北米の吃音治療の現状
「スタタリング・ナウ」2012.5.22 NO.213 に掲載の、池上久美子さんによる、北米の吃音治療の現状を紹介します。
池上さんとの出会いは、偶然でしたが、僕にとって、大変貴重でありがたいものでした。カナダのアルバーター大学で学び、言語聴覚士として実際に働いていた池上さんが語る北米の吃音治療の現状を知ることで、僕は自分の体験を通して考えてきたことに確信を持ちました。2回に分けて紹介します。
北米の吃音治療の現状
同志社女子大学嘱託講師 池上久美子
はじめに
私は、日本の大学を卒業後、言語聴覚士の仕事に興味を持ち、カナダのアルバーター大学院言語病理学リハビリテーション学科へ入学した。大学院在学中に吃音専門治療・研究所(ISTAR:http:/1www.istar.ualberta.ca/)で臨床実習を経験し、成人向け吃音治療プログラム(集中コース)の運営・実施に携わった。大学院卒業後は、オンタリオ州立乳幼児専門リハビリテーションセンターで3年間言語聴覚士として勤めた。私の専門は、言語発達障害、音声障害、構音障害、高次脳機能障害、吃音だった。吃音専門施設ではなかったため、吃音の子ども達と関わるのは、週に3~4時間程度だった。そのセンターで吃音臨床に関わっていた人は、60名いる言語聴覚士のうち5~6名程度だった。大学院時代に実習を通し吃音治療に関われる人数が限られていることもあり、吃音治療に対して苦手意識を持っている臨床家も多かった。ほとんどのセンターでは、吃音治療に興味のある言語聴覚士が一手に治療を引き受け入れていた。
カナダで言語聴覚士として働いていた時には、「流暢にどもらずに話す」、「楽にどもる」、「吃音をコントロールする」を目指し、「治す」ことにこだわっていた。また、言語聴覚士として、言語治療訓練の技術向上にも力を注いだ。その一方で、「吃音は治らない」、「吃音と共に生きる道」を一緒に模索した方が、「より充実した生活を送ることができるのでは」とも感じていた。その思いは、成人の吃音に悩む人々と接することでより強くなった。しかし、その答えを私の短い臨床経験の中では見つけることはできなかった。
伊藤伸二さんとの出会い
日本に帰国後は、言語聴覚士として働くかどうか悩んだ末、英語教育へ方向転換することにした。昨年9月、現在日本吃音臨床研究会国際部長の進士和恵さんと同志社女子大学で同じ授業を担当することになった。休憩時間に日本吃音臨床研究会の活動や伊藤伸二さんの活動について聞かせてもらった。伊藤さんの「治すことにこだわらず、吃音と向き合う姿勢」に深く感銘を受けた。私がカナダ在住の際には見つけることのできなかった答えが、やっと見つかったと感じた。
北米の大学院での吃音教育、また吃音臨床について少し紹介し、吃音の治療・改善・吃音のコントロールを目指す北米言語病理学の今後の課題について私自身の考えをお伝えできればと思う。
言語聴覚士を目指すきっかけ:カナダ~日本
言語聴覚士を将来の職業として目指すようになったのは、カナダへの一年間の交換留学の際である。留学中、現地の小学1年生~中学3年生対象の日本人学校でボランティアをすることになった。私の担当は小学1年生のクラスで、8名程度の小さいクラスだった。私の専攻は言語学・言語心理学で、以前からバイリンガリズムにも大変興味を持っていたこともあり、週1回のボランティア活動を大変楽しみにしていた。そこで、2つの言語環境で育つ子どもの心理・言語発達により興味を持つようになった。家庭環境によって、日本語の方が長けている子ども、英語の方が流暢に使える子どもそれぞれであった。また、「私は日本人?それともカナダ人?」という、アイデンティティー形成要因についても考えるようになった。
80名程度の児童・生徒の中に言語障害の児童、A君が私の担当するクラスにいた。A君は3歳の時にカナダへ移住し、両言語ともまだ未発達の段階であった。両親は、母親の母語である日本語を習得してほしいと思う一方、今後のカナダ生活で重要になる英語習得も日本語と同程度大切だと考えていた。親としてA君にとってベストな選択をしてやりたいと思う親心を感じた。A君と勉強するうちに、言語聴覚士の仕事に興味・関心を抱くようになり、日本へ帰国後、姉が看護師として勤める病院や京都市聴覚言語障害センターで言語聴覚士の仕事を何度か見学した。この時点では、高次脳機能障害や嚥下障害への関心が強かった。日本で言語聴覚士の資格を取得することも考えたが、将来カナダ永住も考えていた時期で、カナダの大学院で言語聴覚士の免許を取得することにした。
北米における言語聴覚資格
北米の大学院で言語聴覚士の資格を取得するには、4年生大学を卒業後、大学院の言語病理学科で2~3年間勉強し、その後日本の国家試験に準ずる試験を受ける必要がある。試験の種類はアメリカとカナダでは異なっており、アメリカでは、ASHA(American Speech-Language Hearing Association)の認定試験(ASHA Certification Exam)、カナダではCASLPA(The Canadian Association of Speech-Language Pathologists and Audiologists)の認定試験(CASLPA Certification Exam)を受験する。2009年、アメリカ、カナダの国境の行き来をより円滑にするため、どちらか一方の国で言語聴覚士の資格を保持し、1年以上臨床に携わっている場合は、もう一方の国での認定試験は免除される制度ができた。カナダで言語聴覚士として仕事をしている場合、手続きさえすれば、アメリカでも就労ビザがあれば言語聴覚士として働ける制度だ。
