『吃音のお・か・げ・さ・ま』 2 ~第19回吃音ショートコース「内観への招待」報告~
2025年も残すところ今日一日となりました。あわただしい年の瀬、お変わりなくお過ごしのことと思います。1年間、お読みいただき、ありがとうございました。読んでくださっている人の存在を感じながら、書いています。
おかげさまで、僕も、元気で、ライフワークの吃音への取り組みを続けることができました。ブログ、Facebook等での発信も、僕なりに続けました。
来年、82歳になる僕が、こんなに元気で活動できるのも、吃音のおかげです。2025年の最後のブログは、『吃音のお・か・げ・さ・ま』の続きです。
『吃音のお・か・げ・さ・ま』 2
~第19回吃音ショートコース「内観への招待」報告~2013年10月13日
掛田力哉(大阪吃音教室)
5.ユーモアで心の健康を 講師:三木善彦
講師の三木善彦氏は手品の名人でもあり、講義の中数々の手品の披露がされ、ご自身が手品をするようになったエピソードを語って下さった。三木氏のユーモアたっぷりの話しぶりに会場は終始爆笑の渦に包まれたが、氏の語りには、「困難を豊かさに変えて生きていく」という、私たちになじみ深いメッセージが多く含まれていた。
氏の言葉で、印象に残ったものを紹介する。
◎心の不健康の背景には、寂しさがある。人間存在の根底には寂しさがあり、それをどう取り除くかではなく、それとどうつき合っていくかを考える所に、人生を豊かに生きるヒントがある。「自分はこんなにちっぽけな人間ではあるけれど、多くの人やもの、自然…に支えられて生きている」という事実を知るだけで、心の持ちようは変わる。
◎何事でも、ほんの少しの遊び心とユーモアを持って向かうと、全く新しい見え方ができる。美術館の絵画や有名な庭園なども、自分のものであるかの様に思って見ると、その時々の自分の心の変化で全く違う見え方をする。それが、人生の面白みに繋がり、心の豊かさにつながっていく。ドイツには、「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」という定義がある。「私は今苦しんでいる。だがそれにも関わらず、笑う」という。不安を客観的に見つめ、笑い飛ばす心を持ちたい。
◎子どもの頃から人づき合いが苦手で、人前で何かをすることも出来ない性格だった。内気で「恥ずかしがり」で、人前に立つと赤面するのも全く変わらない。そうだからこそ、人前に立ったり、パフォーマンスをすることに敢えてこだわってこられた。皆さんが、どもりつつも「やるべきことはやっていく」という姿勢、赤面しつつもやっていくことで、事実はおのずと見えてくる。困難は、豊かに生きていくチャンスをくれるものだ。
6.対談「内観を吃音にどう生かすか」
対談者:三木善彦・伊藤伸二
伊藤:吃音を治そうと必死に取り組んでいた中2の時、「うるさい、そんな事をしてもどもりが治るわけがない」と母親に怒鳴られ、それ以降母を恨んでいた。大阪での一人暮らしの孤独が極まった夜、満月を見ながら、母親が昔歌ってくれた「動物園のらくださん」という童謡を口ずさんだ瞬間、母が自分を愛し大切にしてくれていたことを思い出し、母への恨みは小さくなっていった。「うるさい」と言ったのは私を憎んでいたからではないはずなのに、自分の思い込みで母を一方的に恨む人生を送ってしまっていた。母の愛を実感できていたから、その後出会った恋人の愛を素直に受けとめることが出来た。内観を学ぶようになり、あれが自分にとっての内観だったと思うようになった。
三木:正にその通りだ。母の愛が実感できたからこそ女性への信頼感を持てた。本当の愛を信じられたことで「治らない人生だけれども、生きていこう」と思えたのだろう。本当に良かった。
伊藤:臨床家は「どもりを治す」にこだわるが、どもりながら生きていけると確信するには他者信頼が不可欠。笑われ、不当な評価をされた自分の子ども時代のイメージで「社会は皆敵だ」と思うと社会には出ていけない。他者信頼は、大きい。
