第27回島根スタタリングフォーラム、終わりました

 前日の11月7日に島根入りをし、8・9日、島根県立少年自然の家で開催された、島根スタタリングフォーラムに参加しました。島根スタタリングフォーラムは今年で27回を数えます。
 始まったきっかけは、以前にも書いたと思いますが、国立特別支援教育総合研究所での研修に来ていた島根のことばの教室担当者との出会いでした。その頃、年末年始を玉造温泉の保養ホームで過ごしていたのですが、年末の忙しい12月26日だったか27日だったかに、急に松江の小学校で研修会をすることになりました。予想外に多くの人が集まり、その勢いで、打ち上げの場で、「どもる子どものキャンプをしよう」ということになったのです。それが今年で27回、なんともいえない不思議な縁を思います。中心になって計画・準備をしてくれる担当者も、今の森川和宜さんで3代目です。

 僕と保護者との話し合いの時間がたっぷりある島根のフォーラム。今年も、いい時間を過ごしました。吃音でよかったなあと思わせてくれる2日間でした。少しずつ、報告していきます。
 今日は、島根へ行く前に紹介した巻頭言が掲載されている「スタタリング・ナウ」2013.9.23 NO.229 より、2013年の第10回世界大会の報告です。僕の基調講演の報告もあります。

  2013 オランダどもる人の世界大会報告
           進士和恵 日本吃音臨床研究会国際部長
Ⅰ はじめに
 27年前に日本の京都で産声を上げた、どもる人の世界大会は、早くも10回を迎えることになった。私自身の参加は7回目である。回数だけは誇っている。毎回、世界大会を主催できる国はもうないのではと言われながら、これまでにこれだけ多くの国が名乗りを上げてきたことになる。心地よい驚きである。そして次の開催国はアメリカに決まった。1992年以来二度目となる。
 オランダが大会の会場に選んだのは、広大な森に囲まれたルンテレンという小さな村だった。町へ出るには自転車か歩くしかない。会場の研修センターは、すべてが質実でエコに徹していた。商業主義に踊らされ、便利さと快適さを求め過ぎている私たち日本人のあり方を反省する時間ともなった。
 会期中、参加者が同じ建物の中で合宿のように過ごすという設定は、これまでの大会よりも参加者同士がお互いをよく知ることができ、交流の輪が広がったようだ。主催者側にそのもくろみがあったのかどうかはわからないが、大成功だったと思う。日本吃音臨床研究会もたくさんの参加者にインタビューを行い、アイルランド在住のイギリス人作家で、この春に日本でも公開された、トム・ハンクス主演の映画「クラウドアトラス」の原作者でもある、デヴィッド・ミッチェルさんとの嬉しい出会いもあった。
 世界大会の四日間、とにかく皆よくしゃべり、どもっていた。吃音のとらえ方、アプローチ、感じ方、そして生き方がそれぞれに違っていても、そのような違いを軽々と乗り越えている。人と人が直接に触れ合う喜びがそうさせるのだろうか。その渦の中にいるといつも不思議な快感を覚える。
 大会のプログラムは、どもる人たち主導によるもので、治療よりもどもりと共に生きるという姿勢が強く感じられるものだった。セルフヘルプグループの大会だからそれは当然のことだが、それでも開催国によっては研究者主導による「治療」が前面に押し出されることもある。その違いの背景にあるものは何なのだろうといつも思う。
日本吃音臨床研究会・国際部翻訳チームによる大会予稿集などの翻訳を参照しつつ、私、進士和恵の私見を交えて報告する。

Ⅱ 基調講演の紹介
 今回の基調講演者は7名で、うち5名が当事者、研究者は当事者でもあるシャピロ氏を含めて2名だった。当事者の発表ではいずれも、これまで吃音と共に生きてきた人生が熱く語られた。それは図らずも、伊藤伸二さんのナラティヴ・アプローチについての基調講演を後押しするものだった。
 スエーデンのアニタ・ブロムさんと日本の伊藤さんの講演の一部を紹介する。

  次世代の吃音
                アニタ・ブロム(スエーデン)
 ヨーロッパ吃音協会(ELSA)副会長、国際吃音連盟(ISA)顧問理事を務め、吃音の情報提供、アウトリーチ、IT、障害者問題など様々なプロジェクトのリーダー。新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどで定期的に吃音に関する発信も行っている。