授業カリキュラム(吃音)
私の母校アルバーター大学では、大学院1年生の秋学期に吃音の授業履修が義務付けられ、授業目標、授業内容、授業時間に関しては、その他の専門科目と変わらなかった。しかし、一点だけ異なった点は、大学の教授陣によって講義が行われていたのではなく、アルバーター大学附属吃音センターの言語聴覚士の講義が中心で、研究データのみならず、臨床経験をベースにした授業だった。
授業では、吃音の定義と発生、原因論に始まり、吃音臨床の流れを学んだ。学期の後半には指導法、訓練法を実践(Laboratory)を通じて学んだ。授業は以下4冊のテキストを使用して進められた。
○Guitar,Barry(2006).Stuttering:An Integrated Approach to its Natural and Treatment
○The Australia Stuttering Research Centre. Manual for the Lidcombe program for early stuttering intervention. http://sydney.edu.au/health_sciences/asrc/docs/lidcombe_program_guide_2011.pdf
○Webster,W.,&Paulos,M.(1989).Facilitating Fluency:Transfer&Maintenance Strategies
○Do You Stutter:a guide for teens
週2回、各2時間の授業で合計25回。専門学校での授業時間数は知らないが、一般的な日本の大学の授業時間数(1時間半、全15回の授業)と比べると、北米の大学院では、1科目につき日本の約2倍の授業時間数が割いてある。知識を身に付ける場としては十分な時間配分と思われるが、限られた時間の中で臨床技能の習得を目指すとなると、実質的には難しい。私のクラスには41名の学生がいたが、その中で、吃音治療専門施設で実習ができる学生は約2割程度で、それ以外の学生は、一般のリハビリテーションセンターで1~2名の吃音臨床を見学できればいい方であった。言語聴覚士の中で吃音を苦手分野としている臨床家が多い理由もそのあたりにあると思う。
北米における吃音治療モデル
北米の臨床現場では様々な吃音治療モデルがあるが、紙面の都合上私が勤務していた乳幼児リハビリテーションセンターで比較的頻繁に使用されていたアプローチ2つを紹介する。紹介できないものに関しては、治療名称のみ明記しておく。
The Demands&Capacities Mode1(DCモデル)
1987年にStarkweatherによって提唱された理論で、吃音の発生が要求(demand)と能力(capacity)の相違で起こるという考え方である。要求とは、環境的要因(保護者の子どもへの発話に対する要求の高さや、感情的な場面での発話、話す内容の難易度など)と内面的要因(本人の発話に対する要求の高さ)の2種類がある。能力とは、その人の言語発達、情緒発達、認知発達、発声発語運動制御能力の4種類がある。この考え方に立つと、「周囲からの要求はそんなに高くないが、その子の相対的な能力が標準からやや低いので、結果として要求と能力の間にずれが生じてしまい、吃音症状が表れる」などという解釈が行われるのである。実際の臨床の場面では、できるだけそのずれを少なくすることを目標とし、demandsを減少させるための親へのカウンセリングや、子どものcapacitiesの向上をはかる指導が行われる。
詳しくは、愛媛大学水町俊郎先生のDCモデル(スタタリング・ナウNo.179)参照。
Lidcombe Program(リッカムプログラム)
現在最も北米で支持されている就学前のどもる子どもと親のための行動療法である。基本的に親、または子どもの生活と深く関わる人が、治療を行う。子どもの話し方について様々な場面で建設的なコメントをしていく。親と子どもは週に一度クリニックに通い、治療法を学び、子どもの日常生活の場面で治療を行う。1から10のスコアーで子どものどもりの頻度を毎日測定し、これがプログラム実施の指針となる。プログラムは二段階で行なわれる。第一段階では、子どものどもりのスコアが1になるまで、週一回の頻度でクリニックに通う。平均で第一段階を終了するには11~13週間程度。第二段階では、親による治療が少しずつ減らされ、クリニックに通う頻度も減らされる。第一段階で到達した吃音の改善レベルを維持していることが条件となる。
通常一年以上吃音が続いたり、親近者にどもる人がいる場合は、4歳までに治療を開始するのが北米では一般的だが、どもり始めた子どもの約75%~80%が専門家による直接的な治療を受けることなく、発症から4年以内に吃音症状が自然消失するというデータがある。発症が幼児期であれば本人は自覚していない場合が多いので、親や周囲の人が子どもの吃音症状を必要以上に指摘するのは、吃音慢性化へのリスクをはらんでいる。環境調整を主とした治療で吃音が改善される場合も多いので、吃音症状を否定的に捉えるのではなく、この時期の吃音治療では、受容的態度で子どもの成長を見守ることが大切である。
その他の代表的な吃音治療モデル
・Camputerdown Program(キャンパーダウンプログラム)
