『吃音のお・か・げ・さ・ま』~第19回吃音ショートコース「内観への招待」報告~

 2013年10月に開催した第19回吃音ショートコースの報告です。『吃音のお・か・げ・さ・ま』とのタイトルがついています。吃音に関しては、嫌な思い出ばかりしか思い浮かばなかったのですが、吃音を認め、吃音とともに生きる覚悟を決めてからは、吃音のおかげで…というフレーズがたくさん浮かんでくるようになりました。このときのショートコースの場でも、吃音にありがとうの気持ちがあふれていました。

  『吃音のお・か・げ・さ・ま』
  ~第19回吃音ショートコース「内観への招待」報告~2013年10月13日
                   掛田力哉(大阪吃音教室)

1.はじめに
 「俺、結婚します」。最後のティーチイン(振り返り)の時間、突然宣言したMさんの発言に、会場はざわついた。「この場所に集まる皆さんほど、色々なことを勉強して、笑って、仲良くしているグループはない。20数年、つきあって、ひどい思いも沢山させられたけれど、今日、笑って結婚します、吃音と」張りつめていた緊張がほどけ、「なあんだ、びっくりしたあ」と会場は笑いに包まれたが、その「吃音と結婚する」というMさんの思いが凝縮された言葉に、皆一様にしみじみと頷かされているようだった。
 初参加のTさんは、「どもりに感謝する日がくるなんて、想像したこともなかった。沢山のどもる人と初めて会って、いっぱいどもりながら話して、沢山笑って、どもってもいいと初めて思えて、感じたことのない安心感に満たされた。やっと巡り会えた宝物。どもりに感謝できるなんて、本当に目から鱗だった」と泣き笑いながらに話した。
 長い間ずっと自分を縛りつけ、苦しめ続けてきた吃音。その苦しみを誰にも相談できず、一人孤独に戦い続けてきた多くの参加者が苦しみや悲しみを存分に表現しあい、「自分はそのままでよいのだ」という至極当たり前の、しかし長い間どうしても手に入れられなかった自分の存在の確信をようやく手に入れる事が出来た、その”安堵”がとめどない笑いとなって会場に満ち溢れていた。自分を縛り、苦しめていたのは吃音そのものではなく、吃音を否定し、どもる自分を否定した考え方だったのだと気づく時、憎しみ続けた吃音は自分と共に生き抜いてきた、人生のパートナーにさえ感じられるようになる。
 内観は「してもらったこと・して返したこと・迷惑をかけたこと」を丹念に探る作業。家族や身近な人々の内観をする中で、参加者は自然と吃音にしてもらったりして返したりしながら生きてきた自身の人生を振り返っていた。それが、ショートコース最後の数十分で行われた「どもり内観」となり、講師の三木善彦氏を驚愕させたのである。

2.「発表の広場」より
◆「第10回どもる人の世界大会(オランダ)」及び「第7回国際吃音連盟総会」報告◆
 第1回目の国際大会開催時から通訳・翻訳をして下さってきた日本吃音臨床研究会の国際部長、進士和恵さん、大阪スタタリングプロジェクトの松本進さん、徳田和史さん、国際吃音連盟(ISA)の理事の川崎益彦さんが報告。
 「治ることない吃音を治そうともがき苦しむのではなく、吃音と共に豊かに生きよう」という考えに対し「吃音を治さなくては、どもる子どもたちの幸せはあり得ない」と力説する研究者が日本国内に多く存在する。近年の国際大会の報告の中でも、欧米諸国の研究者、臨床家たちによる「言語治療・訓練」の波がいよいよ強く激しくなっていることは報告されてきた。しかし、今回の世界大会はこれまでとは少し様子が異なっていたとの報告があった。今年の大会のキーワードは、“I stutter. So,What?!” (どもるけど、それがどうしたの?)である。それは、基調講演を行ったスウェーデンのアニタ・ブロムさんの言葉にあるように、「どもっていれば何もできない」「治すべきだ」と迫る周囲の人々に「NO MORE(もう、たくさんだ)」と決別し、「話さなければ何も始まらない」「どもりこそ、私たちを際立たせてくれる」「どもっていても大丈夫。私のことばは繰り返して言う価値がある」と、当事者による「どもりながら生きていく決意」と、どもるからこそ得た人生の豊かさ、己の強さや使命感を豊かな表現力で語った言葉が会場に溢れていたようだ。
 基調講演の作家のデイビッド・ミッチェルさんの言葉も、松本進さんが翻訳した『吃音セラピーと誤った治療法の危険性』という、ヨーロッパの当事者団体が行った提言からも読み取れる。世界各国にはデリケートな違い、問題、課題は多く含まれてはいるが、私たちの求めるものは、実はとてもシンプルで、とてもよく似ているのではないかと、そんな事を思わされた報告だった。
《参考》『スタタリング・ナウNo.227、No.228、No.229、No.230、No.231、No.233』

