自己を語るという経験 2
昨日のつづきです。
2013年8月2・3日鹿児島市宝山ホールで開催された、第2回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の講師は、九州大学の高松里さんでした。高松さんとの出会いは、九重のエンカウンターグループで、一緒にファシリテーターをしたことから始まりました。そのときが僕にとって初めてのファシリテーター経験だったのですが、高松さんと組んだことは僕にとって、ありのままの自分でいられる本当にすてきな経験でした。
興味・関心がよく似ていて、その後も、交流が続き、この鹿児島での吃音講習会の講師にとぜひお願いしたのです。自分自身の体験、学者・研究者としての視点、それらをもとにした講演、ワークショップ、対談と、深く有意義な時間になりました。
自己を語るという経験~「第2回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」報告~ 2
(2013年8月2・3日鹿児島市宝山ホール)
坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)
【記念講演】
自分らしい臨床を行うための『当事者研究』入門~自分の中にある宝物に気づくために~
九州大学留学生センター准教授 高松里さん
当事者研究の理論的背景
ナラティヴ・アプローチをべースに当事者研究に取り組もうと伊藤さんは提案する。では、自己を語る、物語るとはどのような行為なのか。高松里さんは「自分自身の経験」を基にそれを丁寧に理論編と実践編にわけて、絵解きしてくれた。
人が臨床心理士などの心理職になろうとする動機には何らかの自分自身の課題があることは少なくないが、臨床の場では心理職が自らのことを話すのはタブーとされている。それゆえ、心理職はいつしか自分のことが話せない、語れなくなってしまう。しかし、心理職へと導いた自分自身の問題・経験の中にこそ、何らかの課題をもつ当事者、子どもと向き合うための資源がある、高松里さんの表現だと「宝物」があるはずである。
この宝物を探求する方法としての当事者研究の理論的背景として高松さんがあげるのが「ナラティヴ・アプローチ」と「ライフストーリー」である。現在、高松さんは九州大学の留学生センターのカウンセラーであり、留学生と日本人学生の異文化交流の場を勤め先としている。ほとんどの留学生は日本にやってきて、おそらくいろいろなことに困っているのだろうけれどなかなか相談に訪れることができない。それは何を相談していいのか、どう言葉にしていいのかがわからないからであろう。このわからない、語れないという状況を高松さんは異文化体験と定義する。
実はナラティヴ・アプローチは異文化体験を背景に編み出された方法である。言葉にできない、語れないものにかたちを与えよう、言葉を紡ぎだそうという試みであり、そこから豊穣な生が立ち現れてくるという生の技法である。
ところで、異文化理解という言葉は語義矛盾している。異文化とは語れない、理解できないもののことであるから。たとえば、いじめ、不登校という経験も異文化であろう。なぜいじめられるのか、いじめる理由、原因は加害者側が勝手に作りだすものであるからそもそも被害者にはその理由はわからない。なぜ登校できないのか、周囲も当事者もそれを納得できるように説明することは難しい。
どもるという経験も同様なのではないか。なぜどもるのか、明確な原因があるわけではない、コントロールすることも困難な自分の中の他者であるかのようなどもり。だから語れない、相談ができない、説明ができない。
語れないということは、自分の人生航路のなかでその部分だけが前後の経験から断絶している、「ライフストーリーの中断」状態にあることであり、その経験を他者と共有できないことによって、通常の生活世界から当事者が孤立するだけでなく、自分自身からも疎外されていることを意味している。
当事者が自己とこの世界との結びつきを回復するためには、その経験を言葉にできること、語ることが必要だろう。しかし、自問自答の語りでは砂漠で迷う旅人のように同じところに戻ってくるばかりだ。その語りを聞き取る誰かの存在、証人となってくれる誰かが必要だ。セルプヘルプグループの意味はここにある。
