子どもの幸せにつながる吃音否定から吃音肯定の吃音臨床

 明日から、第34回吃音親子サマーキャンプです。千葉、東京、神奈川、埼玉などの関東から、新潟から、滋賀、三重、京都、兵庫など近畿から、長崎、鹿児島など九州から、2泊3日のサマーキャンプに人々が集まってきます。わくわくしながら、最後の準備をしています。

 今日は、2012年5月12・13日、東京の都市センターホテルで行われた、日本小児科医師会の第14回「子どもの心」研修会での講演を紹介します。吃音否定から吃音肯定へ、僕自身の体験、出会った多くの人や子どもたちの体験をもとに、一所懸命話したことを覚えています。2回に分けて、紹介します。

  子どもの幸せにつながる吃音否定から吃音肯定の吃音臨床
                    日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

はじめに
 小学2年生の秋まで、吃音を全く意識することなく、明るく活発で元気だった私は、学芸会でセリフのある役から外されたことで、吃音をマイナスに意識しました。強い劣等感をもって、苦しい学童期、思春期を生き、21歳の夏まで、吃音に支配された苦悩の人生を生きました。
 21歳の時、吃音治療機関で、治す努力をしても治らなかったために、治すことを諦め、どもる事実を認め、どもりながら生活する中で、私の吃音に対する考えも感情も大きく変化し、吃音の呪縛から解放されました。体験をもとに、「吃音否定」から「吃音肯定」の臨床を提案します。

吃音否定の吃音臨床とは
 どもることばを、吃音症状と名づけて治療する、吃音否定の臨床が続けられてきました。言い直しをさせず、そのままを聞きましょうのアドバイスは、吃音肯定に見えますが、その関わりで吃音を意識させなかったら、そのうち吃音が自然に消えるという、治ることを目指しています。
 親も、治らないと、学校で吃音を指摘され、笑われたり、からかわれ、時にはいじめに発展するのではないか、仕事や結婚に影響するのではないかとの将来への不安から、今のうちに治しておきたい、「吃音否定」が本音です。

吃音否定がなぜ問題か
 外科的な手術や、副作用のない薬物療法で吃音が治るのなら、吃音否定の立場の臨床でも、問題は少ないかもしれません。しかし、吃音は有効な治療法はなく、周りの関わりや言語訓練で改善されるは、希望的観測で、不確実なものです。治らない、治せない吃音に「治療・改善」の立場をとると、私が経験し、大勢の人々が辿ってきた苦悩の道を歩むことになる可能性があります。大勢の吃音に悩む人の人生を整理する中から、吃音そのものが人を悩ませるのではなく、「吃音否定」の感情や考えが、その人を悩ませ、行動にまで影響することが明確になりました。
 私は、生活の中でうまくいかなかったことやできないことをすべて吃音のせいにして、21歳まで苦悩の人生を送りました。「吃音さえなければ、私は幸せに生きられる」とどもる自分が認められず、「吃音を治したい」思いばかりが膨らみました。「吃音が治ったら何々しよう」と、自分のしたいこと、しなければならないことを諦めたり、引き延ばしたりしてきました。吃音を隠し、話す場面から逃げ、消極的になりました。吃音を否定し、吃音を治そう、改善しようと努力をすることが、ますます悩みを深めることに気づいたのです。強くマイナスに意識したものを、「まあ、どもってもいいか」と、どもる事実を認めることを、私は「ゼロの地点に立つ」と言いますが、この地点に立つまでにかなりのエネルギーが必要です。私は21歳、アメリカの吃音研究の第一人者、チャールズ・ヴァン・ライパーは30歳でした。

