レジリエンスと防災教育

 僕は、「吃音は予防教育だ」、とよく言ってきました。早期自覚教育の必要性も話してきました。2011年3月11日の東日本大震災を経験して、より一層その思いを強くしました。
 今、かなりいろいろな分野で浸透してきた「レジリエンス」。僕たちは、かなり早く出会い、取り入れ、その育成に力を入れてきました。「スタタリング・ナウ」2013.3.20 NO.223 より、巻頭言を紹介します。

  レジリエンスと防災教育
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 東日本大震災から2年。今年も3月11日がやってきた。私の大切な、吃音親子サマーキャンプの教え子を津波で失ったことも含めて、この日は私にとって、特別の忘れたくない一日だ。
 亡くなった多くの人々に思いをはせ、残った者として、この一年をどう生きたのか、これからの一年をどう生きるのかを考える大切な一日だ。私には、大晦日から元旦を迎える一日以上の意味をもつ。
 かつて経験したことのない、地震と大きな津波の連動、原子力発電所の人災を考えたら、日本人の死生観、人生観が大きく変わるだろうと思った。一時的にその機運があったかに見えたが、被災地以外の日常は、経済重視の、元の人生観に戻り、日本は、大転換のチャンスを逸してしまった。これらについて発言したいことは多いが、本紙の主なテーマは、吃音をどう生きるかだ。吃音に絡めて大転換を提案したい。
 3・11から私たちが教訓とすべきものを整理すると「レジリエンス」と「防災教育」にたどりつく。それは私にとっては新しいことではなく、ことばは違うが、「早期治療から早期自覚教育へ」や「悩む力、どもる力」などですでに書いてきたものだ。新しい年を迎えるに当たって、私たちが学び、展望すべきことを考えたい。
 昨年の私たちの活動は「ナラティヴ元年」だった。ナラティヴ・アプローチを学ぶ中で、精神科医の小森康永さんから、「レジリエンス」の概念を教えていただき、さらに、国重浩一さんをご紹介いただいた。新しくいろんな人と出会っていけるのは、「吃音を治す・改善する」を目指していないからだ。つくづくありがたいことだと思う。
 スクールカウンセラーとして被災地に入った、臨床心理士の国重浩一さんから、被災地の子どもたちの様子をお聞きした。
 世間一般で言われているような、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で子どもたちは大変な状況に必ずしも陥っていない。自然災害は誰の責任でもないと受け止めていると話して下さった。
 「逆境を乗り越え、心的外傷となる可能性のあった苦難から新たな力で勝ち残る能力、回復力」というレジリエンスの概念は、たくさんのどもる子どもたちと重なった。どもることを指摘されたり、からかわれたりしながら、音読や発表で苦戦しながら、子どもたちは、時に落ち込みながらも、元気で生き延びている。
 かわいそう、治してあげなくてはという「脆弱性モデル」ではなく、「レジリエンスモデル」でどもる子どもとつきあいたい。そろそろ、子どもは守られるだけの存在だという子ども観から脱却しなければならない。
 今回、「津波てんでんこ」で知られる防災教育の徹底さが、生死の明暗を大きく分けた。石巻市の大川小学校では全校児童108人中74人が津波の犠牲になった。なぜ教師は子どもたちを助けられなかったのか、苦しい中で検証が続く。一方、群馬大学・片田敏孝教授から「地震がきたら、家族を待たずにてんでんばらばらで逃げろ。ひとりでも生き延びろ」の防災教育を受けた釜石市の小学・中学生は、2926人中、学校の管理下になかった5人を除いて全員が、津波から逃げ「釜石の奇跡」と言われた。しかし、子どもたちは「日頃教えてもらったことを実践したまでで、奇跡でも何でもない。これは僕たちの実績だ」と話している。
 このふたつの体験から私たちは何を学ぶか。
 吃音は、どもること自体には何の問題もない。吃音をマイナスのものととらえ、吃音を隠し、話すことから逃げる、シーアンの吃音氷山説の水面下が大きな問題なのだ。吃音を理由に人生の課題から逃げる劣等コンプレックスに陥ることで吃音は問題となる。そうならないための予防教育を、私は早期自覚教育として提案してきた。
 これが、防災教育に似た「予防教育」だといえる。ことばの教室で、吃音キャンプで、予防教育を受けた子どもたちは、レジリエンスを発揮して、元気で生きている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/29

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