心臓病と癌を経験し、「病い」を生きる意味を探求したアーサー・フランクは「傷ついた物語の語り手」(ゆみる出版2002年)において、「病いの語り」を「病院に行って薬を飲んで治りました」というような「回復の語り」、病いの現実に翻弄され、一貫性も統一性ももたない断片的な「混沌の語り」、そして病いのもつ意味を見出し、自己の物語へと組み込む「探求の語り」の3つに整理している。
当事者がまず初めに語りだすのは、繰り返しや言いよどみの多い、矛盾に満ちた、アーサー・フランクがいう「混沌の語り」であろう。
混沌の語りの場合、証人である聞き手はその語りをカウンセリングの世界でいわれる傾聴や共感というような聞き方ではなく、アクティヴな聞き方が求められるのである。ナラティヴ・アプローチにおいては語り、物語りは語り手と聞き手との間に成立する共同作品であると理解される。語り手はまだ言語化できないことを聞き手から尋ねられ、前後の脈絡を確認され、整理され、再定義されるなどして、ようやくその経験の輪郭を掴み、意味を把握することができるようになっていく。語りは聞き手との共同作業によって変化、生成していくのである。すべてのインタビューはアクティブ・インタビューなのであろう。
ナラティヴ・アプローチにおいては「自己とは自己語り」であると理解されている。人格という確たる実体があるとは理解しないのだ。
たとえば、伊藤さんはこういう場や著作において繰り返し、自分の人生を語っているが、その度に他の事項との関連が新たに加わり、まるで成長しているかのようなストーリー展開になっている。語る度にどもりを通した伊藤さんの人生の意味が更新され、明らかにされている。オルタナティヴ・ストーリーが紡ぎだされているのである。
小学2年の時に学芸会でほとんど台詞のない役をした、21歳で東京正生学院に入った、大教大の教員になった等々、伊藤さんの人生の出来事を並べてもそこから伊藤さんの人格、人生の意味が明らかになるわけではない。それらの出来事をどうつなげ、どういう観点から語り、意味を見出していくのかという「探求の語り」によって、その度に伊藤さんの人生、人となりが立ち現れてくるのである。
人はライフヒストリーとしてではなく、ライフストーリーを生きている。言葉を通した他者との相互作用のなかからその人の人格、人生が明らかになるのである。言葉は世界をつくり、私は物語りとして存在しているのである。
高松さんのライフストーリー
高松さんは理論編の次に実践編として自身を例に「ガン騒動」を巡るライフストーリーと「色覚マイノリティ」についての当事者研究を語った。
「私が他の人に自分についてわかってもらいたいと思ったときには、この『ガン騒動』の話をしています」として、1999年の暮れに「十二指腸ガン」が疑われ、一ヵ月後に入院してそのまま手術を迎えるばかりだったのだが、再検査によって疑いなしと判断された「ガン騒動」にっいてのストーリーを語ってくれた。
予後不良とされる十二指腸ガンであると思っていた一ヶ月間、「死」を意識するなかで、高松さんはたとえばすれ違う散歩中の老人を見つめながら、なぜこの人は長寿なのかとか、部屋の荷物を誰にあげようかなどと思いを巡らせつつ、術後の残された時間のなかでは「『何がしたいか』よりも『何がしたくないか』が大事だ」と考えていた。
誤診とわかってから高松さんの生活はある意味ではシンプルになった。「やりたいことは先延ばししない」、「人からの評価は、墓場に持って行けない」という方向性のもとに年賀状や公式パーティーの出席などの儀礼的なつき合いや学会の理事などの求められる組織内の役割も全部辞めた。
代わりに始めたのが、コーヒーの焙煎、自転車に乗ること、欲しかったマーチンのギターを買い、ライヴを始めたこと、沖縄、特に波照間に通うこと等々。そして、会いたい人には会い、行きたいところ、行くべきところには行こうということ。沖縄戦下で日本軍によって集団自決を強要された場所である沖縄のガマ、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所、アジア、アフリカの各地等々。もちろん、著作も上梓した。
大学以外にも多くのセルプヘルプ、サポート・グループの活動やエンカウンター・グループにも参加してきた高松さんにとって「ガン騒動」という人生のうえでの断絶は、もしかしたら多忙からバーン・アウトしていたかもしれない状況から避難し、「何のため誰のために働いているのか」と立ち止まる機会を与えてくれた。また、「何かを手放すということは、何か別のものを手に入れること」であるという洞察をもたらしてくれた。