スキャットマン・ジョン
 私と親しかった世界的ミュージシャン、スキャットマン・ジョンは52歳でした。吃音の悩みから逃げるために、アルコール依存、麻薬依存になります。これらは、自分の意思と、セルフヘルプグループの活動で回復したものの、吃音は自分の意思ではどうにもならずに悩みます。アメリカから逃げ、ヨーロッパに渡ってしばらくして、CDを出す話が出た時、悩みは深くなります。「ヒットしたら、テレビや雑誌のインタビューを受け、隠し、逃げてきた吃音がばれる。吃音が知られるのは嫌だ」とノイローゼになります。「ばれるのが怖いのなら、自分で公表したら」の妻のアドバイスで、CDのジャケットに、自分の吃音を公表しました。どもってもいいと覚悟ができたのです。
 吃音否定の52歳までの人生は、苦悩に満ちたものでしたが、吃音を肯定したことで、彼の人生はがらりと変わり、世界の人気者になりました。スキャットマン・ジョンと親しくなったのは、世界吃音連盟に対する「今後の音楽活動の印税を、吃音のために使って欲しい」との提案に、私が反対したからです。他の理事が「吃音治療のために」と主張するのに対し、私は「ジョンは吃音を認めて生きる覚悟ができたから今がある。吃音治療ではなく、人はいかに吃音を肯定して生きることができるかの研究に基金を使うべきだ」と主張しました。彼は「この提案を待っていたものだ」と、とても喜んでくれました。そのジョンは、がんのために57歳でなくなりました。「吃音否定」の50年近い人生、「吃音肯定」の5年の人生。一緒にいろいろと活動したかったと残念です。
 ヴァン・ライパーは、30歳の時、吃音否定のままでは生きられないと、絶望の中から、どもる自分を認め、言語病理学者になろうと決意します。二人とも、追い詰められて、吃音否定から吃音肯定へ大きく変わっていくのです。

ジョージ6世の開戦スピーチ
 アカデミー賞映画「英国王のスピーチ」でのジョージ6世は、5年間の吃音治療で改善したから、第二次世界大戦の開戦スピーチが成功したのではありません。治療は、全く効果がありません。スピーチ40分前のジョージ6世のあせりの様子で、よく分かります。8秒前、セラピストに「結果がどうであれ、君には感謝している」と伝えてスピーチに臨みます。どもったら、どもるだけのこと、国王として私は伝える責任があり、国民は聞く義務があると、どもる覚悟ができたためにスピーチができました。
 「どもる、だめな国王」から、「どもっても話すべきことは話す、責任感ある王」へと、自分が語る物語を変えたことによる成功でした。あの映画は、吃音治療の記録映画ではなく、「吃音否定」を「吃音肯定」の物語に変えた、ナラティヴ・アプローチになっていたと私は思います。
 「吃音否定」が長く続くと、「吃音肯定」への転換は難しいのです。幼児期から「吃音肯定」の物語を、親、臨床家、子ども本人が語る必要があるのです。

吃音肯定の吃音臨床とは
 吃音肯定の吃音臨床は、吃音が治ることを目指しません。吃音が治らずとも、吃音を否定しなければ、自分なりの豊かな幸せな人生を送ることができます。治すために吃音を肯定するではなく、最初から、吃音全肯定の立場に立った吃音臨床です。吃音治療の効果はないのに、吃音を治す前提の吃音臨床で、吃音否定のまま治らずに学童期、思春期、成人期を迎えれば、吃音は大きなマイナスの影響を与えます。臨床家が幼児吃音に取り組むのは、将来、吃音によるマイナスの影響を受けることを予防するためです。すでに影響が出ているのであれば、吃音そのものではなく、その影響に対して取り組むのです。
 臨床を必要としない人は大勢います。実際に指導を受ける子どもの数はごく少数で、ほとんどの子どもは、何の治療も指導も受けずに成長し、社会人となり、様々な仕事について豊かに生きています。吃音に深く悩む人は多いのですが、それ以上に、吃音にあまり悩まずに吃音と共に生きている人が多いのではないかと、私は考えています。
 吃音の発生率1パーセントが正しければ、日本では100万人以上のどもる人々がいることになりますが、ことばの教室などで指導を受けている子どもの数、どもる人のセルフヘルプグループに集まる人の数は、それほど多くはありません。
 「大人になったら治る」と言われるのは、幼児期にほとんどの吃音は消えるからではありません。大人になるにつれて、語彙数が増え、ことばの言い換えなどをしている場合が少なくありません。また、生活の中で、話すことから逃げないで話していく内に、吃音が自然に軽減したり、コントロールできるようになった人は大勢いますし、軽減せずとも吃音が問題とはならなくなる人は大勢います。
 これは、自然治癒力、免疫力のようなもので、私の言う「自己変化力」による、自然な変化です。かつて吃音に悩んだけれども、今は問題はなくなったという大人や子どもはたくさんいます。吃音も、吃音に対する考え方やとらえ方も、自然に変化していくのです。かつて、吃音発生率1パーセントが世界の共通認識でしたが、近年、発生率は5パーセントで有症率が1パーセントと言われるようになりました。そうすると、自然治癒は80パーセントになります。こうまでして、幼児の吃音の自然治癒をなぜ主張したいのかと思ってしまいます。幼児吃音の自然治癒率は40~45パーセントだと最近は言われています。一方で、大人になっても、自然治癒に近い状態はあります。多くの人は、自己変化力があれば、自分の人生の中で変わっていくのです。
 吃音肯定の臨床とは、吃音を治そうとはせずに、この自己変化力に委ねることです。ただ何もしないで自己変化力に委ねるのではありません。病気の自然治癒、自己免疫力も、無茶苦茶な生活をしていれば、自然治癒力は働きません。治らない慢性病も、生活習慣を変えることで、自然治癒力は働きます。吃音も、吃音を隠す、話すことから逃げる生活習慣を変えないと、「自己変化力」は働きません。生活習慣を変える出発となるのが「吃音肯定」です。
 「吃音肯定」の臨床は、吃音が人生にマイナスの影響を及ぼさないように、親や教師、臨床家が取り組む臨床です。そのためにしなければならないことが、たくさんあります。吃音否定の臨床の問題点を明らかにし、吃音肯定の立場をとることの必要性を、吃音治療の歴史と私を含めてどもる人の人生を紹介しながら話します。

