対談「カナダ・北米の吃音治療の現状」について

 千葉、東京、栃木と関東地方での研修会の7泊8日の長旅を終え、大阪に戻りました。
 暑い大阪で、いつもの生活に戻ろうと努力しているところです。吃音講習会が終わったこと、「吃音の夏」の前半が終わったことを挟んだので、北米の吃音治療の現状についての対談の続きを紹介していないことに、今、気がつきました。ちょっと長いですが、紹介します。

  対談「カナダ・北米の吃音治療の現状」について
     池上久美子:同志社女子大学嘱託講師(当時)
           オンタリオ州立リハビリデーションセンター言語聴覚士
     伊藤伸二:日本吃音臨床研究会
     2012年5月18日 大阪吃音教室〈後編〉

子どもの臨床  リッカムプログラム

池上 私がカナダから帰る2年前には、私のセンターでは、リッカムプログラムを積極的に取り入れ、オーストラリアから講師を招いて1日のワークショップがあり、参加できるセラピストはほぼ全員参加する意気込みでした。私もその時は「リッカムを聞ける」と、すごく楽しみにしていました。
伊藤:2007年、僕はクロアチアでの第8回世界大会で、リッカムプログラムの中心人物、オンズロー博士のワークショップに出ました。これまで幼児の吃音は言い直しをさせないが主流だったのを大転換した。どもったら言い直しをさせて、言い直してどもらなかったら、「うまくしゃべれたね」とほめる。でも、それは一回きりで、言い直しをさせた時にどもったら、それをけなしたり、否定したりはしないと言う。
 僕は、どもらなかったらほめられて、どもったら、ほめられないのなら、どもることはいけないことだと、吃音に対する否定的な感情が芽生えるんじゃないかと質問したら、オンズロー博士は「オーストラリアのスピーチセラピストは、吃音を否定的には考えていないから、子どもが吃音を否定的に考えることはありません」と、はぐらかされました。議論しても無駄だとそこは納めたけれど、吃音を否定的に考えないのなら、言い直しさせる必要もない。言語聴覚士は、本音としては、かわいそうだ。治してやりたい。治ったほうがいいと思っているんじゃないですか?
池上:そう思っていると思います。
伊藤:思っていますよね。吃音を否定しているという本音を隠しながら、否定しないと言う。
池上:言語聴覚士としてはそういうことですね。どもらなかったらほめられるので、子どもはほめてもらいたいからどもらずに、しゃべろうとする。否定的なことは一切言わないので、どもらないほうがいいと暗に思っているとしても、子どもには伝わっていないだろうと考える。でも実際、子どもに聞いたことはないので、分からないです。
伊藤:普通の感覚でいくと、どもっちゃいけない、どもらない方がいいとなる。どもらなかったら、チョコレートが貰える。ワークショップでは、言語聴覚士は、その子どもが何が好きなのかを調べて、治療室に置いておきなさいと言っていた。どもらずにしゃべれたらあげるのは調教ですよ。

