いのちの吃音

 2004年頃、朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読まれた櫛谷宗則さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼でしたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。毎回、出版されるたびに冊子を送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて僕を励まし続けて下さっています。新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、お互いの都合がつかず、お会いすることができませんでした。
 2013年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間座禅会をされると知って、1日参加した。一番前に座っていた私に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。そのとき、私の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれました。
 そのとき、櫛谷さんに何か文章を書いていただけないかとお願いしました。その文章に添えて下さったお手紙にはこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

 「スタタリング・ナウ」2014.4.21NO.236 に掲載の、櫛谷宗則さんの文章を紹介します。

  いのちの吃音
                            櫛谷宗則

吃音を考える

 吃音で悩むという、何に悩んでいるのだろう。言葉がつっかえる、出てこない、しかしそれはそんなに不都合なことではない。吃音それ自身が問題なのではない。かりに吃音はチャーミングと感じる文化だったら、吃音であることは悩みにならない、うれしいこと。
 人からの評価、人の目が気になっている。カッコ悪いと思われる、笑われる、モテない、面接で不利だなど。振り返ってみると、人は人からよく思われたいと必ず思っているのではないだろうか。自分の行為の基準がたいていそこにある。
 そしてそれは、自分の目を気にしていることだ。なぜかというと、人の目は必ず人の目であって、私の目ではないからだ。私の目がカッコ悪いと思うからこそ、人もそう思っているに違いないと思ってしまう。
 そんなふうに自分を自分で外から傍観者のように眺めて、どう見られているかを気にし、そこで良しとされる世間的な価値だけを良しとして生きているとはどういうことだろう。そこに展開されているのはいつも自分だけが可愛いと思っている私が、他と比較し競争する世界だ。勝った・負けた、得だ・損だ、偉い・偉くない、好きだ・嫌いだと、追ったり逃げたりしているなかに一日が暮れていく。そんな他との関係において外から見られた自分だけが、本当に自分なのだろうか。
 昔、私のいたお寺にアメリカの大きな会社の社長さんがみえたことがある。会社も順調、家庭にも恵まれているのに、何年も前から自分の人生に対して、何んともいえないさびしさ虚しさを感じるというのだ、そして、これは何でしょうと、私の師匠(内山興正老師)に問いかけた。
 「あなたは自分の存在価値を自分以外の他のもの、たとえば地位とかお金持ちとか立派な家庭人とかいう他人の評価のなかにだけ求めていて、本当の自分の実物においてそれを見出していないからではありませんか。つまりいつも他との関係においてだけ生きていて、本当の自分を生きていないからさびしくなるのじゃありませんか」。
 こういわれて、その社長さんは深く思い当たるところがあったようだった。そして「自己が自己の実物を生きることが大切で、それを純粋にやるのが坐禅です」と言う師の言葉にうなずいて帰っていった。
 われわれたとえどんな世間的成功者になろうと、いずれ年老い、お金も地位も家族もみな手放して死んでいかねばならないときが必ず来る。人からよく思われることを価値として人とのカネアイだけの世界で生きてきたら、そんな着物をぜんぶ剥ぎ取られたときの自分は、どう思うだろう。裸の私はたった一人で生まれ、自分のいのちを自ら生き、たった一人裸で死んでいく。私の実物は初めから、人の評価で値段がつけられない地盤を生きていたのではないだろうか。
 人は誰でも自分の人生の当事者、主人公として生きている。それなのに自分の人生をあたかも置き換えがきくもののように錯覚し、都合の悪いことは何かのせいにして生きていることがある。しかしどれだけ他人や社会やあるいは吃音のせいにし、いまの自分から逃れて生きようとしても、自分の人生を生きるのはこの自分しかいない。たとえそれが自分で認めたくない自分の人生だったとしても、他の誰が認め、代わって生きてくれるというのだろう。

