第16回ことば文学賞~わるくない~

 昨日の続きで、2013年度第16回ことば文学賞の作品を紹介します。今回、紹介している作品は、12年前に書かれたものですが、どれも少しも色あせていません。作者がそこに立ち現れ、ことばがいきいきと語られています。僕たちの〈書く〉文化をこれからも大切にしたいです。

第16回ことば文学賞~わるくない~

  わるくない
                       嶺本憲吾(32歳・会社員)

 誰だって思い出したくない過去はある。見たくないのに時々頭の中で瞬間的に持続的に蘇ってくる。悪夢としてでてくる時もある。私の場合はあまりにも拒否していたためか夢にさえでてこなかった。しかし、初めて公にどもった時のことを私は忘れることができない。
 思春期真っ只中の中学2年の時、社会の授業で本読みをさせられた私は、たった一つの言葉を前に立ち止まっていた。どうしても声がでない。ことばの信号の赤が青にならない。教室は静まりかえっている。頭が真っ白になってそして真っ黒になった。先生が「もういいよ」と言って座った後、授業が終わるまでの記憶はない。チャイムが鳴りクラスメイトが近づいてくる。「どうしたん?」「なにがあったん?」私は何も答えることができない。もうおしまいだ。そう思ってたら涙がでてきた。最後の授業だったので、そのまま止まらない涙を流しながら帰った。家に帰って布団に潜り込みまた泣いた。学校にはもう行かないつもりだった。
 どもった。人前でどもってしまったという事実は耐え難い痛みであり、消えることのない傷跡になった。担任から電話があり親と相談したのだろう、担任からクラスメイトにどもりのことを説明するということになった。2、3日休み、土日が過ぎて月曜から学校に行くことになり、私は嫌々ながらもクラスメイトに迎えられ登校して、元の生活に戻っていった。
 でもそれからは、なにもかもがどもりを中心に進んでいった。最悪な世界だった。どもりは一気にひどくなり、コントロール不能になり、詰まる事が多くなり、言い換えができなくなり、本読みや発表にますます敏感になった。クラスメイトにからかわれたこともあったがどもりのことを言われたらすぐ涙目になった私に、相手は焦ってすぐに謝ってくれたし、本読みで詰まっても何事もなかったかのように接してくれた。
 今思えば私がクラスメイトの悩みを知ろうともしなかったように、クラスメイトも私が時々どもることなんて誰も気にしてなかった。でも先のことを考えるとどもりを背負って生きていくのは無理だろうという考えしかでてこなかった。どもりは私のタブーであり、家族のタブーであり、私に関わる人全てのタブーだった。本読みがうまくいく時もあったけれど、次はどうする、その次は、と思うと、その恐怖で、うまく読めたことを素直に喜ぶことはできなかった。成績は下がり続け、進学のことも将来のこともまったくどうでもよくなった。ただ一人で悩み続けることが私に課せられた使命のように思えた。
 父が腹式呼吸で吃音は治るという本を買ってきたのもその頃だった。その本にはつらつらと呼吸法により吃音は改善されると書いていた。ダンベルをお腹にのせて上下させることによって腹式呼吸ができるようになりそれで緊張も吃音も改善されるというのだ。ほんとかよ、と疑いつつも下腹部に5㎏のダンベルをのせ息を吸い、そして10秒ほど止めてゆっくり息を吐く。それを繰り返す。声をだしてみる。若干治ったように感じる。希望が見えた、と思った。今度こそ本読みに勝つ。そう心に誓った。
 呼吸を意識して本読みをする。いつもより冷静だ。焦ってない。いけると思った。しかしそんな思いはあっけなく、整然と並べられた文章の前に崩れさる。なぜこんなに詰まる言葉を使うのか。悔しい。しかし当時の私はダンベルをお腹の上にのせて上下させることしかできなかった。そのうちにダンベルをした次の日はきまってどもりがひどくなるようになる。より深くどもりが自分の中に根づいた気がした。
 絶望だ。全てどもりが悪い、本読みさせる先生が悪い、どもりを理解しないクラスメイトが悪い、どもりを隠せなかった自分が悪い。もっと巧妙に隠すようになる。頭の中でどもりそうな言葉を予想し瞬時に言い換える。まるでスーパーコンピューターだ。詰まれば考えてるふりをする。ボケたふりをする。まるで俳優のようだ。現実世界にどもりは存在しない。私の中だけに存在する。誰も私がどもりだとは気づかない。気づかせない。
 高校進学も就職もどうでもよかったので適当に選んで適当に進んだ。運がよかったのでそのまま壁にぶつかることなく進めた。だが、就職した電気工事の会社で上司に挨拶して帰るのを避けていたら怒られて、電話番で勝手に社名を言いやすいように略したら怒られて、仕事に対する情熱も持ち合わせていなかったためそのまま半年ほどで辞めた。
 当然ながらどもりでなかったらという想いはより強くなる。なぜどもりは社会に受け入れられないのか。頭を掻いたり、耳を触ったりするのと同じようにさりげない、気にも留めない行為としてどもりが受け入れられる世界を夢見ていた。
 しかしそんなものは永遠にこない。自分がさりげない行為と同じようにどもっていないのだから、そんな世界がくるはずがない。どもりに固執していつも傷つけられたてことばかり考えていた。私はとても独りよがりだった。
 大阪吃音教室に通うようになって、これまでのがすべて間違った考えだったと気づくことができた。どもる仲間を見て自分もどもりたいと思った。しかし隠し続けてきた自分にとってどもることは難しくなっていた。不思議だ。わざとどもってみたいと思うようになる。けどそれさえもどっちでもいいんだと気づく。どもると決めたらどもってでも言う、言い換えをする時はする。そして人は弱くても強くてもどっちでもいいということ。誰もわるくないということ。いろんなことを学び、いろんな思い、過去、そして生き方を手放した。
 どもりと真剣に向き合うことを教えてくれた。勇気をくれた。ああ、誰もわるくなかったんだ。あの時の教科書も、先生も、クラスメイトも、自分も、どもりも。誰もなにもわるくなかった。あるがまま、くるがままに現実として受け取っていればよかったんだ。
 そして今、私は思う。自分の夢見ていた世界ではないけれど、すばらしい世界ではないけれど、「少し良い」と「悪い」の中間にある世界で私は生きている。そして私はそんな世界が結構好きだ。