3.内観への招待 講師:三木潤子
 “どもってもいい”と言われても、人を信じられなければ、どもれない。「人を信じたい」と考えるとき、内観は大きな力を与えてくれる。今回のテーマに内観を取り上げた理由を伊藤伸二さんが説明したあと、和やかな雰囲気で講義がスタート。三木氏自身がなぜ内観に導かれたのか、人生の苦悩に向き合った自身の体験を詳らかに披露する人間的な話し方に、参加者もすぐに引き込まれていった。出会ってきた様々な人々の苦悩と、内観を通して変容していった事例を聞いたあと、実際に参加者自身の人生を振り返る内観実習を行い、参加者同士でシェアした。自分を取り巻く多くの人たちのことを改めて見つめ直す、味わい深い時間であった。講義の内容を紙面の限り報告する。

【講師紹介】三木潤子(みきじゅんこ)奈良内観研究所所長。臨床心理士。内観の創始者・吉本伊信(よしもといしん)氏の援助を受け、1983年より夫の三木善彦氏と共に研究所を開設。

①内観とは何か~内観との出会いを通して~
 「内観とは何か」は至極シンプル。これまでの人生の中で「1.世話になったこと」、「2.して返したこと」、「3.迷惑をかけたこと」を思い出して調べる事。「自分とは何か」を見つめ、自分の歴史を調べるのが内観だ。それらを調べた上で、「だから感謝しなさい」と感謝を押しつけるものでもない。あくまでも事実を知ることが内観の目的で、「こうしなさい」「こうした方がよい」のアドバイスも基本的にはせず、教えを説く宗教でもない。自己決定を重んじている。心の問題、人間関係に問題を抱えた人の多くは、「してもらわなかったこと」や「迷惑をかけられたこと」ばかりに焦点をあて、それを考える時間が多い人たちである。では逆に、自分に迷惑をかけられたこと、苦しめられたことを「考えるな」ということではない。「それ以外の事実が本当にないかどうか」を確かめ、「全体の事実を知る」ことが内観の目的である。
 私、三木潤子は3年生の時の担任教師に憧れ教職を目指して頑張っていたが、教育実習で「自分に教師は向いていない」と痛感し絶望の淵に。どのように生きるべきか分からず、あらゆる心理療法を受けたが、どれも自分の絶望を救ってはくれなかった。寺院や教会へも向いたが、結局は教会からも逃げ出した。最後に向かった1週間の「集中内観」で、吉本伊信氏と出会った。内観を終えた時、道がパアッと開けるような、生まれ変わって新しい人生が始まるかのような感覚を覚えた。五感が研ぎ澄まされ、これまで見え、聞こえていたようでその実全く見えも聞こえもしていなかったものたちが、どんどん耳目に飛び込んでくる感覚を覚えた。人は、自分に都合の良いものしか見聞きしていないのではないか。当たり前と思っていたことは、本当に当たり前なのか。子どもが生まれて育つということ自体が当たり前とは到底思えない事象であることを思い知った。見えていないものが多くある。例えば下水管。見えない所で私たちの生活を支え、生きやすくしてくれている事物や人々は数多く存在している。自分は多くのものに支えられて生きていることに気づかせてくれるのが内観で、世界がより広くクリアに見え、宇宙の先まで見えるようなありがたい心持ちになった。

②集中内観について
 集中内観は、研修所に1週間宿泊して行う。最初に母親(またそれに代わる人)に対する自分について、生まれてから小学校低学年まで、次に高学年、中学校時代と年代を区切りながら内観する。 それが終わると、父、配偶者、兄弟、子どもなど、身近な人に対する内観を同様の方法で行い、また母親に戻る。1つの年代について2時間くらい行い、間に5分程度の面接を行う。面接者は、調べたことを全て聞き取るのではなく、調べた内容が「内観」になっているか、ただ過去の記憶を思い出しただけの「外観」になっていないかをチェックするだけ。「自分でする」「自分で考える」所に内観の大きな意味がある。