私が生きるところにすべてがある

 私は背が低い。でもそれは人と比べればこそ、なるほど低い。比べなければただこのようであるというだけで「低い」ということはない。つまり私が生きるという実際は、七十億人分の一として生きているだけではない。たとえていえば成功率五十パーセントの手術を受けた人が「私は半分生きていますが、半分死んでいます」と言ったらおかしい。当の本人にとってはすべてが生きているか、死んでいるかだ。
 だから世界のなかのちっぽけな街の片隅で、ぽつんと小さな私が生きているのではない。私が生きているところにあらゆるものが感じられる、あらゆるものが生きている。山田さんはいままで、「山田さんの生きている世界」しか生きてこなかったはずだ。加藤さんはここまで、「加藤さんが生きている世界」だけを体験してきている。私にとって、私のいのちがすべてのすべてなのだ。
 いま吃音を授かって生きるなら、それがその当人にとっていのちのすべてだ。それぎりとしてこの身にあるなら、どうして劣っているとか欠けているとかいって比較できるものであるだろう。そこに吃音などない。ただそのような喋り方をする者が当り前に喋っているだけだ。
 道のコンクリートの割れ目から雑草が生え、小さな花をつけていることがある。こんな排気ガスが多くて人にも踏みつけられそうな場所で、かわいそうだなと思うかもしれない。しかしそれは傍観者の言葉だ。当の本人にとっては、その場がいのちのすべてなのだ。すべてだから、いい悪いなどいっている浮ついた隙間はない。ただその場に安らい、精一杯咲いている。その生きる姿は、可憐で美しい。
 それを傍観者のように外から眺め、人と比較するとき吃音が生まれる。伊藤伸二さんも小学二年の学芸会でセリフのある役から外されるまでは、伸び伸び明るくどもっていた。吃音などなかった。吃音を忘れたところで、吃音とともに豊かに生きていた。それが吃音は恥ずかしいものと意識したとたん、そこに吃音が生まれた。

思いはアタマの分泌物

 吃音はある。ひどく意識する私にとって、いよいよ吃音はのっぴきならない大きな存在としてある。しかしそれは縄がないのに自分で自分を縛っている世界なのだ。
 何年か前のNHKの連続ドラマで、戦争で片手を失くした漫画家が、知人の家から帰ろうと外へ出たら雨になるシーンがあった。そこで知人の奥さんが傘を差し出すが「いや、これくらい大丈夫です」といって、乗ってきた自転車で帰っていく。片手だから傘をさしては自転車に乗れない。しかし本人が手のないことをまったく何んとも思っていないので、接する人もそんなことは忘れて接している。
 私の友人もよく言葉がつっかえたり、出なかったりしているが、別に本人は何んとも思っていないので、話していて「この人は吃音者」などと思ったことはない。本人が「自分はどもりだ、恥ずかしい」と思えばこそ、まさに吃音と思うそのことによって、そこに厭うべき吃音世界が生まれ続ける。
 いや、そんなカラクリなど他人にいわれなくとも十分知っている。気にしないでいられたらどんなに楽かと、私自身が一番思っている。しかしどうしても気になるのだ。なかなか切り替えなどできない――と思うかもしれない。
 それはまったくその通りだ。気にしまいと思えば思うほど、気になってしまう。眠ろう眠らなければと思えば思うほど、眠れなくなる。だから聖人ではないわれわれ凡人は、気になってもいいのではないだろうか。気になるままとにかく、そこで話すべきことを誠意を込めて話す。つっかえつっかえでいい、思いはどうあれとにかく、そこで話すべきこと、やるべきことをやる。気になる思いは勝手に気になるまま、日常生活を丁寧に一つ一つ生きるよう心がけ実践する。その実践があれば、思いはいろいろにありながらも、それなりに淡く消えていく。
 「思いはアタマの分泌物」と、師はよく言っておられた。自分の思いはそれまでこんな自分として生きてきたもろもろが、いま出逢っている縁と呼び合ってふっと起こっているだけで、常に流れている。執着してはいけない。吃音がひどく絶望的に思えるときもあるし、そんなでもないなと思うときもある。案外チャーミングな話し方だと思えるときが来るかもしれない。いまの思いだけが正しくて確たるもの、まして私の主人では決してない。どうにもならないとアタマで決め込むから、どうにもならなくなる。
 しかしいのちの事実は、どれだけ気になってどうにもならなくなっていようと、吃音それ自身は人の目などちっとも気にしないで堂々と吃音してる。人の脳ミソのほんのわずかな部分だけが、必死で気にしている。しかし気になるそのままで、すでに片付いている。なぜならすでに吃音は、何んともない顔をして堂々と吃音して、何んともないではないか。
 大切なのは吃音であろうとなかろうと、意識していようといまいと、もっと深い地盤から私は生きているということだ。伊藤さんも学芸会までは、そこから素直に生きていた。だから私を人とのカネアイだけの世界に投げ込むのではなく、自らのいのちの深さに立ち帰って生きる。ただ真っ直ぐ自分自身の生命力から生きる姿勢が大切だと思う。
 その生きる姿勢を伊藤さんは「吃音は生き方である」といわれるのだと思う。吃音を治してから本当の生き方ができるのではなく、吃音こそ光だ。吃音を光として生きていく生き方こそ、あらゆるものを自らのいのちとして出逢い、深めていく生き方ではないのか。その生き方のなかにはもはや吃音であるとか、ないとかは問題ではないだろう。
 生きる吃音はその人のいのちの真っ只中としてある。真っ只中としていま生きつつあるものが、どうして捕まえ規定して比べられるだろう。そのときもうそれはズレている。吃音を真っ直ぐ生きている本人の私が、どうして見る自分と見られる自分に分かれて劣っているなどと、ナマの自分の目を見るようなあり得ないことをいうだろう。「生きる」という、分別以前のたった一つのいのち現場にそんな隙間はない。ナマナマしい吃音のそこに、いま私のいのちが輝いているのではないだろうか。