リッカムプログラムの実際

池上 最初は私がモデルとして、子どもとセラピーをするんです。そして、私が言ったことを、「お母さん言ってみて下さい」という感じで、ゲームの中で実際に言う。だいたい一日目は私のセラピーを見てもらって、その次は「最初の2・3分間は私がしますので、次の2・3分間はお母さんがやって下さいね」という形です。それで言い方がちょっと間違っていた場合は、「じゃあもうちょっとお母さん、こういうふうに言って下さいね」という指導の形になります。
 お母さんも多少トレーニングをされているので、お母さんのしゃべるスピードを少しゆっくりにしてもらっておく。その上で、「もう一回言ってごらん、お母さんみたいに」(※通常よりもゆっくりな言い方で)と言う。
 お母さんがゆっくり言うモデル示すわけじゃない。どもり方のモデルは、一切しないです。ゆっくりしゃべりなさいとは、直接的に言わない。その代わりに「かめのようにしゃべってみよう」と言ったりします。
 「どもったね」というふうにコメントをするのではなく、「BUMPY SPEECH(でこぼこ)」といったような表現を使います。根本はあまり変わらないと思いますが。どもった時やスムーズに話せた時に親に何と言ってもらいたいかは子ども自身が決めることもあります。
 アクティビティーとしては、単語での会話(カードゲーム)、フレーズでの会話(ボードゲーム等)、文章(物語)等を使用し、子どもが使用する言語に制約を加えます。スムーズに話せるようになればなるほど、文章での会話を増やしたり、多少子どもが興奮するようなゲーム等も加えていきます。
伊藤 子どもはみんなゆっくりしゃべりますか?
池上 いや、しない子もたくさんいます。特にゲーム等で興奮していたりすると、ゆっくりなんてしゃべっている場合じゃないって感じです。でも、そしたらなかなかカードが貰えなかったりするので、じゃあもう仕方ないなあみたいな感じに。
伊藤 仕方がないから、かめさんみたいにしゃべってやろうかって。
池上 そうですね。ということですね。
伊藤 親がセラピーに参加するということは、子どもが流暢にしゃべれなかったら、親の指導が悪いということになりませんか。
池上 そういうことになるのかもしれませんね。家での宿題ができていないことになる。
伊藤 家での宿題ができてない、すごいことですね。今は、まだリッカムプログラムは、日本では導入されてないけれど、日本の吃音研究者や臨床家が、海外のワークショップなどに行って、「これがいい、これがいい」と紹介するようにきっとなる。僕は日本でも火がつくような危険性を感じます。だから火がつかないうちに、リッカムプログラムのばかばかしさを知らせないといけないと思うんです。

スピーチは言語聴覚士、心理的な部分は

伊藤 僕らは早くから、吃音の問題は吃音の症状ではなく、吃音によって受けたマイナスの行動、思考、感情の問題だと主張してきました。そういうところから、論理療法、アサーティブ・トレーニング、交流分析、認知行動療法など、使えそうなあらゆる精神医学、臨床心理学、カウンセリング、社会心理学などを学んできました。アメリカの言語病理学者や言語聴覚士たちは、そのような領域に関心がないんですか。
池上 あまり関心がないですね。吃音とは別のことと捉えている。
伊藤 ということは、吃音氷山説の行動、思考、感情など、精神的な領域は、臨床心理士や精神科医がして、自分たちが取り組むのは、口の部分だけということですか。
池上 というのが、やっぱりかなりあるのかなあと思います。たぶん海外、欧米でそういう動きがあるのは、心理学者が社会にかなり浸透しているというのもある。うつの患者さんも、普通に「私には、心理学の先生がいるのよ」と言っているし、薬を飲んでいる人も普通にいる。私の友だちだけでも3・4人が薬を飲んでたり、定期的にカウンセリングを受けていたり。日本に比べてカウンセラーが、社会に浸透している部分があるので、領域として住み分けていると思います。
 スピーチは言語聴覚士、もうちょっと心理的な部分に関しては、カウンセリングという住み分けが、日本よりはっきりしている。日本は友だちで、カウンセラーに通っているとか、薬を飲んでるという人は、あんまり私の周りでは聞かない。
伊藤:なるほど、そういうことなんでしょうね。僕は言語聴覚士の専門学校で、「君たちは、いわゆる臨床心理士の心理学じゃないけど、教師やナースやソーシャルワーカーも知っていた方がいいような、育てるカウンセリングを学び、身につけてほしい。それほど専門的ではないけども、交流分析、論理療法、アサーティブ・トレーニングなどは、一般市民が学んでいるものだから、それらを使える言語聴覚士になった方がいいよ」と講義もし、勉強することを勧めている。アメリカやカナダなどでは、そんなことを言う専門家はいないんですね。
池上:それはあまりないです。特に吃音に関しては、もうほとんどゼロに近い。脳梗塞とかで失語症になられた方の家族サポートの部分では、カウンセリングがあったり、そういう設備の整ったところとの連携の取り方等は学びましたが、吃音に関してはゼロに近かったんじゃないでしょうか。