三木:信頼感の形成は人間発達の形成の基礎にある。それがないと、上に積み上げたものはふとした事ですぐに崩壊してしまう。どんなに辛いことがあっても、自分は愛され、認められているという実感があれば、或いは自然の事物、あらゆるセーフティネットで自分は生かされているとの感覚があれば、下に落ちていってしまう事はない。
伊藤:「セーフティネットが社会に無い状態で『どもっても良い』は無責任だと私を強く批判する人がいるが、セーフティネットを自分たちで作れば良い。社会を恨むのではなく、自分たちで社会にネットを作ることを考えている。
三木:こうしてどもる人どうしが繋がり、こうしてしっかり仕事をして生きているという。絶望して生きている人間ばかりではないのだという事を知れば、社会も変わっていく。逆に、皆さんがどもりながらも苦しみ、絶望しているだけではないのだという事実を発見した経緯を教えて欲しい。
伊藤:全国吃音巡回相談会で、自分のように皆が悩んで暮らしていると思っていたら、事実はそうではなかった。どもりながら豊かに生きている人と出会えて、この生き方は誰にも出来ると確信した。アメリカ言語病理学の弱点は、相談に来た人だけを相手にしている所だ。
三木:悩み、困りつつも仕事をきちんとやり、自分の人生を生きる人たちを見たのですね。人間には「自己回復力=レジリエンス」があるという事。仲間がいれば、より刺激を受けより早く作用するが、一人でも色々な経験の中で自分なりに、何とか生きていくしかないと思える人はいる。「治療」などなくとも生きていける人が沢山いるという事。研究室にこもって「治したい」人ばかりを相手にしていたら、そういう真実を知ることは出来ない。オランダの国際大会では、小説家が「自分は言い換えによって語彙が豊かになった。吃音のおかげだ」との話をしたと聞いた。正に逆転の発想だ。
伊藤:それは他の病気や障害にも通じる。
三木:末期のがん患者さんで、豊かな人生を送る人の例が多くある。皆の世話を受けながら、自分の役割を持って豊かに生きることが出来る。
伊藤:吃音の研究者とは「言葉が違う」というか全く相容れないと思うことがある。「ハンディを持ちながら豊かに生きるには」という研究に時間を使ってほしい。しかし、治療、訓練という研究者も、善意なのは事実。そこがまた難しい。大学の有名な教授が「こうすれば吃音はよくなる」というDVDを出すので厄介だ。トップレベルの人たちで、僕たちと考えを共にする人がいなくなってしまった事が寂しい。
三木:伊信は”身調べ”(浄土真宗の中にある修行法)を知り、仏によって生かされている自分の存在に気づき、それを世界に広めたいと会社を立ち上げ休まず働いて資金を貯めて内観研究所を開いた。来訪者には電車賃まで出して広げて市民権を得ていった。形務所内でも内観が行われるようになり、内観を経験した犯罪者の再犯率は3割と低く抑えられる結果も出た。内観経験者の元ヤクザの親分が受刑者に話を広め始めた。少年刑務所では現在でも取り入れられている。伊信の考えが精神科医からも支持され、世界各国でも注目されるようになった。「良いものは広がっていく」という感覚がある。どうして、伊藤さんたちの良い考えがもっと広がらないのか、納得がいかない。
伊藤:僕らは僕らで楽しく、機嫌良く続けていくしかないという心境になっている。吃音の学会ができたが、自分のやるべき事をして発言したいと考えている。九州大学の高松里さんが、これだけ吃音の本を多く書いているのに伊藤さんの論文や著書を研究者たちが全く論文に引用しないのは異常だと言っている。
三木:全く同感だ。
(中略)
伊藤:(浄土真宗の)”身調べ”の目的は何か。