高松さんはこれまで繰り返し、このストーリーを語ってきたという。それは自分のことを「他者に理解してもらう」こと以上に、「他者とこのストーリーを共有することで、自分で自分のこれまでの人生を理解する」ためでもある。語る度に内容が少しずつ変化していくのは、その時の高松さんにとって脇に落ちる、フィットする、より深い了解が可能なストーリーを探求、構築しているからなのである。
高松さんの当事者研究
高松さんの当事者研究は、かつては「色盲」と呼ばれた見え方に関する課題についてのものである。進学、就職に関して制約があり、遺伝であるのに毎年繰り返される健康診断で検査を受け、にもかかわらず、何の配慮もない時代に学校生活を送った。恥ずかしいとも思い、偏見も恐かったことから、誰にもこの経験を語れずにいた高松さんは大学に入って初めて、言葉にするようになる。焼肉の焼け方がわからないというような日常生活において困っていることや結婚差別への不安というような自分の経験をリストアップしていった。こうしたなかで出会ったのが当事者研究という方法である。
当事者研究は、障害や何らかの課題をもつ当事者が仲間と共に自身の課題を研究することで、語れなかったものに対する表現を見つけ、語りを取り戻す実践である。語ることはその課題の意味づけを変え、自己を再定義する試みであり、他者との関係を再構築することにもつながっていく試みである。
語りにはそれを聞き取る他者の存在が求められるわけであるから、誰に向かって語るのかが重要な観点である。そのステップとしては、同じ経験をしているものだからこそわかる言葉、表現で語り合える「当事者同士での語り」、ことばの教室の教員と通級してくる子どもとの間で交わされるような当事者同士での語りより、もう少しひろげられた言葉、語りになっている「当事者以外の人との語り」、そして、クラスや全校生徒の前で自分のどもりについて話をするような「多くの見知らぬ人への語り」である。
NPO法人大阪スタタリングプロジェクトが懸賞募集している「ことば文学賞」のようなどもりや言葉についての文学作品も多くの人に読まれるという点で、また自分の経験について表現を選び、伝わる言葉で語るということにおいて、「多くの見知らぬ人への語り」であるといえよう。
この段階において、当事者の経験は社会に還元される。紡ぎだされた言葉は鍛えられた社会化された言葉であり、社会的資源として活用可能な経験となる。また、まだ見ぬ同じ課題をもつ人への呼びかけであり、励ましでもある。こうして当事者は世界とのつながりを取り戻し、人としての尊厳を回復することができるのである。
さて、高松さんは自分の経験を明らかにするためにいろいろな本を調べた。しかし、「断片的な手記や体験談があるが、一人一人の経験の吟味や、人生観への影響などについては語られていない」ことを知る。一方、吃音と同様、治すという妙な道具や訓練法まであるのだ。第一、自分の課題をどう呼ぶのか、適切な表現、言葉が見つからない。「色盲」では色が見えないことになる。「色覚異常」では異常者だと言われているようなものだ。障害は社会的につくられるものなので「色覚障害」は成立しないだろう等々。呼び方がない、名前がないということは、そもそもその問題が存在しないということであり、同じ課題をもつ人々と出会えないということ、誰とも問題共有ができずに、他者、社会から疎外されることである。結果としてその経験や言葉も蓄積されない。
高松さんは自身の課題を「色覚マイノリティ」と自己命名をすることにした。その経験を繰り返し語ることで、高松さんの言い方だと「雑巾がけ」をすることで、この課題に対する「探求の語り」は磨かれ、高松さんに多くの意味をもたらしている。語り、記述は厚くすることが求められるのである。そして、マイノリティという言い方によって、高松さんの視線は他のマイノリティの課題へとひろがることになった。留学生の支援にも結びついているのである。
現在の高松さんにとって「色覚マイノリティ」であることは「人生の大切な一部分」であり、「社会へ向けてそれを還元していくこと」ができる「宝物」である。当事者研究はここまでの射程をもった実践なのである。
【ワークショップ】
ナラティヴ・アプローチによる当事者研究フォーム