日本語は有利

伊藤:先ほど日本は文化としてどもる人が生き易いと言いましたが、もうひとつ日本語ほどどもる人の言語とし有利な言語はないと思ってるんです。国際大会で、外国の人とたくさん出会うけれども、かなりブロック(つまる)状態が多い。
池上:やっぱり空気の出方も、音も、舌の当て方も、向こうの方は大分強いので。日本人の方が、あんまりそんなグッと出さないんじゃないですか。音の数も少ないですし。
伊藤:だから、バリー・ギターの統合的アプローチの構音器官の軽い接触だとか、軟起声だとか、日本人はそんな訓練をしなくても、母音を大事に発音することを意識すれば、結果として構音器官の軽い接触や、軟らかく声を出す軟起声にもなっている。それを、日本の吃音研究者や臨床家は、アメリカの訓練法がいいと言って、すぐに翻訳して導入しようとする。不思議な感じがします。
池上:いいと聞いたら、向こうでやってることがいいと思ったら、すぐ翻訳とかされますよね。それがいいわけじゃないかもしれないのに。
伊藤:かもしれないというよりも、僕からすればもう全然だめですよ。よくアメリカに留学した人たちが、日本の言語聴覚士の専門学校の教員になると、「日本は遅れてる。アメリカは、ほんとに進んでいる」と本などに書いている。僕から言わせれば、吃音氷山説への取り組みなど、アメリカの方がずっと遅れている。大阪吃音教室の方が、はるかに進んでいると思う。何でもアメリカの方がいいと思ってしまうんでねえ。
 日本語は「ン」以外すべてに母音が、それもたった5つしかない母音がついている。アメリカの流暢性形成技法のスキルでは、例えば構音器官の軽い接触は「パッ」と言うのを「ぱあっ」と構音器官を軽く接触してみたり、そっとゆっくり言ってみたり、訓練をかなりしなきゃならない。それは、英語の発音が「パッ」と強く構音を接触するからどもるのだと考えているから、軽く接触する訓練をしなきゃならない。でも日本語は、母音を出そうと心がければ、それだけで、アメリカが必死にやっているスキルを、日常生活の中で知らず知らずのうちに身につけることができる。すごく有利だと思うんです。
池上:そうですね、音声学上から見ると、音の種類も日本語の方がかなり少ないです。例えば、英語の場合は数え方にもよりますが、母音が18か19ぐらいあるし、必ず母音が後ろに付いているわけでもない。声の出し方というか、息の量もまったく違う。映像で見ると、外国人がしゃべっているのは、ゴジラがしゃべってるぐらい、空気がたくさん出てる。けれども日本人がしゃべると、多分ここに手を当てていただいても、ほとんどの方があんまり空気を感じられない。
 英語の場合は「パッ」「ピッ」「プッ」「ペッ」「ポッ」という形で、ほとんどが「h」の音、「ハッハッ」という音が入るぐらい、空気も出します。ということは、唇の接触がきつくないと、そういう破裂音が出ないので、英語の方がかなり不利という部分はある。日本語では、「パッ」とか「カッ」とか、そこまで強く発話しないですし、日本語の場合は母音が5つで、舌もずうっと下にあって、時々上に上がる程度なので、空気自体が止まるということは英語に比べると少ない。なので、英語に比較するとですが、ブロックのような症状は、出にくい言語だと言うことができると思います。
伊藤:そうですよね。だから僕、外国で世界大会で聞くと、外国人の方がすごくどもるし、どもっているのも派手だし、日本人の方がずっと楽にどもっているなあと感じる。もちろんブロックの強い人は、日本にもいるけれども、外国と比べると、比較的楽です。
池上:そうですね。というのはあるのかなあと思いますね。
伊藤:それと、アメリカは今頃「構音器官の軽い接触や軟起声」と言ってるけど、実は日本は1903年に伊沢修二が吃音治療を始め、そこの基本的な治療の技法は、バリー・ギターの流暢性促進技法と全く同じなんです。「まず態度、口を開いて、息吸って、母音をつけて、軽く言うこと」と、大阪スピーチクリニックという民間矯正所で、僕らみんなで唱和させられて、発音指導された。これは、ギターの言う統合的アプローチそのもので、構音器官の軽い接触、軟起声、ゆっくり言うことなどがみんな網羅されてる。
池上:そのままですよね。されていますね。
伊藤:1903年に既に日本でやっていて、それをさんざんし、ほとんどの人間が失敗して、こんなものは役に立たないと考えて、生活の中で使わなくなり、どもりながら生活していく中で、どもりそのものも自然に変わっていった。1903年から100年経って、今頃何か新しいものかのように言うのが、バリー・ギターの統合的アプローチです。そういうふうに考えられますよね。
池上:考えられますね。