・Stuttering Modification Therapy(Van Riper)(吃音緩和法)
・GILCU program(Gradual Increase in Length and Complexity of Utterance)
・Prolonged speech
吃音専門治療・研究所(ISTAR)のプログラム
大学院生の時、臨床実習をしたISTARのプログラムを紹介する。吃音治療専門施設の数は限られており、言語病理学専攻の全ての学生が臨床の場面で、吃音治療を深く学べるわけではない。アルバーター大学はISTARの徒歩5分圏内に位置していることもあり、吃音臨床を深く経験できるという点においては、他大学の学生より恵まれている。
ISTARでは集中コース以外にも様々なプログラムを提供しているが、宿泊付きの3週間以上の吃音矯正プログラムを提供している施設ということもあり、北米全土から多くの吃音に悩む人々が訪れる。この施設は世界でも注目されている施設の一つで、中東や東南アジア等から言語聴覚士が見学に訪れることもしばしばある。
集中コース(lntensive Course)
3人の学生と1名の言語聴覚士が、4~6名のどもる人のグループに3週間。午前9時から午後4時まで、週末以外は毎日同じメンバーで治療に取り組む。年に4回実施される。秋冬のコースは成人中心で、春夏のコースは小・中学生を中心。プログラムでは流暢性を獲得するためのセラピーが中心に行われれる。「吃音受容」に関する講義はあるものの、一対一のカウンセリングよりは、「吃音受容の重要性」を知識として身につける程度である。流暢性を獲得するアプローチとして、最初はゆっくりとした速さで話し、だんだんと自然な速さで話すスムーズスピーチのスキル(Fluency enhancing strategies)を身につける。スムーズスピーチはISTARでは以下の6つのスキルから構成される。Rate control(RC:発話速度の調整),prolongation:引き伸ばし,gentle start(GS:力まずリラックスした状態で話し始めること),easy breathing(EB:楽に呼吸する),smooth blending(SB:文の中の単語一つ一つを切り離さず、繋げるように一息で話すこと),and light touches(LT:軽い接触)である。その他のスキルとしてはrefine naturalness(RN:自然な発話の改良),self-correction(SC:自己矯正),relaxation/visualization(RV:リラクゼーション/イメージトレーニング),modification of tension(MT:緊張を緩める),think,take a breath,and talk(3Ts:考え,呼吸、話す)などがある。最終的に自分に適した3~4つのスキルを日常生活の中で必要に応じて使用できるようになる事を最終目標とする。
スムーズスピーチ
・RC:syllables per minute(spm)4段階
Slow(ゆっくり,40-60spm)
Medium(中程度,60-90spm)
Slight(少し早く,90-120spm)
Contro1(通常の速さ,120-180+spm)
・Prolongation:母音で間を取り、子音は通常のスピードで発話する。
・GS:最初の音を少しやさしく滑らかに出し、少しずつ通常の音量へと調整する。
・EB:自然に呼吸をし、スムーズな息の流れに注目する。
・SB:舌、唇、顎等の構音器をスムーズに動かし、音を連結させて話す。
・LT:舌、唇、口蓋、歯を軽く接触させ発話する。
その他のスキル
・RN:話すスピードをよりナチュラルなスピードへと調整する。
・SC:スムーズスピーチが適切に行なわれているかを判断し、必要であれば正す。
・RV:リラックスしている状態でスムーズに話している自分を想像する。
・MT:構音器、声帯、呼吸器のどの部分に緊張があるかを判断し、リラックスさせる。
・3Ts:喋る前に、何を話すか整理し、ゆっくり息を吸い、その後話し出す。
スムーズスピーチがある程度身についた時点で、ボランティアの人との会話練習、グループでのゲーム、少し慣れると家族、彼氏、彼女、友人に電話をかけるなどのアクティビティーへと移行する。最終段階では、電話でピザをオーダーしたり、面接の練習をしたり、隣接するアルバーター大学のキャンパスにて、吃音意識調査を実施したりする。
集中プログラム終了後、全ての参加者にはフォローアップ研修(3日間)への参加が義務づけらるが、参加時期は、個人の意思に任される。ほとんどの人が集中プログラム終了3ヶ月から6ヶ月の間で参加する。この研修では、再発していないか、スムーズスピーチのスキルチェック、スムーズスピーチの練習、トランスファーアクティビティー等が行われる。研修へは、ISTARの集中コースに参加した人であれば、誰でも参加可能なので、様々な年齢層、吃音治療歴を持つ人と交流できる機会でもある。この研修では、「吃音と向き合い、充実した生活を送っている人」から直接話を聞くことができる。生活の充実度に吃音症状の重い、軽いはほとんど関係無い。吃音の症状が「重度」であっても、前向きに人生を送っている人達と交流できるこのような機会は、吃音に悩む人にとって大変刺激的な経験となる。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/18