オランダから始まった、どもりの旅
 私は今、熱い思いを胸にこのステージに立っている。私はオランダで生まれ、この国でどもり始めた。私のどもりと共に歩んだ旅はこの国から始まったからだ。苦しい、たくさんの辛い思い出が次々とよみがえる。娘のどもる姿におびえる父と母、仲間はずれにして私をいじめる同級生たち。あなたの席はこのクラスにはないのよとでも言いたげな先生。本読みの試験はきまって最低点だった。そして先生もまた私をいじめた。
 おぞましい青春は、私の心に数知れない傷痕を残した。「黙っていればうまく行くよ」、「どうせ仕事に就けないのなら一生懸命勉強することはないよ」、「どうせ外国にも行けないだろうし、外国語を勉強することもないよ」、「どもっていたら愛してくれる人にも出会えないだろうよ」と、矢のように飛んでくることばを私はすべて信じた。
 今のような自分に変われるなどと夢にも思わなかった。自分を責め、人を責め、どもりを責めた。友だちがいないのも、親に拒否されるのも、学校で助けてもらえないのも、「黙っていた方がいいよ」と言う人を許せないのも、すべて自分のせいだと思った。みじめさだけが心に残った。未来に映る自分は、孤独で、仕事もなく、パートナーも、子どももいない。幸せの扉はかたく閉ざされていた。

“NO MORE”もうたくさんだ!
27歳のときにどもる人のセルフヘルプグループに出会った。私と同じような人たちに出会い、私の人生は変わった。これまで受けた不当な扱いへの怒りの気持ちが私に変化を起こさせたのだ。私をからかい、いじめた彼らに、当時の私はどう映っていたのだろうか。私の気持ちなど彼らは知る由もない。自分のことを誰にも話さなかったのだから。私は大きな間違いをしていたことに気がついた。話さなければ何も始まらないのだ。
 グループでは、時間を忘れて私はどもりにかかわる体験を話した。自由にどもれる空間は天国にいるようだった。話したくないときは黙っていればいい。それでも分かり合える仲間がいる。自分が自分らしくいられることは、なんと幸せなことだろう。その時から私の癒しの旅が始まった。
 私の先生は、勉強をしても無駄だと言ったが、私はずっと教師をしている。先生を教える先生でもある。外国語を学んでも無駄だと言われたが、いま、どもりのおかげで、私は世界中を飛び回っている。私たちだって十分に話せるのだ。
 18歳のとき自殺を図った私が、今ここに立っている。あなたたち、世界のどもる仲間に会うために。そうでなければここにはいない。私を信じてくれた人たちが私を前に進ませてくれた。どもる仲間が、夢を追い、変化を起こす勇気と力を、また、”NO MORE”と言う勇気も与えてくれた。
今もたくさんの人が最初の一歩を踏み出せずにいる。苦しみから抜け出せずひとりぼっちで、すぐそこに違った世界があることも知らずに。その人たちに私はできる限り関わっていきたい。人は人との関係の中でしか変われないのだから。

なぜ、無理解が続くのか
 モーゼはどもりだった。人と話すのが苦手で兄のアロンに代弁をさせていた。もしモーゼがどもりながら話していたら、人々は理解できただろうか、そしてモーゼは尊敬されただろうか。どもりのことで援助を受けていたのだろうか。
 何千年経った今も、どもる人たちは誤解されるが、多くの人は沈黙し続けている。
 本格的な吃音研究・治療が始まって、100年が過ぎたが、吃音を治す方法もわかっていないし、様々な吃音についての研究も疑わしい。信じられないことだが、いまだにコオロギを食べたら治るなどの迷信を言う人もいる。どうして100年以上たった今でも、私たちを取り巻く環境は変わらないのだろう。
 「かわいそうに、あなたの言いたいことは、代わりに言ってあげるから」、「どもっていてもどうってことないよ。誰でも時々、どもることはあるよ」、「そんな話し方はやめて、スムーズに話せるようにスピーチセラピーを受けなさいよ」などと、いまだに言われる。また、私たちはまだそれを受け入れてしまい、わが道を歩めないでいる。
 どうして学校ではいじめがまだたくさんあるのだろうか。私はからかわれただけではなく、小突かれたりたたかれたりもした。でもことばによるいじめの方がもっとつらかった。ことばの暴力を受けても言い返すことばが出てこなかったからだ。彼らは私のことを無能呼ばわりをしたが、何よりもつらかったのは無視されることだった。
 心は深く傷つき、成すすべもない。いじめられた子と、仲良く握手して友だちになれと言うだけでは、いじめはなくなるものではない。「とても良くやっているよ」と周りからほめられても、すぐには信じられない。たった一度からかわれただけで、私は、自分は価値のない人間だとすぐに信じてしまっていたのだから。