クリニックに行ける人たち

東野:3週間のプログラムで費用もかなり高いとなると、経済的にも豊かな人でないと、参加できませんね。それが100%再発するなら、消費者運動のように、クリニックに対して「おかしいんじゃないか、間違ってる、お金返せ」と、当事者から反発は起こらないんですか。
池上:あんまり聞いたことはないですね。というのも、通常のスピーチセラピー自体の費用がすごく高いものなんです。吃音に限らず、失語症になった人が治療に通ったり、小児に関してもそうですが、国の費用で賄えるのはある程度限度がある。それと、一番最初にお母さんが、「ちょっと、心配なんです」と電話をされて、一回来てもらうまでの待ち時間が、だいたい6ヶ月ぐらいあります。さらに診断で治療が必要と言われても、また治療の順番が回ってくるのに早くて6ヶ月ぐらいかかります。だからで、早い人なら電話をした時点から1年以内に治療が受けられるんですが、ほとんどの方は、長いと1年半の待ち時間があります。幼児の場合は、その代わり全額、国費で賄われるので、お金の負担は一切ないんです。
 けれども、そこまで待てない家族の方々は、実費で払われます。言語聴覚士の1時間のセッションの値段は、一応協会で決まっていますが、30分5,600円ぐらいで、1時間であれば11,000円から12,000円が相場になっている。
 アイスター(ISTAR:アルバーター大学吃音専門治療・研究所)の集中コースでは、毎日来て、1日6時間受けて、夕方も宿題があって、何か相談事があればいつでもメールできる環境にあって、総時間数で計算すると90時間以上になる。
 そのあとのリフレッシャーの3日間程度のセラピーも含まれているので、逆に安いという感覚になり、そういう運動も起こらない。
 価格設定がもともと高いので、30万円をあまり高いと思われない方が多いんです。それと、カナダはすごく広くて大きな国です。毎回通えない人が集中的にする人とか、自分の家の近くにそういう治療機関がないので、2、3年貯金をして来る人もいる。なので、希少価値があるという部分でも、その対価が30万円というのは、そんなに高いと感じないのが現状だと思います。

参加者は10人

池上:参加者はだいたい10名ほどです。一度に入れる人数にも制約があります。毎回、来たいからといって来られるわけでもなく、断られたりとか、次の機会に来て下さいと言われることもある。毎週、近所で通っているところは1回1万幾ら払っているとなると、その狭き門に入れての30万円は、計算上はそんなに高く感じない人も多い印象でした。
伊藤:10人だから、人数として少ないですね。僕らがセルフヘルプグループを作ったのは、高いお金ではなかったけれども、「東京正生学院は治ると宣伝しながら、治せなかったじゃないか」という吃音矯正所に対する強い反発と批判があった。「こういうインチキに騙されるのは止めようぜ」がセルフヘルプグループ設立の動機だった。グループを作ったエネルギーは、消費者運動に近かった。そこから出発して、最初はかなりクリニックに対する批判があった。そういうエネルギーがカナダの人にはないんですね。
池上:人数がやっぱり少ないので、エメルギーとならない。それも国土がかなり広いので。
伊藤:少ない、限られている。どもる人の声が分断されている。点在しているということですね。
池上:国費で賄われている部分もあるので、学生であればほぼ95%以上は政府や非営利団体等がお金を補助してくれています。

