今、ここに生きる

 吃音とともに生きることを決めた僕の前には、たくさんの学びたい、学ぶべきことがありました。「吃音を治す・改善する」には、治療法しかありませんが、よりよく生きるためには、先輩が残してくれた大切な、哲学や心理療法や、精神医学、社会学がありました。吃音を否定的にとらえることで起こる行動、思考、感情に対して役立ちそうなことを探して、本を読み、ワークショップに出かけました。そのひとつが、ゲシュタルトセラピーでした。倉戸ヨシヤさんのワークショップに参加し、僕たちの2泊3日の吃音ショートコースというワークショップの講師として来ていただきました。その中で学んだ「ゲシュタルトの祈り」は、ずっと心に残っています。
 「スタタリング・ナウ」2013.2.22 NO.222 より、巻頭言を紹介します。

  今、ここに生きる
                       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ゲシュタルトセラピーは、私の好きなものの一つだ。吃音ショートコースに講師として来て下さり、久しぶりにお会いした倉戸ヨシヤさんとは、苦い思い出がある。
 20年以上も前のことだが、倉戸さんが私たちの集まりに講演に来て下さったことがある。倉戸さんの開口一番のことばが、「私は、以前、伊藤さんにつれなくしましてね」だった。
 私は「吃音を治す・改善する」はきっぱりと捨てていたが、吃音を否定的に捉えて悩むことで起こってくるマイナスの影響に対してのアプローチをずっと模索していた。役に立ちそうなものは、貧欲に学び、吸収したかった。
 私のゲシュタルトとの出会いは、随分前の、あるワークショップで知った、ゲシュタルトの哲学の九つ原則だった。

1 今に生きよ、過去や未来でなく現在に関心を持て。
2 ここに生きよ。眼の前にないものより、眼の前に存在するものを取り扱え。
3 想像することをやめよ。現実を体験せよ。
4 不必要な考えをやめよ。むしろ、直接味わったり見たりせよ。
5 操縦したり、説明したり、正当化したり、審判しないで、むしろ表現せよ。
6 快楽と同じように、不愉快さや苦痛を受け入れよ。
7 自分自身のもの以外のいかなる指図や指示を受け入れるな。偶像礼拝をしてはならない。
8 あなたの行動、感情、思考については完全に自分で責任をとれ。
9 今のまま、ありのままのあなたであることに徹せよ。

 吃音に深く悩んでいた21歳までの私に対してカツを入れてくれているような内容だったが、ゲシュタルトセラピーそのものがどこで体験できるかを知るにはしばらくかかった。身近にいた友人の紹介で、高野山のワークショップに参加した。
 その後何度も参加し、多くの人の人生の悩みに同席し、さらに学びたいと思っていた時、2年間メンバーを固定しての集中訓練の募集があり、申し込んだが、私は断られてしまった。
 私は当時、ほとんど自分が抱える問題はなくなっていたためワークを必要としない。いつもワークを支える外側にいるメンバーだった。加えて、吃音の問題に生かしたいと、ついメモをとっていた。その態度が、倉戸さんにとっては、常に第三者的な傍観者と映ったのだろう。
 私は、ワークこそしないが、傍観者でいたことはない。心は常に動かされ、ワークをした人と共にいた。ただ、吃音に生かしたいとの思いが強すぎ、感じるよりは、頭で学ぶ姿勢が強すぎたことは反省した。そのことを伝え、是非、メンバーに加えてほしいと、お願いの手紙を書いた。
 一度断られたものに、手紙を出してまで再度お願いするのは、よほど、今吃音に悩んでいる人に何らかの役に立つから体験したいという思いが強かったのだろう。その思いは伝わり、倉戸さんは一度断った私をメンバーに入れて下さったのだ。
 今回の吃音ショートコースで2人がワークをした。ひとりは、親との関係について、あとひとりは、自分の吃音との関わりについてだ。
 今回の報告で、エンプティチェアのワークを紹介しているが、残念ながら文字で伝わるのはごく一部だ。声の大きさが、姿勢が、からだがどんどん変わっていくのは、その場でいなければ分からない。終わった時のなんとも言えない、安堵した表情。「どもり様」が「どもりさん」に変わり、恨み辛みをぶつけていたのが「戦友」に変わる瞬間。私も彼女と共に今を生きていた。彼女がどもりを戦友と呼びかけたとき、私も泣いた。
 このような瞬間に立ち会ったとき、私はかって、メモをとったことがあった。その人の世界に、その人と共にいたら、とてもメモなどとれるものではない。傍観者ではないと、私は倉戸さんに手紙を書いたけれど、その自信が揺らいだ。倉戸さんが、つれなく当たったのも無理はない。
 25年の歳月を経て私はそのことに気づいた。
 二人とも胸に迫るワークだった。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/24

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