小さな哲学者たち
第34回吃音親子サマーキャンプが近づいてきました。会場の荒神山自然の家の食堂が閉鎖という思わぬアクシデントがありましたが、それを承知で参加を希望してくれた参加希望者とスタッフに心より感謝します。
今日は、23回目となる吃音親子サマーキャンプの報告です。まず、巻頭言から紹介します。ここに出てくる教育ドキュメンタリー映画「小さな哲学者たち」は、僕にとって衝撃的だったけれど、でも、サマーキャンプで出会う子どもたちのことを考えると納得できる姿でもありました。今年も、どんな小さな哲学者たちに出会えるのか、とても楽しみです。(「スタタリング・ナウ」2012.11.20 NO.219)
小さな哲学者たち
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
パリ郊外の幼稚園の、幼児クラスの担任パスカリーヌ先生は、月に数回「哲学」の授業をする。「愛」、「自由」「大人と子どもはどう違う」「友だち」「死」など、時々によって違うテーマを子どもたちに投げかけて対話をする。子どもたちのための哲学の授業という、世界的にも珍しい試みの様子を2年間にわたって記録した、教育ドキュメンタリー映画が「小さな哲学者たち」だ。
最初は慣れていないために集中できなかった子どもたちが、大人でも難しいテーマを真剣に考え、ことばにしていく。授業の最後の日、「哲学の授業」が大好きになった子どもたちは、これから進級する小学校には、「哲学の授業」がないからつまらないと発言していた。この発言に、私は吃音親子サマーキャンプの子どもたちを重ねていた。
今年23回目になる吃音親子サマーキャンプが始まった頃、楽しいキャンプを主張する言語聴覚士たちと、吃音の話し合いを重視する私たちと、常に対立していた。吃音について、自分のことばで吃音の物語を話せ、他者の吃音の物語を聞いて対話を続けたことが「吃音を生きる」出発となったことを経験している私たちは、吃音についての話し合いは譲れなかった。私たち単独で行うようになって、90分、120分、60分の話し合い、さらに90分の作文教室の時間に吃音と向き合う。話し合いが私たちのキャンプの一番の柱になった。
その後、卒業式のために60分の話し合いをカットしたとき、「吃音の話し合いを一番楽しみに参加しているのに、時間が減るのは困る」と苦情を言ってきた子どもたちも多かった。子どもは、楽しい遊びの方を喜ぶだろうと思っている大人の感覚と、「哲学」でいろいろなテーマを語る楽しさを知った子どもたちの感覚の違いを思う。
今年のキャンプも小学1年生は1年生なりに、高学年や中学生、高校生はその年代に応じて、吃音の様々な問題について語り合っていた。
私は5、6年生の子どもの話し合いに加わったが、人の話を真剣に聞く姿が印象的だった。話し合いを子どもたちはこう振り返った。
・みんなの話を聞いて、考え方が変わった。
・話し合いができる仲間ができてよかった。
・どもるのが恥ずかしく恐かったが、どもってもいいと思えた。
・みんなのことを思い出して学校でもがんばる。
その中のひとり、初参加の5年生の女の子がこんな作文を書いていた。
「(略)…『英国王のスピーチ』を見てどもりを治してがんばっても結果は同じだったけれど、ジョージ6世は自分は自分やし、どもってもいいやという気持ちがあったから最後に話せたのだと思いました。一番最後は感動して泣きました」
私は、大学や専門学校で、講義の前に、映画『英国王のスピーチ』の感想レポートを提出してもらっている。150ほどのレポートを読んだが、現職教員を含め、彼女のようなことを書いた人は誰ひとりいなかった。多くが、言語聴覚士・ローグのセラピーの成果で、開戦スピーチが成功したと考えていたからだ。まさに彼女は小さな哲学者だ。
先だって、東山紀之主演の『英国王のスピーチ』の舞台を観た。吃音に悩んだ当事者、サイドラーの脚本を、監督と主演のコリンファースが誠実に徹底的に討議して生まれた映画と、吃音の理解が浅い脚本と演出、東山の演技で、ここまで別物になるのかと、あまりにも映画との違いに驚いた。
舞台の東山は繰り返しの多い、表面的にはかなりどもるジョージ6世を演じた。そして、最後のスピーチは、ぺらぺらと演説のように流暢に話し、全くどもらない。コリンファースが、どもる真似ではなく、内面的な苦悩を表現して、ブロックのある、どもる人の「間」を上手に生かしながら、訥々と、誠実にスピーチしたのとはまるで違った。
この舞台だけを観た人は、ジョージ6世の開戦スピーチは、言語訓練でこんなにも流暢に話せるようになるのかと映画以上に思ったことだろう。
これでは、小さな哲学者が、感動して泣くこともなかっただろうと思う。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/16