カナダの幼児~成人までの状況

伊藤 カナダの人口がどれだけかは知らないけど、年間40人や50人ぐらいしか、このコースを受けられないし、高額の言語聴覚士のところへ行ける人数も限られているとなると、ほとんどの人は吃音治療も何も受けずに、自分の力で吃音とともに生きている。それが圧倒的に多い。そう考えられますね。
池上 はい、多いですね。カナダでは、小学校が終わった時点で、ほぼすべての治療、例えば国から学校に派遣されるカウンセラーはすべて切られる。もともと小学校で治療が受けられる人数も少なくて、かなりひどい症状とか、親戚とかお父さんがどもるとかの条件をクリアーした人しか治療が受けられない。ちょっとどもるから治療を受けたいと言っても、ここの学校、地域で3人ですとか、学区で3人といった制限がある。なので、定義上は小学校6年生まで受けられるとなっていても、実際のところ、その中の10%にも満たない子どもしか治療を受けられない。
伊藤 じゃあ日本は、ことばの教室がたくさんあって、希望すればほとんどの子どもは、無条件に受け入れられているので、すごく恵まれていますね。
池上 カナダでは、乳幼児に関しての治療は、かなり広く行われているんです。6歳までであれば、希望すれば、ほとんど全員無料で受けられます。けれども、6歳を過ぎた時点でまず1回、かなりの部分でカットされて、12歳でほとんどなしになってしまう。なので、お金の掛ける場所が違うということです。発達延滞などでは、0歳から1歳の時点で、お父さん、お母さんが心配になって来られるし、吃音でも子どもがしゃべり出してすぐの、1歳半程度で来られる方がいます。もしその時点で治療に入ってもらうと2歳か2歳半までには治療がスタートできるので、2歳半から6歳までの期間は、無償でほぼ週1回受けられます。この部分を国費ですべて賄う。カナダ政府が小児にお金を費やすのは、アーリー・インターベンション(早期介入治療)という、「できるだけ早いうちに対応したらいい」という動きがあるからです。
伊藤:その時の治療は、環境調整ですか。
池上:そうですね、環境調整と、4歳になるとリッカムを始めます。早い子であれば3歳半ぐらいで始める子もいましたけれども、通常は4歳からリッカムプログラムです。

  「吃音とともに生きている」生き方の違い

日本はどもる人にとって

徳田:カナダもアメリカも、いろんな人種がいて、いろんな教育で育ってきた人たちがいっぱいいて、主張しないと、生活もやっていけない。自分の存在を認めてもらうのに主張する文化ですよね。そのためには、少々の不自然なしゃべり方でも自分の思っていることが伝わったらいいという結果主義、結果論的なものがあると思うんです。自分の考えを伝えなくちゃ損だ。そうしないと、自分の考えも進まない。認めてくれない。ですから、吃音をコントロールして不自然なしゃべり方であっても、結果的に自分の考えが伝わったらいいとなる。我々の、吃音とともに生きるとか、どもっての生き方が、あまり浸透しないのは、そんな余裕はないんだと思います。生き馬の目を抜くような競争社会で「吃音とともに生きろ」とか、「自分の人間性を出して、個性ある話し方をしていこう」の余裕はない。だから日本は、どもる人にとっては、幸せと言ったらおかしいかもしれないけど、生きやすいですね。ある程度のひとつの教育で、ある程度同じような国で、同じような考え方で育っているから、「こうやっていくのもいいね」と言ったら、あんがい共感してくれやすい国ですね。
東野:確かに自己主張の国、自分を主張しないと認めてもらえないかもしれないけど、でも結果として吃音は治ってないわけだから、僕らと同じようにどもりながらでも生きていかざるを得ない。
伊藤:実際には、圧倒的多数の人は吃音と共に生きているよね。
東野:でも、社会としては、主張しないといけないという圧力があるから、日本と比べたら、どもる人にとっては、生きづらい。でも、結果的には、そうしても、どもりながら生きているということでは、同じだと思いますね。結果的には、吃音とともに生きていかざるを得ないんだけれどね。
伊藤:競争文化で、外圧があろうと、アメリカ人も、治ってないんだから、吃音とともに生きている事実は変わらない。
 「どもりながら、納得して覚悟を持って生きる」のと、「どもりながら、不本意に生きる」との違いだけの話で、吃音とともに生きている。