【内観の過程】
(第Ⅰ期)違和感や不信感が多くを占め、嫌な事ばかり思い出す傾向。
(第Ⅱ期)生活のリズムが出来てくる。だんだん慣れてくる。心身が整ってくることで、いろいろなものが見えてくる。規則正しい生活の力は大きい。
(第Ⅲ期)内観の対象を広げていく。何十年という時間を行ったり来たりするとても懐かしい場所になってくる。身近な人間に対することが分かってくると、他者との関係も”やっていける”覚悟のようなものが出来てくる。周囲の良い所も、自分の良い所も見えてくるようになる。
但し、内観直後は出来ても、時間が経つにつれ意識は薄らぎ、また元通りになることは多い。日常的に続けることが重要。「内観」という言葉だと、イメージが湧きにくいので、以前、「楽な生き方について」のテーマで人を募ったところ、大人数が集まった。「楽に生きる」=「なまける」ではなく、「楽に生きられない」生き方ばかり選んでしまう人が多すぎる。「死にたい」と言っていた人が、内観をすると「死んでなんかいられない」と言うようになる。そんな人たちの多くが「たくさんして返さないといけないから」と言う。内観を成功させた人はみんな、「して返す」生活に変わる。過去と他人は変えられない。嫌な出来事による自分の感情もコントロールできないが、自分の思考や行動を変えることはできる。自分の思考や行動を意識的に変え、生活の変化をもたらすきっかけとなるものが、内観である。

4.「記録内観」実践 講師 三木潤子・三木善彦
【講師紹介】三木善彦(みきよしひこ)大阪大学名誉教授・帝塚山大学客員教授。内観療法の実践的研究のため、潤子夫人と奈良内観研究所を開設し面接指導。

 集中内観(1週間)ほどに時間を使わなくとも、限られた時間の中でもできる「記録内観」の手法を使って、参加者自身の内観実習を行った。身近な人に「1.世話になったこと」「2.して返したこと」「3.迷惑をかけたこと」を年代別に記録し、間に面接を行う流れは全く同じである。参加者でペアを作り、一人が内観者、もう一人が面接者と役割を交代しながら、互いの内観の内容を聞き取っていった。面接者役は、内観を行った人の話を「聞かせて頂いて感謝します」という謙虚な心を持って面接を行う。面接では本来の内観と同じく、「いつの、誰に対する自分を調べて下さいましたか」「ありがとうございました。次は○○に対する○○時代のご自分を調べて下さい」の言葉を使って接し、相手の内観について意見やアドバイスをしない原則も徹底する。参加者の内観の内容を聞くと、それぞれの事情の中でそれぞれの豊かな人生があったことが見えてくる。簡単に報告する。

母親に対する内観
【小学校時代】
《世話になったこと》
・弁当を毎日作ってくれた・毎日鉛筆を削ってくれた・毎日起こしてくれた・本を読んでくれた・参観日に来てくれた・学校の役員をしてくれた
《して返したこと》
・絵画の被写体になった・(参観時に)積極的に手を挙げて喜ばせた・プレゼントを渡した・洗濯や掃除など、家事を手伝った
《迷惑をかけたこと》
・教室に入れず、困らせた・反抗した・何でも一番が良いとわがままを言った・学校の花瓶を割った・行方不明になった・兄弟げんかばかりして困らせた・校長室で一緒に怒られた
【中学校時代】
《世話になったこと》
・手術に付き添ってくれた・いじめられたことで、学校に話に来てくれた・毎日弁当作ってくれた・制服を買ってくれた・夜食を作ってくれた・欲しい物全部買ってくれた
《して返したこと》
・店番をした。・試験の順位発表で、なるべく上位を目指した・買い物の袋を持った・お使いをした・髪を切った時、言葉をかけた
《迷惑をかけたこと》
・よく忘れ物をして届けてもらった・カッと来て物を投げた・よく病気した・学校でケンカばかりして、いつも一緒に謝ってくれた・クソババアと言った・わがままばかり言った・高校受験に失敗して心配させた・部屋の掃除をしなかった
【高校時代~20代】
《世話になった事》
・振袖を作ってくれた・家庭教師をつけてくれた・手紙を読んでくれた・発表を見に来てくれた・大阪吃音教室に連れて行ってくれた・一人暮らしの準備を手伝ってくれた
《して返したこと》
・肩もみをした・愚痴を聞いた
《迷惑をかけたこと》
・デートに忙しくて、家族を顧みなかった・勝手に進路を変更した・寝ていたのに勉強したとウソをついた・よく病気して迷惑をかけた・嫌いな料理を残した・一人暮らしで連絡しなかった