吃音治療の歴史
 アカデミー賞受賞映画、「英国王のスピーチ」の中で、1920年から30年代の吃音治療が紹介されていました。日本では1903年、東京の小石川で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の校長・伊沢修二が楽石社で吃音治療を開始しました。10年ほどで、数千人の人々が吃音治療を受けたとの報告があります。その後、民間吃音矯正所が日本中に作られ、現在の民間療法につながっています。
 世界の吃音治療の歴史は、吃音を否定し、「どもってはいけない」から始まりました。どんな不自然でも、どもらずに話す話し方を身につけ、それを定着させようとします。「わーたーしーはー」と極端にゆっくり言う、「わあーたしは」と音を伸ばし、歌うように話せば、ほとんどの人は、どもらずに話すことができます。しかし、不自然で日常生活の中では使えず、治療場面で話せてもそれを維持し、日常生活に汎化させることはきわめて難しい。それは、現在でも吃音治療の限界として誰もが認めています。
 1930年代、アメリカのアイオワ州立大学に、自分自身が吃音に深く悩んだ経験をもつ吃音研究者が集まりました。アメリカ言語病理学の基礎を作り、現在でも強い影響を与えているアイオワ学派の人たちです。ブリンゲルソン、ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパーは、どもらずに話す治療法を強く批判しました。それは、どもる不安や恐怖を強め、吃音を悪化させるとし、反対に、「どもりなさい」を提唱しました。ブリンゲルソンは、不安や、逃げたい場にあえて出ていき、わざと、意図的にどもろうという随意吃音を提唱しました。
 チャールズ・ヴァン・ライパーは、ひどくどもり、吃音では就職ができないと、30歳のとき、聾者を装って、農場で働きました。絶望の果てに故郷に帰ろうとした時に、一人の老人に出会います。車に乗せてもらって、「どこへ行くのか」と尋ねられてひどくどもり、老人に笑われて激怒します。老人は、「わしも若かった頃は、君のように力んでどもっていたが、今は力まなくなった」と、軽くどもって答えました。ライパーはその姿を見て、吃音を治すのではなく、どもり方を変えればいいのだと考え、言語病理学を学ぶためにアイオワ州立大学に入学します。 そこで、ブリンゲルソンから随意吃音を指導され、2年ほどして、人前で話せるようになり、大学の教員として働けると思うようになりました。随意吃音がチャールズ・ヴァン・ライパーに大きな効果があったので、ライパーの先輩の言語病理学者、ウェンデル・ジョンソンは、その大きな変化に驚き、随意吃音を練習しました。けれどもジョンソンの場合は、たちまち話せなくなるほどに悪化してしまいました。随意吃音はとても危険性の高い方法です。
 アイオワ学派の人たちは、随意吃音に代わって、楽にどもることを提唱しました。以来、「どもらずに流暢に話す派」と、「流暢に楽にどもる派」が激しく対立しました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/21

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