何で3回も行くの?

 赤坂:再発して、何度も行く、その1回目と2回目の再発した時とセラピーの内容は同じですか。
池上:そうですね、ほぼ一緒です。
赤坂:一緒なのに、また3回目も行くんですか?違うことするなら行ってもいいけど。ゆっくりしゃべることを、主にすることなら、家で一人でゆっくり音読すればいい。行ってるつもりで自分の家で練習したら30万もいらないと思うんです。
池上:そう考えられる人は、いいんでしょうが、それができないので、セラピストが一緒にする。自分ひとりだったらできないと思ったり、誰かがいてくれた方がやりやすいとの思いがあって、同じ練習ですが、そこに来て、この人の顔を見てたら、「僕はどもらなくて、3週間安心して時を過ごせる」と言った方もいました。

完治しないのは分かっている

東野:100%コントロールすることを目指すのもすごいですね。できもしないことをね。
池上:そうですね。でもそれが目標というか。
西田:それしか知らなかったら。あの場所に行ったら、その後3ヶ月間は軽い症状でまた過ごせるのは、その価値観しか知らない人にとっては、魅力的だと思います。
坂本:その3ヶ月が、4ヶ月になったら、それは効果とみなすんですね。長くなれば。
池上:そうですね。それが、4ヶ月になったら。で、2回目行くと、6ヶ月になった。それが1年になりとか、そういうふうに伸びるのを効果だと捉えている。完治しないのは、誰も分かっているんですけども。その6ヶ月が効果であり、前だったら毎日どもっていたのが、6ヶ月どもらないなら、ある意味奇跡に近いと思うので、彼らはずっと通い続ける。友人は15年間通い続けました。