私からの提案
 一日に一つでも何かうまくできたことがあればそれを紙に書いてみるとよい。「おいしい料理ができた」「子どもたちに受けた」「笑顔になれた」とか、シンプルなことでいい。リストがずっと続いてあっと驚くはずだ。アイデアが切れたら、パートナーや子ども、友だち、同僚に聞いてみるとよい。そしてそれを信じることだ。
 私たちはどもっていても、人としての価値がなくなるわけではない。どもりこそ私たちを際立たせてくれる。今この世界大会にいる人たちを見まわしてみよう。すばらしくてハンサムで魅力あふれる人たちだ。誰だって彼らと一緒にいたいと思うはずだ。
 スエーデンに移り住んだとき、私は恋をしていた。相手のことをまだよく知らないのに、十代の子どもが二人もいる年上のスエーデン人の男のもとへ走って、もしうまく行かなければとの不安に押しつぶされそうだった。でも、あの時に決断せずにいたら一生後悔していたかもしれない。
 スエーデンに移り住んで25年になる。どもりにまつわる苦しい思い出が残るオランダ。今は笑顔でこの国が私を強くしてくれたと言える。

すべてがどもりのせいではない
 どもりのために仕事に就けないとか、結婚できないと言う人がいる。どもる子どもは今もいじめを受けている。どもるから人と接することのない仕事を選んだ方がいいと、今でも言う人がいる。いろんな不安があるだろうが、起こらないかも知れないことを恐れるのは、エネルギーと時間の無駄だ。どもりと共に生きることは、たやすいことではないかもしれない。どもりで良かったと、もろ手を挙げては言えない。
 ならば、どもりとは障害なのだろうか。障害と定義されたくない人もいる。他の人たちにできることができないから、障害だと言う人もいる。私もそうだと思う。でも私たちの能力を奪っているのは、どもりそのものではない。電話を途中で切ってしまう人がいるなどの社会状況のせいだ。どもるから仕事に就けないと思うのは、たいていは、私たちがその状況を避けて、自分でハードルを高くしているのだ。プライドを捨てれば「障害」のことばを受け入れられるかもしれない。私たちも子どもたちも、もしどもりのために就職できないとか、学校の援助が得られなけれは、私たちの声を届けるために、法的な権利を求めるべきだ。
 車椅子の人に向かって「ぐずぐず言ってないで、歩く努力をして私たちのように歩き始めなさいよ」と言う人はいない。それなのに、どもる私たちは、「早く、ちゃんと言いなさい」と言われ続けてきた。私たちは完全でなければ仕事を持てないのか。
 私たちはどもりに打ちのめされないようにと、どもらない人たちよりも一層の努力をしてきた。そんな優秀な私たちを雇えば、企業は成功するはずなのに。
 あなたの人生は、人が、あなた自身やあなたのどもりをどう思っているかで決まるのではない。もしかして、あなたにとっての敵とはあなた自身なのではないか。あなたはどのように自分を評価しているか。どもりによって、能力によって、それとも外見、仕事、知識によってなのか。自分のことをどう思っているのかが、最も大切なことだ。

変わるのは、今
 あなたは自分からどもりのことを話す人なのか、それとも相手が言い出すまで待つ人なのか。世界大会が開かれる国の空港の税関で、係員にどもりの大会に行くのだと言ってみるとよい。「何の大会?」と笑いながら聞かれたら、説明する。どもりのことで話が弾むかもしれない。
 私の胸には二つのバッジがついている。私のプレッシャーと聞き手のプレッシャーを和らげるためのものだ。
 「そう、私はどもるけれど、あなたは何が得意?」
 「どもっていても大丈夫。私のことばは繰り返して言う価値がある」
 あなたが今の状況に満足できないでいるとしたら、いつ変化を起こすのか。10年後、20年後、50年後、それとも今なのか、そしてどこで変化を起こすのか。
 どもる子どもであれば、どもりを自覚する、早い時期がいいかもしれない。子どもたちに困難に出会ってもそれに対処できるような精神力と話すためのツールを与えるのだ。
 セラピストに言いたい。言語訓練だけを考えるのではなく、私たちの話を聞いてほしい。セラピーの場に子どもの友だちも呼べば、力になってくれるはずだ。ただ治療をして私たちを研究するのではなく、どもる子どもや親の話を聞いてほしい。
 このように講演をしている私は、すべての困難を乗り越え、すべてを知る完壁な人間ではない。今でも毎日苦しみもがき、受け入れられることを求めている。でも仲間と一緒に”NO MORE”と声を上げれば、きっと変化は起こる。