三木:私が生きているのは、あらゆるもの、仏様によって生かされている。罪深い人間ではあるけれど…ということを知り、感謝しながらより豊かに生きようということを知ることが目的だった。集中内観は、6畳くらいの部屋で屏風もなく、椅子に座っても良い。窓の外の木々や山々をポーッと眺めながら内観をしている。かつては「外観を遮断して内観だけに集中」「屏風の中は母の胎内である」と言ったが、形態は変わっても、内観の成果は変わらない。面接者の役割も、昨日の講義では「アドバイス等も全くしない」と説明したが、実際はもう少し柔軟に考えて、時には内観者に質問したり、会話したり、アドバイスを行う事もある。ロジャースのクライアント中心面接では、「アドバイスをしない」「意見もしない」などと言うが、ロジャース自身クライアントに色々と個人的な話をしている。フロイトも同様。学者の言う事を鵜呑みにしてはいけない。「生身の人間同士が出会う」ことにおいては、セラピスト自身の生き方はどんなものかは重要な要素になってくるし、人間同士が直接出会い、対話して、互いを知ることで分かることや見えてくるものは大きいということだ。
伊藤:「迷惑をかけたこと」があまり出て来なかっが「世話になったこと」はよく出てくる。この区別は、昨日の講義では、どちらでも良いだったが、僕たちどもる人間の多くはずっと、自分の存在が他者に迷惑をかけていると思い続けて生きてきた。「迷惑をかけている」と思っていたことが、実は相手が「してくれた」事だと思えたら、私たちはもう少し楽になっていく。「迷惑を…」ばかり考えていたら、委縮してしまう。
三木:迷惑をかけたかも知れないが、自分はちゃんと仕事をし、必要とされている。良かったねと変化させていく。自分を責めるのが目的ではない。支え生かされていることを知る。かつては「罪深さ」を知るためのものだったがそれでは苦しいだけ。自分は案外自己中心的な人間だったのだと気づくだけで十分。それさえ気づけば、改めて自分は色々な人に支えられ生かされていると気づける。母親がせっかく入院先に見舞いに来てくれたのに、「遅いな」「もっとおいしい物を持ってきて」と言ってしまったことをもう一度思い返す。相手の立場になってみること。本当にそれが相手を傷つけ本当に苦しい思いをさせたなら「迷惑…」であるし、そうでもないなら「してもらったこと」になる。「事実を見つめる」ことが大切である。
伊藤:「会社に迷惑をかけた…」というが、「本当にそうか。どこで、どれだけ、どんな迷惑をかけたのか」と事実を突き詰めて考える事も内観だ。
三木:何度も再犯を繰り返した少年の内観を担当した。刑務所内では模範的にふるまえるが、外へ出ると本性が出て、また刑務所に戻るのを「失敗事例」として本に書いた。数十年後、彼から突然連絡があり会うと、彼は「自分のことを失敗事例と書くのは、先生の不名誉であり、内観の不名誉である」と言った。「せっかく更生しても昔の仲間が訪ねてきては脅され、立ち直るのは難しかった。名を変え仕事を変え、時間をかけてようやくここまで来た。自分はずっと『他人に迷惑をかけるな』ばかり言われてきたが、自分が本当に言って欲しかったのは『お前は必要な人間なのだ』ということだった」と、彼は話してくれた。私はその事を、今も長年刑務所に入っている人たちに伝えている。
(中略)
伊藤:大阪吃音教室では、「どもり内観」をやっている。
三木:どんな例があったのか。
伊藤:どもりに「世話になったこと」を会場の皆さん、挙げてみて下さい。
A:仕事をする時に、それを言うとみんな聞く態度になってくれる。失敗しても大丈夫。
B:どもりのおかげで、仲間ができた。
C:教師になろうと決心して、本当になれた。
D:色々な心理療法など沢山勉強できた。
E:どもりについて考えるうち、自分のこと、どのように生きたいのかなど考えられた。
F:別の悩みが小さくなった。
G:別の悩みがある時、その悩みの解決のヒントを、どもりとのつき合い方から学ぶことができた。(吃音とのつき合い方は)応用が利く!