コントロールは難しい

赤坂:どもりのこと研究している人たちは、どもる人なんですか?どもらない人なんですか?。
池上:両方いてます。
伊藤:案外にどもる人が多い。
赤坂:どもる人なら、伊藤さんのように「もうあきらめよう」の方針、分かるのに、どうしてあきらめられないのかなあ。どもらない吃音研究者や臨床家が、どもりは治るだろうと思うのは分かるけど。当事者は、治そうにこだわったら損する。治らないものだと、私はどこかで感じていたので。
池上:ヴァン・ライパーもそうですが、どこかでコントロールできると思っているので、一部でもコントロールできるのであれば、そこをやろうという発想だと思います。ヴァン・ライパーも、受け入れるとは言ってるけれども、コントロールできるのであれば、軽くどもるとか、コントロールしたらいい。まったくコントロールしなくていいとか、彼は言い切ってはいないですよね。
伊藤:はい、そうです。彼は「どもりを受け入れるだけでは十分ではない。吃音のコントロールを学びなさい」と常に言っていた。晩年のチャールズ・ヴァン・ライパーが、実際にセラピーしているビデオを見たら、ものすごくコントロールしているのがよく分かります。僕らみたいに、自由にどもる時にはどもり、どもらないときはどもらない、そんな自由なしゃべり方ではなくて、一生懸命コントロールしてしゃべっているのが痛々しい。チャールズ・ヴァン・ライパーは生涯コントロールをしながら、生きてきた人間なんでしょうね。それが脈々とアメリカの言語病理学に続いてきていることじゃないかなと思います。
参加者:コントロールしない方がいいんですか。
伊藤:コントロールは、結果としてはできる人はいるけれども、努力してできるようになるのは難しい。僕も、先週は小児科医師会で、300人を前にして講演をしたけれども、まったくコントロールしてないけども、しゃべれてる。けれども、通信販売で「名前は?」となった時にどもるのを、コントロールできない。1時間の講演の時は、コントロールが、結果としてはできてても、「おはようございます」とか、名前を言う時にコントロールしようにも、どうコントロールしていいのか分からない。基本的には、コントロールできないものと自分で認めた方がずっと楽だ。ただ結果としてコントロールできるようになり、コントロールしてる人はいっぱいいる。
赤坂:私もコントロールしてしゃべるのがすごく上手なので、まわりから見たら分からない。でも、大阪吃音教室に来る前のコントロールと、来てからのコントロールの、「心」が違うんです。
どもってもいいやとどこかで思いっつも、できるときはコントロールする。したりしなかったりで、コントロールに縛られてない。カナダの人のコントロールは以前の私だと思うんです。辛くコントロールするのと、今の、辛くなくコントロールしてるのを、ことばで表現するの難しいですが。結果的にコントロールしてる時とか、たぶんどもってしまってもいいや。どもろうが、難発になろうがいいと思っている、表面的には一緒でも、心がぜんぜん違う。コントロールが悪いんじゃない。

詐欺みたい

伊藤:30万も使って、治せなかった時の救済法はあるんですか。
池上:救済法はないですね。またセラピーに来て下さいということです。もともと完治は目指していない。コントロールなので、その3ヶ月という期間が、コントロールできたことが、治療の成果になる。もともと完全には治るものではないというのは言ってるんです。30万円払って来た人でも、もともとそれは前提なので、一生治るということを別に約束して来てもらってるわけではない。なので、それに関しての救済策はない。「じゃあ、練習していますか」、「教えたスピーチスキルを、あなたは使っているんですか」「じゃあ、使ったらどもらないでしょ」という議論になるので、結局、堂々巡りになるだけです。
伊藤:「わたしは」って言ってる限りはどもらないから。どもる人に、「あなた、早いでしょ、もうちょっと、ゆっくりしゃべったらいいのに」と、言語聴覚士は言うわけですね。
赤坂:自分は責任をとらない、いい方法やな。
伊藤:詐欺みたいやなあ。

幸福感の違い
参加者:そのコースを受けない人は、どうしてるんですか、結局。
伊藤:どもりながら生きている。
参加者:じゃあ僕らとまったく一緒ですね。
伊藤:吃音と共に生きるといっても、不本意ながらと、納得して生きるのとでは、幸せ度が全然違う。
池上:カナダで、40歳になってやっとお金が貯まったので来られたという人がいらっしゃる。カナダでも治療機関はあと2カ所ぐらいしかないので、その狭き門に入れた。今までずっと毎日どもっていて、治療も一切受けたことがなく、40年間ずうっとどもり続けて、そのうちの3ヶ月だけでも普通にしゃべれたら、その人にとってはかなり幸福だということになるのでしょう。そういう捉え方は、日本とはかなり違うかもしれません。
東野:日常生活に般化できないと、何の意味もないと思うけど、それ、考え方の違いですかね。
池上:そうですねえ。なので論文でも、ほとんどの場合が、日常生活での吃音の頻度を測るのは難しいとか、その部分には今後の課題として検討するとか書いてある。
坂本:データを取るんやったら、限られた条件の空間を作らないと、データは取られへんのやから、日常生活はそうじゃない。会社に行って、録音を録ってというわけにはいかない。
池上:結局そうなってしまう。データとして出てくるのが、その限られた訓練室の中という環境の中でとなる。そして、治癒は何ヶ月間というデータになるわけです。完治は目指していないので、コントロールできた期間が長ければ長いほど、いい治療という捉え方になっている。

