「凍える口 金鶴泳作品集」(クレイン)

 ニュースレターの交換でしかおつきあいがなかったアサーティブ・ジャパンの牛島のり子さんから、お連れ合いの文弘樹さんが、金鶴泳の『凍える口』を出版すると知らせていただき、出版されたら是非『スタタリング・ナウ』で紹介をしたいと返事を出すと、刊行する本の折り込みの冊子に「金鶴泳の作品に寄せて」の文章を書いて欲しいと依頼を受け…と、なんともおもしろいつながりで、金鶴泳の「凍える口」と再会することになりました。
 文さんに依頼して、刊行にあたっての文章を書いていただきました。「スタタリング・ナウ」2004.8.21 NO.120 から紹介します。

  「凍える口 金鶴泳作品集」を刊行して
                        クレイン 代表 文弘樹

 私は七年前にクレインという名の出版社を始めました。そして念願かなってこの七月に、「凍える口 金鶴泳作品集」を刊行することができました。
 私は1961年(昭和36年)に京都で生まれた在日朝鮮人の三世です。三世と言いますと、祖父と祖母が朝鮮半島から日本にやってきた孫の世代にあたります。「凍える口」の著者・金鶴泳(きん・かくえい)は在日朝鮮人二世です。私からすると父の世代にあたります。金鶴泳は、もし生きていれば現在六六歳ですから、年齢では私の父の三歳下になります。
 冒頭で、「凍える口 金鶴泳作品集」を刊行するのが念願であったと書きましたが、私は出版社を始めた当初から、いつか「金鶴泳」の作品集を刊行したいという思いを抱いていました。どの作品も読む者の心を動かしてやまないその魅力を多くの人々に感じ取ってほしい。そして何より私自身が改めてその作品を読んでみたいと思っていたからです。
 そして昨年の六月から刊行に向け準備を始め、金鶴泳の生前の「日記」を収録する機会を得て、一年がかりでようやく刊行にこぎつけることができました。
 ところで、私がなぜこれほど金鶴泳に惹かれたのかということについて、少しばかり自分の体験も踏まえて書かせていただきます。
 私と同じく在日する朝鮮人で、私と同世代の人々のすべてがそうだと断言はできませんが、少なくとも一定数の人々が、いつの頃かは別にして、ある問いに掴まれるように思います。その問いとは、「なぜ私はこの日本で朝鮮人として生まれたのか」というものです。そして私もこの問いに掴まれました。それも人並み以上に強く掴まれました。ちょうど思春期まっただ中の中学に入学した頃のことです。私は小学校から日本の学校に通っていました。名前も本名の「文」ではなく、日本的な「文元」という通称名を高校まで名乗っていました。ですから、家の近所の大人たちは別として、小学校から高校までの同級生や友人で、私のことを在日朝鮮人だと知っている者はごく限られていたと思います。まして、私自身がそのことを隠していたのですから、彼らにとってはわかりようがありません。
 まあしかし、隠していたといっても、私の家は、応接室に、「金日成・金正日」父子の肖像写真が飾られ、朝鮮語の新聞も購読しているような環境でしたから、どだい隠すことなど無理なことなのに、そこは子供だからと言いましょうか、ある時など、家に遊びに来た友人から肖像写真のことを訊かれては、しどろもどろになり、新聞を見られては、冷や汗をかいたことも少なくありませんでした。いまから考えるとほんとにいじらしい思い出です。こんな体験にも伺われるように、当時は、それほど深くではなく漠然と先ほど紹介した問いを胸の中に秘めながら日々を生きていました。
 そして大学に進学しました。進学した理由は正直言ってモラトリアムです。社会人になりたくなかったので大学に行ったのです。そして漠然とから少しずつ明確なかたちを伴って、在日朝鮮人としてこの日本で今後生きていくうえでの社会的な壁=ハンディキャップを実感していきました。現実に国籍の壁は就職を始め至る所に存在していましたから。
 将来に希望は持てない、かといって自分も一人の人間としてこの世に存在しているのだから、その存在には何か意味はあるはずだ、というせめぎ合いのなかで悶々とする日々が続きました。悩みを語り合う友人もいませんでした。そんなときです。在日朝鮮人の文学と出会ったのは。それは母親の書棚に入っていた一冊の文庫本との出会いをきっかけにしています。その本は李恢成(り・かいせい)という作家の「われら青春の途上にて」という文庫本でした。それからは手当たり次第に目に付いた在日朝鮮人作家の小説をエッセーを読み続ける日々が、三カ月ばかり続きました。それは、いま振り返っても不思議な読書体験でした。その読書を通じて、「朝鮮人として悩み苦しんでいるのは俺だけではない」という孤独感からの開放を味わっていたのだと思います。それらの作品の中では、差別や社会的なハンディキャップにくじけることなく、朝鮮人としてのアイデンティティーの獲得のために悪戦苦闘している主人公達が登場し、その主人公達の生き様は、孤独に苛まれていた私に多くの勇気を与えてくれました。