H:論理療法に出会い、生き方が楽になった。
I:どもる恥ずかしさのおかげで、他の恥ずかしさがなくなった。
J:どもるおかげで、沢山の人に出会えた。
K:人の痛みが分かるようになった。
L:吃音を通して、自分の事を伝えるカが育った。
三木:これで十分。どもりは「排除すべきもの」ではなく、どもることによって物事を見つめ、自分を見つめる力になるのだと、驚いている。
伊藤:では、どもりに「して返した」ことは?
M:どもりを公表した。
N:親しい人たちに伝え、説明した。
0:どもる事のプラス面を伝えたこと。
P:フェイスブックや動画などで、吃音の名誉挽回をしてあげる。
伊藤:「迷惑をかけた」ことは?
Q:何があっても、どもりのせいにした。
R:殺そうとした。
S:どもりを牢屋に入れて出ないようにした。
T:言い換えをしたけど、許してくれた。
U:どもりでないフリをした。
V:どもりを隠してきた。
伊藤:いっぱい迷惑かけてきたね…。
三木:そういう事で良いんです。今の「どもり内観」はすごいです。ちょっとどこかで書きたいくらい。本当に感動した。内観の本質をよく分かっている。今の発想は、自分には全然分かっていなかった。今の話を聞くと、「迷惑をかけたこと」なんて、本当になるほどなあと思わされる。膝の痛みに苦しむ人が、膝の内観をすることで「ありがとう」と言えるようになる。症状を敵視すると、それは悪化するだけ。仲良くする。
伊藤:最後にメッセージを。
三木:よくぞこのような会を開き、相互に啓発し、共に成長していると感心させられた。すごい自助グループであると思った。様々なグループのモデルになる。苦しんだからこそ、苦しみを持ちながらも明るく楽しく生きられるという事を伝えていける。これからもずっと続けていってほしい。悩みながらも笑える、ユーモアの精神は何よりも自分たちを強くしてくれる。
7.ティーチイン(ふりかえり)
紙面の都合で一部を抜粋して紹介する。
A:初参加の7年前に30年分ほども笑ったかと思うほど笑った日を思い出した。日常生活の中では、過去の苦しく冷たい記憶といつも戦って苦しんでいるが、ここでは、「戦いには負けていいから、楽しみは他にないかな」と考える元気をもらえる。
B:内観は面倒くさいと思っていたが、日常内観なら自分にも出来そうだ。
C:内観をして、自分はすごく傲慢な人間だと改めて気づかされた。一人で生きてきた気がしていたが実際はどれだけ色々な人やものに生かされてきたのかと痛感した。
D:自分に対する自分の思いを内観して、長い間、「本音を言うな」と自分を縛りつけ、自分に酷いことをしてきたと思い知らされた。
E:吃音に対して「返したこと」は無いので、ちょっとずつ返していきたい。
F:一番したくなかった父親について内観をした。最初は「迷惑をかけられたこと」ばかりが浮かんだが、軌道修正すると、「してくれたこと」がどんどん浮かんできて驚いた。自分が事実を都合の良いように解釈してきたことを思い知らされた。
G:こんなに笑ったことがあったかというほど、良く笑った。自分を愛してくれていないと思っていた母親に沢山してもらっていた事に気づいた。
H:内観を通して、妻にしてもらっていることをちゃんと自覚していない自分に気づいた。
1:妻に対して「してあげた」が何も無いことに気づいた。小遣いを貯めて、何かしてあげたい。
J:内観を通して改めて両親のことを考えられて良かった。「どもり内観」は圧巻だった。指導している子どもたちの親向けの内観、実践をしたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/31