私は不思議を頂いている

 私のいのちって何だろう。この私のいのちは、私のいのちなのだろうか。
 私は両親から生まれた。しかし両親を選んだり、この世に生まれる権利を買って生まれてきたわけではない。私の思いなど届かない地盤から、無心で生まれてきたのだ。それは私だけでなく、両親もそのまた両親もそうだった。
 そうやって遡ってみると、私には地球上に初めて誕生した生命が、一度も途切れず連綿として受け継がれ生き継がれ、初めて私はいま生きている。何んといういのちの私の遥かさだろう。その思いの届かない地盤で何億年も受け継がれているいのちが、何でいま私が生きているたかが七、八十年の間だけ思い通りになるはずがあるだろうか。
 いまも思い以上の地盤で心臓は動き、血液が流れ、刻々呼吸がなされている。いや俺は思い通りやっていると、思っている。そのいまの思いだって、思いを超えた力によって支えられて初めて成り立っているのだ。
 決して私は私の力で生きているのではない。太古の生命から、いま出逢っている人々、宇宙の隅々に支えられて初めて生きている。
 この不思議を見失うことで、あらゆる問題が起こる。あらゆる出来事が人間の狭い価値観のなかのいい・悪い、得だ・損だ、偉い・偉くないの世界だけになってしまう。吃音は恥ずかしいもの、治さなければいけないと。
 しかしこの不思議に立ち帰ったとき、あらゆるものの意味が変わる。日常のとるに足りない出来事――私がいてあなたがいること、窓辺のカーテンを通して朝日が差し込んでくること、友達と喋り、時に笑い、花が咲き、風が吹く、私がそれを刻々感じている、それがかけがえのない尊いもののように光るのだ。生きるって何だろう。不思議がただにっこり自ら不思議している、そのことなのだろうか。
 不思議は不思議であるが故に、思議で分かったりつかんだりすることはできない。しかしすでにその真っ只中に誰でも彼でも生きていて、そこから落ちこぼれることも、それを追い求めることもできないのだから、安心して不思議を精一杯生きたらいい。人生は出来事のいい・悪いではなく、不思議のいのちを生きる深さにある。

