンドマンも貧乏学生のぼくに、みんなやさしかった」
高度成長期絶頂期の頃、すべては進歩すると国民は刷り込まれていましたが、富める者の陰には必ず貧しい者がいました。貧しくとも、互いに惹かれあい、密かに支えあって生きていたのでしょう。現場があってそこに直に関係しながら存在していることの力強さに、伊藤さんは気づいたのです。吃音とは、どう治すかではなく、どう生きるか、という問題ではないかと。
「で、吃音と闘うことを諦めたんですよ、治すことを断念した」
伊藤さんの、吃音人生の第2章の幕開けでした。21歳の時のことでした。
さらにこの人の人生は華々しいのです。約束された国立大学教授への道を捨てて、カレー専門店のオーナーに転身したり、世界で初めて吃音の国際大会を提唱して成功させたり、「組織に就職したことはない」が、吃音とは片時も離れず、ずっと一緒に生きてきました。髪をかきあげ、鼻をこすり、よく笑う。70歳に近いとは思えない若々しさ。時間があえば、週末の大阪吃音教室に顔を出します。
「ここでは毎回、生きる意味とか人とつながることとか、みんなで真剣に話しあっている、居酒屋でもないのに、そんな話を延々やっているなんて、すごいと思いません?これ全部どもりのおかげなんだ。みんな同じだから安心できる。向きあえる。だから、ここは当事者どうしが共生する場所、『矯正から共生へ』だよね」と笑う。
60歳を過ぎてから仏教書をよく読むようになりました。易行往生を説いた法然上人に惹かれるといいます。
「吃音を完治しようとするのは、難行苦行。ぼくのように諦めよう、受け入れよう、というのは誰でもできるから易行。だから、法然さんに惹かれる。どうしようもない自分をそのままでいいと受け入れたのだから」
弱さをきちんと受け止めて、そこから人生を生き直す。弱さの中に、本当の強さがある。伊藤さんの生き方を見ていると、そう感じます。
法然の選択と日本の吃音臨床
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
法然の『選択本願念仏集』などを読み、アメリカで発展してきた言語病理学と、私の主張する「治す努力の否定」との違いを整理した。宗教に門外漢の私が、法然を、強引に都合良く引用するため、間違った解釈もあるだろう。法然上人には畏れ多いことだが、素人に免じてお許しいただきたい。
法然は、護国鎮守のための旧仏教を否定し、民衆の誰でもが救われる仏教を打ち立てた。法然は、学問、修行、功徳を積むことで救われるという「聖道門」を捨て、「ただ信じて、念仏を称えさえすればいい」とする「浄土門」を選択した。
煩悩の多い、修行や功徳を積めない乱世に生きる当時の一般大衆には「聖道門」は難行であり、誰でもが救われるに道として、易行(易しい道)でなければならないというのである。煩悩の多い凡夫であると自覚し、その自分でも救われると信じて、念仏を称えよと言う。さらに、修行などは雑業だとして一切せず、正業である念仏だけを勧めた。当然、旧仏教の人たちから激しい反発や批判を受け、島流しなどの迫害も受けている。しかし、法然はひるむことなく、主張し続けた。
吃音については、薬や手術などの本人の努力とは関係ない根本的な治療法はなく、本人が取り組む言語訓練しかない。私も、「どもりは必ず治る」として、吃音コントロール法を教えられた。
アメリカでは、吃音コントロールについて、二つの流派が長年対立し、激しく論争をした。「どもらずに流暢に話す派」と「流暢にどもる派」だ。そして、近年統合的なアプローチが提案された。
1930年代、アメリカのアイオワ大学を中心に吃音臨床研究が集中的に行われた。当時の、ウェンデル・ジョンソンやチャールズ・ヴァン・ライパーは現在でも大きな影響を与えている。
1974年、私はこの流れをくむ吃音臨床に一つの選択肢を提起した。「流暢に話す」も「流暢にどもる」努力も一切やめようと「吃音を治す努力の否定」を呼びかけた。それから、34年間、私はセルフヘルプグループや吃音親子サマーキャンプなどで、「治すことにこだわらない」吃音とのつきあい方を実践してきた。多くの人が吃音の悩みから解放され、自分らしく生きている結果において、アメリカの言語病理学に決してひけをとらないと思う。
昨年の第8回クロアチア世界大会、また昨年秋翻訳出版されたギター著『吃音の基礎と臨床』のおかげで、ありがたいことに現在の世界の吃音の臨床について詳しく知り、整理することができた。
1974年は呼びかけだったが、今回は34年の実績の報告をもとにした、再度の提起だ。アメリカ言語病理学一辺倒の吃音臨床に、他の選択肢があった方がいいと思うからだ。アメリカ言語病理学に対して、東洋思想からの選択肢の提示である。
ひとつの選択肢であっても、誰もができる易しい方法であり、自分が実際に経験し本当によかったもの、多くの人が実践して役に立ち、臨床家が指導しやすいものでなければならない。選択肢は違いを鮮明にした方が分かりやすい。遠慮せず、正直に提起したい。人によっては過激な主張だと思われるだろうが、読む人が、自分にとって役に立つ方を自ら選択して下さることだろう。
アメリカの提案する、吃音のコントロールは一部の人にはできても、誰にでもできることではない。どもる人の多くが失敗し、よく似た方法の日本の民間吃音矯正所が衰退した。また、臨床家が簡単に吃音コントロールを教えられないことは、アメリカのセラピストの多くが吃音臨床を苦手としていることでも明らかである。法然の言う「聖道門」だと私は思う。
「どもる事実を認め、自分や他者を大切に、ただ、日常生活を丁寧に生きる」
これは難しいように見えて、自分の人生を大切に考える人なら、吃音をコントロールする努力を続けるよりも、はるかに易しい道だ。それは、多くの人の体験を通して私は言い切ることができる。「スタタリング・ナウ」NO.161(2008年1月)より転載
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/09