兄弟・友人・配偶者などに対する内観 (※年代を区切ったが紙面上ではまとめて記載する)
《世話になったこと》
(兄弟姉妹・友人)
・話し相手になってくれた・しんどい時、話を聞いてくれた・母と合わない時、母の相手を引き受けてくれた・吃音の話を最後まで聞いてくれた
(配偶者)
・経済的に支えてくれた・自由に好きな事をさせてくれている・愛情を沢山くれた・共働きして家計を助けてくれている・家事を代わってくれた・自分の両親と仲良くしてくれた
《して返したこと》
(兄弟姉妹・友人)
・勉強を教えてあげた・話し相手になった・愚痴を聞いた・元気をあげた・一緒に出掛けた(配偶者)
・子育てを一緒に頑張った・全ての家事労働をした・義理の父と仲良く頑張った・育児の手伝いをした・独立に反対しなかった・娘の吃音の問題に共に向き合う・仕事上の悩みを聞いた
《迷惑をかけたこと》
(兄弟姉妹・友人)
・約束を破った・ケンカをした・悪口を言った・大きなけがをさせた・髪の毛を引っ張った・相手をしなくなった・歌を「うるさい」と言った・車が故障して迷惑をかけた・自分のことで精一杯で、相談に乗れなかった・不用品を押しっけた・大事なものを壊した
(配偶者)
・引っ越しばかりして、苦労させた・料理が下手と言った・家事の小言を言った・ありがとうを言わなかった・家の事を任せっぱなしにした・実家との揉め事で板挟みにした・姑と険悪になった・家を放ってバレーボールの事ばかりしていた・指輪をあげるつもりが、車を買った・交友関係に立ち入ってしまった・借金を立て替えさせた

実習後の質疑応答
Q:「世話になったこと」と「迷惑をかけたこと」の違い、線引きは?
A:それは自分でどちらかを決めたら良い。本人がどこに何を気づき、見出していくかは本人に任せる。同じ出来事でも「してもらった」部分と「迷惑をかけた」部分を見つけて、それぞれ記録する。
Q:すらすら思い出して書ける人(相手)と、そうでない人がいる。この違いは何か。
A:好意的な関係にある相手に対しては、やりやすく続けやすい。自分にとってあまりやってみたくない相手にも内観をする意味は大きいが、あわてて無理をすると続けられない。死ぬまでこれは続けるという思いで、徐々に実践してみると良い。
 「して返す」は、相手、当事者に対して「して返す」だけではない。アメリカのある海岸で見たベンチには「ここに座って、夕日を眺めてくつろいで下さい」と書いてある。それを作った人は、そうやって誰かのために「して返す」を実現している。自分の人生が終わってからも残したいものは何かを考えることで、「して返す」が見えてくる。
 「自分のやりたいもの、したい事が分からない」という人が、内観をすることで「して返すこと」が見つかったりすることがある。寝たきりで生活に絶望した人が、「介護職員の人に、毎日必ず笑顔を見せる」という「返すこと」を見つけ、生き生きとし始めた実例がある。”3日坊主”でも構わない。3日は続けてみる。10分、1分でも内観をする時間を作り、意識的にすることが大切。
Q:亡くなった相手にも内観をして良いのか。
A:生前は恨んでいた母親を、内観をすることで許せるようになり、「やっと涙を流せた」という人もいる。内観を通して再び出会えることもある。
Q:集中内観が1週間というのはなぜか。
A:長い時間をかけると、見えてくるものが多くあるが、個人による。集中内観の中でも、2~3日で行う「短期内観」もある。日常的に短時間で行える「日常内観」がある。寝る前の10分間、「○○してもらったな」と考えるだけでも良く眠れることがある。不眠症の人々の多くは、「迷惑かけられたこと」ばかり寝る前に考えるくせがある。

日常内観について
【顔も名前も知らない人に対する日常内観】
 車に乗ってある目的地についたら、「車を作った人」「道路を作った人」「運転した人」「安全運転の周囲の車の運転者たち」と、自分の目的達成の背景には無数の人々の恩恵があることに気づく。そんな「顔も名前も知らない人たち」に「してもらったこと」を内観することもできる。
【シークレット・サービス】
 親たちは、子どもの気づかぬ所で多くのことをしてくれていた。親が子どもにしてあげていることの多くは、この「シークレット・サービス」だ。その事に気づき、人知れず、誰かのために、こっそり「お返し」できる。例えば、道に落ちているごみを拾う、スリッパを整えて並べるなど。
 「日常内観」の対象や方法は、「ありがとうと10回言う」「今日出会った人対する内観を行う」「エネルギーに対する内観」など多くある。吉本伊信は、集中内観を終えたばかりの相手に向かって「帰ったら何時間内観しますか」と尋ねた。誰にでも続けることのできる「楽に生きられる方法」が内観。修行のような苦しく、辛いものと考えず、日常生活の中でその時々に自分なりに続けていくことが出来る。内観は「死を見つめて行う」という考え方もある。「あれもこれもしたかった」と後悔しながらではなく、「やりきった」「有意義だった」と思いながら死ぬために、日常を意識的に生きるということが、内観の目的とも言える。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/30

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