吃音に私が肯定されている

 それをこの身で実際にやるのが坐禅だ。思いで何かつかもうとせず、考えの先っぽを追いかけず、ただ骨組みと筋肉の身構えを頂いて不思議のなかに澄み浄くなる。自己の本当の中味を生きる。その行を坐禅という。
 だから不思議といっても何かあやふやでつかみ処のない、たとえば超常現象とか霊感とかいった、あやしげなものなんかでは決してない。不思議ほど明らかなものはない。不思議ほど現実なものはない。だってそれはいまここ私がこうして生きている、そのことなのだから。不思議は必ず私のいまここにしかなく、いまここの具体的なあらゆるものは、不思議の現われ以外の何ものでもないからだ。
 治らないのに吃音は治すべきものだという。いまここの私を否定して、一体どこに私の人生があるだろう。私の人生はいつだってどこだって、いまここ私なのだ。それ以外生きようがないことだったら、なぜそのことで悩む必要があるだろう。そこから逃げようがないことだったら、苦しいまま真っ直ぐそれを生きる以外どんな道があるだろう。
 人はおのれの人生を生きていく上でさまざまな困難にぶつかる。それをどう受けとめて生きるか。逃げるか―しかし自分の人生から逃げ切れるのか。地獄をつとめあげるか―いやその地獄も自分のいのちではないのか。
 人は出逢った悲しみによって自分の人生をメチャクチャにすることもできるし、その悲しみによって人生をいっそう深く豊かなものにすることもできる。私の人生を生きるのは私以外にない。それを生きて向上するのも堕落するのも、この私にかかっている。たとえどこにあっても、切り拓いていけるのだ。
 伊藤さんの人生は吃音に守られ導かれた人生だったと思う。吃音は伊藤さんのいのちだ。吃音とともに豊かに生きるとは、吃音がすでに豊かなものとしてある。吃音によってどれだけ教えられ学んだことか。吃音は生きることを深く見つめさせ、考えさせてくれる。
 心臓の豊かさが私を生かしている。呼吸の豊かさが私を生かしている。吃音の豊かさのなかに私が生きている。吃音に私が肯定されている。
 だからどもってもいい。嫌だなと思っても、治したいと思ってもかまわない。たとえ思いはどうあっても、その思いのままで片付いている。どれだけ悩もうとその悩みのままで、どもっても何んともない世界をすでに頂いて生きている。その世界へ直入(じきにゅう)するのが坐禅だ。
 私はどもらない。しかし吃音の前に、誰でも同じ人として生きている。人として生きる限り、誰が悲しみや苦しみと無縁で生きていけるだろう。人はみなどこかで深い悲しみを抱いて、しかもなおよく生きようとしているのではないだろうか。その地盤で自分に語りかけるような気持ちで書いている。
 「坐禅とは自分が自分を自分することである」と、澤木興道老師は言われた。それがそれ自身に落ちつくとき、そこに光が生まれる。青色には青い光が、赤色には赤い美しい光が生まれる。私が私に澄んでいくとき、なんともいえない透明な威儀(いいぎ・いのちを生きる態度、振る舞い)が生まれる。吃音が吃音に落ちつくとき、吃音の喜びが生まれるのではないだろうか。
 観世音菩薩は「いま自身を現ずるを以て得度すべき者には、即ち自身を現じて而(しか)も為(ため)に法を説く」という。吃音をもっていのちを輝かす者に、観世音菩薩はまさに吃音の身を現じて法を説き、いのちを輝かせるのだ。
 それは人の思いで「生きている」というものを超えたものが、まさに生きていることだ。そのいのちがいまここ私自身として生きている、この不思議。どこを探し求めてもそれ以上のところはないし、それ以下のところもない。だから安心してそのいのちの現場を大切に、精一杯生きる。いのちがいのちをただ生きる。悲しみがその底にあるなら、生きることはみな祈りになるだろう。

櫛谷宗則(<しやしゅうそく)
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。「宿なしこうどう興道」といわれた豪快な禅僧、澤木興道老師の高弟、内山興正老師について19歳で出家得度。安泰寺に10年間安居(あんご)する。老師の隠居地に近い宇治田原町の空家(耕雲庵・こううんあん)に入り、縁ある人と坐りながら老師のもとに通う。老師遷化の後、故郷へ帰り地元などで坐禅会を主宰。大阪では谷町のプレマ・サット・サンガで、毎年9月末に坐禅法話会を続けている。
 伊藤伸二さんとは10年ほど前、朝日新聞に載った伊藤さんの紹介記事が面白かったので、「共に育つ」への原稿をお願いしたのが始まりです。

〈編著書〉
『禅に聞け一澤木興道老師の言葉』『澤木興道生きる力としてのZen』『内山興正老師いのちの問答』『澤木興道老師のことば』『禅からのアドバイス―内山興正老師の言葉』(以上、大法輪閣)
『コトリと息がきれたら嬉しいな―榎本栄一いのち澄む』(探求社)
『共に育つ』(耕雲庵)など。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/08

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