アニタさんの基調講演を聴いて
彼女は世界大会でいつも自作の詩を朗読する。研ぎ澄まされた感性から生まれる詩の世界は、どこまでも繊細で心を揺さぶられる。今回の基調講演では、彼女の吃音人生がタペストリーのように丹念に綴られ、次々と映し出されるスライドは、彼女のアーティストとしての創造性に溢れていた。これまでくぐり抜けてきた数々の困難の中にあっても、独特のユーモアと鋭い批判精神は失われずにいた。その力強いメッセージは、どもる人たち、特に若い人たちの心の奥深くまで届くだろう。
 彼女は、ヨーロッパのどもる若者にとってカリスマ的存在だ。海を越えて日本のどもる人たち、特に若者たちに向けてのメッセージになればと願う。「もちろん!」とアニタならきっと言うはずだ。

  吃音否定から吃音肯定への語り
        ナラティヴ・アプローチの提案
                    伊藤伸二(日本)
 1965年、どもる人のセルフヘルプグループを創立以来、48年間活動を続けている。1986年、京都で開催した第一回世界大会の大会会長。国際吃音亀連盟顧問理事。日本吃音臨床研究会会長。

 吃音は原因も解明できず有効な治療法はない。その中で「吃音否定」の立場に立った臨床を続けていると、私たちの多くが経験した、「吃音が治らないと人生はない」と治ることばかりにとらわれた苦悩の人生を送る可能性がある。
 吃音が治らなければ、軽減されなければ人生を豊かに生きられないわけではない。私たちは、吃音に悩みつつも自分の人生を生きてきた。どもる人のセルフヘルプグループが世界中で活動し、多くの体験が集まることで、世界中で実証済みだ。
 世界でも、日本でも、どもりながらむしろ話すことの多い、教師や営業職などのさまざまな仕事に就いて、豊かに生きている人は多い。吃音が治り、あるいは改善されたのでこれらの仕事に就いたわけではない。この事実は、吃音が、治療・改善を目指さずとも、生きていけることの証だ。
 「吃音セラピー、言語訓練のおかげで今がある」という人がいるが、セラピーが契機だとしても、吃音の変化は、日常生活で起こるもので、自然治癒力のようなものが働いたのだ。治療のために、病院に入院し、治り、改善して退院したのなら、病院の治療の成果だと言えるだろうが、治療を受けながら、人々は社会生活を送っている。人と関わり、話す生活が、結果として言語訓練になっているのだ。
 私は48年間セルフヘルプグループで活動する中で、吃音そのものが人を悩ませるのではなく、「吃音否定」の物語を語り続けることが、その人を悩ませ、行動、思考、感情に影響することに確信をもった。言語訓練よりも、この「吃音否定」の物語を、「吃音肯定」の物語に変えていくことが、現実的で、より効果的な吃音のアプローチだ。
 世界的ミュージシャン、スキャットマン・ジョンの、吃音否定の52歳までの人生は、苦悩に満ちたものだったが、吃音を肯定したことで、彼の人生はがらりと変わり、世界の人気者になった。
 アカデミー賞映画「英国王のスピーチ」も、デヴィッド・サイドラーの脚本によれば、「どもる情けない国王」から、「どもっても、語るべきことを語る、誠実で、責任感ある王」へと語りを変えたことで、開戦スピーチは成功した。その人の語りこそが人生に大きな影響をもつ。
 家族療法の領域などで実践される、ナラティヴ・アプローチが、言語訓練に代わる効果的な吃音のアプローチになるだろう。セルフヘルプグループの大きな機能は「語り合う」ことにある。その語りをより効果的にするために、ナラティヴ・アプローチが役に立つ。
 どもる当事者は、吃音に対するネガティヴな語りをやめ、肯定的な語りを始める時期にきている。セルフヘルプグループは、肯定的な語りを集め、社会に公開していくことを大きな使命にすべきだ。また、社会の「吃音は治せる、軽減できる、治すべきだ」「治らないと有意義な人生は送れない」などとする、ドミナント・ストーリーを変えていく役割を、国際吃音連盟(ISA)が担うべきだ。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/11/10

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