吃音とともに生きること

伊藤:僕たちは、もう40年以上前から「吃音とともに生きる」を、明確に打ち出している。
 最後に、カナダの大学院で勉強されて、実際に言語聴覚士として3年働いてこられた経験からして、そのことをどう感じられますか。
池上:そうですね。伊藤さんたちの考えや体験を、私も、もっと早くに知っていれば良かったということを率直に思います。カナダで教育を受けて、治療のことしか本当に聞かなかったので、自分自身疑問に思うこともなかった。読む論文もそういったものばかりになり、勉強会も吃音をコントロールすることばかりに焦点が当てられていました。
何かおかしいとは思ってはいたけれども、ほぼ真っ暗状態なので、伊藤さんの考えるような「吃音受容」があるとは思わなかったですね。
 たまたま伊藤さんと出会い、「あ、これかあ、私が探していたのは」と、何かぱっと閃いたという感じです。私が奥でずっと思っていたことは、合っていたんだなあとは感じました。私は吃音をコントロールすること、またそのために努力することすべてを否定的に捉えるつもりはなくて、その過程があったから、受け入れられるようになったという人もたくさんいると思います。
 私も英語の発音の矯正に通って、100%の矯正は無理だと気づいた。それに気づけただけでも、その治療効果というか、精神的な効果はあったと、自分自身で思っています。しかし、治療・コントロールというふうに一つの考え方に固執しないのがいいのかと思います。
 まあ両方のいい部分を取り入れて、それでプラスに生きられるのであれば、手段は何でもいいと思うので、生きるカというか、自分自身が人生に満足できるのであれば、そこがたぶんすべてだと思うんです。カナダ人の彼にも、できたらもっと早く気づいて欲しかったなあとは、心底思っています。「吃音と共に生きる」の考え方が、カナダでは探してもないということが大変残念ですね。
 治療・コントロールのみが吃音治療において有効であるという世界に生きていれば、彼のようにしか考えられないのも普通だと思います。
 答えが無い中で、ずっと探し続け、彼はたまたま気づくことができたんですが、日本の考え方がもっと浸透していけばいいですね。まあ「吃音受容」が現在の治療の方向性を180度変えるには、かなり長い道のりなるとは思います。しかし、選択肢の一つとしてはあってほしいですね。何を選ぶか、選ばないかは、別にして。でも、「生きる」ことこそが、重要なんです。劣等感を持っていない人間は、存在しないと思います。劣等感をもちながら、それとどう共存していくかを考えた方が、人生、楽しいと思うんです。私自身もそうだったので。そういった選択肢が、北米の人にもあってもいいんじゃないかなあというふうには思います。
伊藤さんの考えや、大阪のみなさんの活動を翻訳をして、どんどん世界に送っていただきたいというのが、私の望みなんです。
伊藤:最後に、アメリカの言語聴覚士の95%以上が、吃音の臨床に苦手意識を持っているとよく聞くんですが、やっぱりそれはカナダも一緒なんですか。
池上:そうですね。理由のひとっとして、百何十人、毎年卒業する中で実際に吃音実習に行けるのは2割ぐらい。それ以外の人はまったく経験しないか、見学程度です。一人二人見学しただけで、実際臨床しろと言われてもできないので、私たちのセンターでも限られた人、大学院の時に実習、研修所に行った人が吃音治療に関しては担当する形になっていました。卒業生の1割から2割となると、カナダ国内で20人弱の人しか吃音臨床を経験しない。10年経っても150~160人にしかならないので、やはり大半の人が苦手意識を持っているといってもいいと思います。
伊藤:長い時間ありがとうございました。

 紙面の都合で大幅にカットしたり、質問と答えを一緒にしたりした部分もあります。ご校閲下さり、掲載の許可を与えて下さった、池上久美子さんに感謝します。文責は編集部にあります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/03

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