どもる覚悟

 「どもる覚悟」、僕はこのことばに、どもる人が気負うことなく、どもりと共に生きていこうとする清々しさを感じます。どもる人間として生きていく上で、必要不可欠な、大切なものだと思っています。
 今日、紹介する歌舞伎「傾城反魂香(けいせいはんごうこう)」、見終わった後の雪景色とともにとても印象に残っています。ここで描かれている吃音は、今、使われるようになった、「吃音症」といわれるようなものでは決してなく、もっと深くて豊かな人間的なものとして存在します。この豊かな世界を、僕は味わいたいです。(「スタタリングナウ」2013.1.20 NO.221)

  どもる覚悟
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 壽初春大歌舞伎「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)の昼の部の舞台がはね、どもりの又平と共に歓喜の「大頭の舞」を一緒に舞っているような高揚感をもって新橋演舞場を出ると、予想もしなかったそこは一面の銀世界になっていた。
 1月14日、成人式の日、久しぶりに観た歌舞伎は、以前から観たかった「傾城反魂香」。大阪を発つときには歌舞伎を観るとは考えもしなかった。11日、神奈川県秦野市立西小学校で、どもる子どもや保護者と語り合った。その夜、催しを企画した4人の教師との懇親会で、吃音について楽しく話しているときだったか、正月に初めて観た歌舞伎が、どもる人間が主人公だったので驚いたとの話を聞いた。難しい名前の演題をその人は正確には言えなかったが、どもりの又平の物語だとすぐに分かった。東京に滞在中に、以前から観たかった舞台が催される。「ここで会ったが百年目」と、観に行かないわけにはいかない。千葉のことばの教室の仲間を誘って3人で出かけた。12日に聞いた、立川志の輔の新春恒例のパルコ公演のその日の演題が、「百年目」だったのも、因縁めいている。
 大きな力のはからいで、はからずも、念願だった「どもりの又平」を、大好きな、人間国宝・中村吉右衛門の又平を、観ることができた。そして、7年ぶりの東京の大雪の銀世界に、「こいつあ、春から縁起が良いわい」と、私がよく言う歌舞伎の名セリフが口をついて出てきたのだった。予約していた飛行機は欠航で、急遽新幹線で大阪に戻るハプニングも楽しむことができた。
 近松門左衛門作の「傾城反魂香」は、ひどくどもってしゃべれない夫と、弁が立ち、夫の口になるなどして、常に夫を支える妻との夫婦の情愛と絆を描いた名作だ。
 土佐の名字を名乗ることを切望していた絵師の又平は、後輩に先を越されて焦り、師匠に自分も名乗らせてほしいと訴えるが、どもって言えない。代わりに弁の立つ妻おとくが切々と訴える。
 おとくは、人並み以上に弁は立つが、出しゃばりではない。夫の求めで、夫の考えや気持ちを代弁している。師匠への訴えも、又平の求めに応じてのことだが、いかに能弁な妻でも自分の思いをすべて伝えられているわけではない。妻の切々たる訴えを師匠が退けたとき、ここは、いかにどもっても自分のことばで言いたいと、又平はどもる覚悟ができたのだろう。
 それまで、妻の代弁に頷いてばかりいた又平が、敢然と話し始める。のどをかきむしるように、必死に声を振り絞り、願いが叶わぬなら殺してくれとまでして訴える。おとくが夫の心情を訴えても、又平自身がどもりながら必死で訴えても、願いが叶わないと分かって、又平は絶望し、生きていても意味がないと自害を決意する。
 羽織を脱いで、切腹の準備をする又平におとくは、今生の名残りとして、師匠の絵筆を借りて、自画像を描くことをすすめる。死を覚悟して、必死に絵筆を握る又平には、もう世間体や名誉心はない。ただ、一心不乱に絵を描いていく。すると、その絵が石を貫き、手水鉢の裏側に抜ける奇蹟が起こり、絵師としての実力が認められて、土佐の名字を名乗ることを許される。
 いかにどもりでも節がある謡曲はどもらないと、妻の鼓に合わせて謡い舞う姿に、又平の、絶望から抜け出た喜びがあふれていた。
 今回15回目となった文学賞。その人の人生が描かれる受賞作は、毎回それぞれ趣が違う。東京から帰って、もう一度読み返し、不思議な縁だが、今回の3つの作品は、いろいろな意味で「どもりの又平」に通じると思った。
 自力ではどうにもならないことは、大いなるものに身を委ねるしかない。死ぬ気で絵筆を握る姿が、3人の作者に重なった。この、身を委ねるにもひとりではできることではない。又平には妻のおとくがいて、3人には私たち仲間がいる。
 自力ではできないと、何かをあきらめたとき、新しい力、新しい道がおのずから開かれていく。自ら何かをしようとしたのではなく、何かに突き動かされていく不思議な体験をした初春だった。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/15

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