高松里さん
当事者研究実践編
向谷地生良さんは、当事者研究の種類を「一人当事者研究」、「マンツーマンでの当事者研究」、「グループで行う当事者研究」に分類しているが、高松さんは当事者と研究に協力するリサーチ・パートナーの組み合わせによる、すでにVer.4にまで磨かれたペア・フォームという方法について解説してくれた。
参加者はペアになり、語り手は「今気になっている事、自分の人生の中でまだ言語化できていない過去の事、思い出してみたいけど一人ではやりたくない事、というような出来事」について語り、そのストーリーにリサーチ・パートナーはアクティヴ・インタビューを試みるというワークを行った。これが吃音講習会の翌日の夕方まで続く、参加者自身の「語る経験」の始まりであったが、その内容の報告はこの場では割愛する。他日の報告書に譲りたい。
【対談】
当事者の語りの意味
高松里さん・伊藤伸二さん
吃音臨床という異文化
何らかの障害であれ慢性病であれ、世の中には治らない、治せないものがある。吃音も同様であろう。治っていないというのがエビデンスであり、現実である。しかし、どもる状態、症状のみに焦点をあて、少しでも改善しよう、治そうとするのが吃音臨床の大勢である。
「学齢期の子どもに対する指導、訓練について書かれた本には、指導はしたが吃音の症状に変わりがなかった場合の対応にっいては言及されていないのが現状である。それは研究者、臨床家としては誠実さに欠けるのではないだろうか。また、吃音の研究者のなかには当事者がいるにもかかわらず、伊藤さんに対する曲解はどこから生じるのか。その背景、論理を知るためには社会学的な分析が必要なのではないか」
高松さんはこう語り、伊藤さんのある種の異文化体験についての言及から対談は始まった。
どう名乗るか
高松さんが自らの課題について「色覚マイノリティ」と自己命名したように、名前のない課題は、適切な命名によって初めて、その現象が課題として確立される。どういう言葉でその課題を表現するかが重要な観点なのである。かつて伊藤さんは「吃音者宣言」という本を書いたが、現在では吃音者という言葉を使うことはない。吃音者という言葉には、かつて、「正音者」という言葉が張りついたからだ。そもそも正音者という言葉は想像上のものでしかないのだが、正しいという話し方、発音をする人を正音者と呼ぶのであれば、どもりは「恥ずかしいもの」、「劣ったもの」、「否定すべきもの」となるからである。
「吃音者」に代わって、「どもる人」を使ってきたが、「どもる当事者」の表現をすることも時にある。自分の課題を研究者、臨床家に委ねるのではなく、自身の課題として向き合うとの決意を込めた表現である。しかし、高松さんは「当事者研究」という言い方は他者との共同作業を求める、開かれた柔らかな表現だが、当事者という言い方は当事者と非当事者とを分断し、「当事者のことは当事者にしかわからない」という主張につながる危険性もあると指摘する。
「どもる人」というな言い方が等身大の姿を表現しているのかと考えるが、高松さんの指摘を真摯に受け止め、適切な言葉、表現を模索していきたい。それは医療、教育の枠組みの中でしか語られてこなかったどもりについて、新たな語りを紡ぎだす試みでもある。どもりの状態、特徴をあらわす「吃音症状」という言い方は病状という言葉との類比によって成立する言葉である。「治る」という言い方も同様だろう。この枠組みで思考し、語る限り、吃音は病気と同様、治すべきものであると観念されてしまうだろう。どもる人たちの自尊心はそこなわれ、エンパワメントされることもない。
当事者研究という語り
高松さんが当事者研究で提示してくれた「困っているリスト」はことばの教室でも取り組める実践だ。担当教員は吃音にっいては学んでいても、その子ども自身の課題については無知であろう。自分自身を子どもとの語りに反映させる誠実な姿勢があれば、良きリサーチ・パートナーとなることができるはずだ。リストをあげ、説明していくことで子どもは語る楽しさを発見し、もっと多くの人に語りたいと思うことだろう。当事者研究という新たな枠組みでどもる人たちの語りを創造していきたい。人は語りたい生き物なのだ。語る力こそが、子ども自身を支える力なのである。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/23

