人を信頼する力
「動物園のらくださん」という童謡を、僕はときどき講演の中で歌うことがあります。両親のことを質問されたときなど、母親が歌ってくれたこの歌を紹介します。たくさんの歌を知っていた竹内敏晴さんも、この「動物園のらくださん」の歌はご存じありませんでした。母だけの、僕にだけ歌ってくれた歌といってもいいかもしれません。僕の中にあった「人を信頼する力」の原点ともいえる歌です。
大阪吃音教室では、現在も、定番の講座になっている「どもり内観」、三木善彦さん・潤子さんをゲストに開催した、第19回吃音ショートコースの報告を特集している、「スタタリング・ナウ」2014.2.20 NO.234 より、まず、巻頭言を紹介します。
人を信頼する力
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
社会的な存在である人間は、社会で生きていくためには、人を信頼するように基本設定されているのだろう。これだけ「まずは疑え」と警告されていても、振り込めサギなどに騙される人が後が絶たないのはそのためではないか。サギに騙されるのは避けたいが、社会がもし不信一色になれば、生きづらい社会になる。人を信頼する基本設定がなんらかの事情でおかしくなったとき、パソコンのリカバリーのようなものが必要になる。
小学2年生の秋から吃音に悩み始めた私は、基本設定がぐちゃぐちゃになり、人を信頼できなくなった。どもると、笑い、からかう友達。どもる僕に、劣等感を植えつけたたくさんの教師。私にとっての学校は、いつ猛獣が襲ってくるか分からない、ジャングルの中にいるようなものだった。
しかし、愛されて育てられたとの実感が持てる家庭は、安らぎの場所だった。どんなにつらくても、がんばって学校に行けたのは、この温かい家庭があったからだ。しかし、その家庭も、中学2年の夏に一変する。どもりを治したいと切実に思っていた私にとって、夏休み前に手に入れた「どもりは20日間で必ず全治する」の本は宝物だった。夏休みに治して、新学期には、どもらない人間として学校へ行ける。そう信じた私は、それから毎日2時間は、河原で、山で、町を歩きながら、「まず態度、口を開いて、息吸って、母音をつけて軽く言うこと」の発音・発声練習に取り組んだ。一日も練習は休みたくなかったので、外へ出られなかった大型台風の日、仕方なく、母親の鏡台の前で大きな声を出して、「アーイーウー」と練習をしていた。すると、「うるさいわね。そんなことしても、どもり、治りっこないでしょ」の母親の声が飛んできた。耳を疑った。その本には親の協力でどもりを治した少年の写真が載っていたからだ。「親のくせに、子どもが一所懸命自分で治そうと努力しているのに、なんでそんなこと言うんや」と、泣きわめいて、風雨の強い中、私は家を飛び出した。その日から私は母を恨み、母親とは、生活の必要最小限の会話しかしなくなった。家庭にも私の居場所がなくなった。
20歳まで人間不信一色になり、どもりを恨み、母を恨み、勉強も遊びも全くしない、無気力な思春期を生きた。基本設定が完全に狂った。
大学受験を2回失敗した浪人生活。私は居場所のなくなった家庭から離れ、三重県津市から大阪に出て、新聞配達店に住み込んだ。将来の東京での生活のためにお金を貯めたかった私は、二人分の新聞配達をしていた。疲れ切ったからだを狭いアパートに横たえ、家族の中でいた孤立とはまったく違う、大都会の孤独を、私は味わっていた。1か月も経たないある満月の夜、外へ出て歩いているとき、ふと、子どものころよく母に歌ってもらった、大好きな童謡を口ずさんでいた。
♪ 動物園のらくださん まん丸お月さん出た時は
遠いお国の母さんと おねんねした夜を思い出す ♪
涙がぼろぼろとこぼれた。砂漠の母を思い出す、動物園のらくだに、私はなっていた。
たった一度の「うるさい」で私は母を恨んだが、母は私を胸に抱いてこの童謡をよく歌ってくれた。友達にうらやましがられた運動会のお弁当や誕生日のいなりずしを作ってくれた。骨折したとき世話をしてくれた。母から「お世話になった」たくさんのことが、次から次へと思い出された。「して返したこと」は何ひとつない。「迷惑をかけたこと」の最大のことは母を恨んだことだろう。息子から恨まれた母も、申し訳ないと悔やんでいた。
私は一年近くかけて、集中内観をしていたことになる。人を信頼する力を取り戻せたおかげで、私の人生は大きく変わった。
人はなんらかの経験で、人を信頼する力が失われると、前を向いて生きることはできなくなる。基本設定である「人に対する信頼感」を取り戻すには、吉本伊信が私たちに残した「内観法」が役に立つ。聞き手である相手を過剰に気にする吃音に悩む人は、「人を信頼する力」が必要だ。私はこの力が、生きるために何よりも必要だと思う。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/29