〈選者コメント〉
 一つの文章が比較的短い。その短い文がたたみかけるように、迫り、全体を迫力あるものにしている反面、少し説明不足のきらいもある。中学2年生のときの社会の授業という公の場で初めてどもり、そのことが人生に大きく影響していくことが綴られているのだが、その前の状態はどうだったのかの説明があると、どもり初めのこの経験がより鮮やかになるだろう。
 どもりたくないために、工夫したり、隠したり、言い換えをすることを、スーパーコンピューターのようだと作者は言う。どもる自分を見せないように、多大なエネルギーを使い、ごまかして生きてきた作者は、会社で社名が言えなかったことで、再び、落ち込み、会社をやめる。どもりでなかったらとの思いは、やがて吃音がそのまま受け入れられる社会を夢見ることにつながるが、そんな夢のような世界はどこにもない。どもりに固執し、傷ついたのは、誰が悪いわけでもないことを、大阪吃音教室の出会いで気づいていく。
 最後に作者は、今生きる現実の世界は、夢に見た世界でもなく、素晴らしいものでもないけれど、少し良いと悪いの中間の世界に生きていると認識し、そんな世界が結構好きだとしめくくる。どもっても、どもらなくても、どっちでもいい。弱くても、強くてもどっちでもいいという境地は、作者にとって、とりあえず到達した、生きやすい地点だった。そして、それは、実は吃音に悩んでいる多くの人にとっても生きやすい地点なのだ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/03

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