 それからというもの、積極的に朝鮮人として生きていくためには、まず民族のアイデンティティーの獲得が必要だという自覚のもと、朝鮮語を学び、同じ在日の友人達と交わり、政治集会に参加し、といった活動を行なっていきました。そしてその活動は、当時の私にとっては生き甲斐のようなものにもなっていました。
 しかし、いつの頃からか、そうした活動が少しずつ重荷になってきたのです。言葉一つとっても、朝鮮人なのだから朝鮮語を話せるようになるのは当然だという前提で学ぶものですから、言葉を習得する楽しみよりも、話せなければいけないという責任感が先行して、朝鮮語の勉強が楽しくないのです。政治集会にしても、朝鮮人差別は厳然とあり、その撤廃のために闘うのは当然なのですが、一方で、闘う当人達の非抑圧者としての正当性によりかかる態度に違和感を感じるようなことも多々ありました。
 そんなときに、金鶴泳の小説に出会いました。「あるこーるらんぷ」というタイトルの単行本でした。「錯迷」「あるこーるらんぷ」「軒灯のない家」の三作品を収めていました。それぞれの作品に胸打たれました。それぞれの作品が悲しみと閉塞感とに包まれて、けっして読む者に勇気を与えるような内容ではありませんでした。ただ共通して、登場人物達は、自力では逃れることのできない朝鮮人という運命を背負いながら、ときに出口のない自閉の谷に落ち込みながら、少しでもそこからはい上がろうと懸命に生きていました。強い政治的メッセージを織り交ぜることなく、享受した生が結果として朝鮮人であった人間の感情を丁寧な筆致で描いていました。そうなのです。彼の作品においては、在日朝鮮人は、格闘する生のプロセスを経て「朝鮮人」に昇華していくのではなく、この日本で朝鮮語もしゃべれず、朝鮮人としてのアイデンティティーの獲得にも頓挫する「在日朝鮮人」のままにその運命を受け入れていくことの確かさに力点が置かれているのだと思います。在日朝鮮人が、いつの日にか真正な「朝鮮人」になるだろうなんていう不確かなことに賭けるのではなく、いまある「在日朝鮮人」という自らの存在の確かさに賭ける、この金鶴泳の姿勢に私は惹きつけられたのです。
 彼、金鶴泳は、在日朝鮮人二世であると同時に吃音者でした。彼にとっての人間としての苦悩は、まず「吃音者」としての苦悩から始まります。その苦悩する姿は「凍える口」に克明に描かれています。そしてその作品の中だけでなく、今回の本に収録している日記にも、吃音矯正に努力している様子を見受けることができます。彼は吃音を矯正したいという強い目的を持った時期がありました。「凍える口」の中にこんなせりふがあります。
 「私という人間から吃音をひいた人間がほんとうの私という人間だ」。ここを初めて目にしたとき私はこう読みかえていました。「私という人間から朝鮮をひいた人間がほんとうの私という人間だ」。
 物心ついてから金鶴泳は、数限りなく「俺から吃音を取ってくれ」と願ったことでしょう。そして、小説「凍える口」を書いたことによって、吃音から解放されたと言っています。それは吃音を矯正したのではなく、「吃音であることも含めて自分という人間である」ということを自覚したということではないでしょうか。そんな金鶴泳にとっては「在日朝鮮人であることも含めて自分という人間である」ことは自明のことであったと思います。ですから、金鶴泳は吃音者であることによって、同時代の在日朝鮮人作家が書き得なかった、「民族を支えにしない個人の感受性を支えにした、いたって個人的な作品」を書き得たのだと思います。
 吃音者であれ、在日朝鮮人であれ、自らがのぞんでそうなったのではありません。だからこそ「なぜ私は吃音者として生まれたのか」、「なぜ私はこの日本で朝鮮人として生まれたのか」という問いに掴まれます。そしてその問いの答えは、おそれずに言うなら、吃音者であろうと、在日朝鮮人であろうと、それが自分という存在であり、その存在を拠り所にして、この社会を生きていくしかないのだと自覚することではないでしょうか。
 その「自分という存在を拠り所に、いたって個人的な金鶴泳の作品」が、世代、在日・日本人の違いを超えて読み継がれていってほしいと思っています。そして今回刊行した「凍える口 金鶴泳作品集」がその役割を担うことができるなら、発行者としてこれ以上の喜びはありません。

『凍える口~金鶴泳作品集』発行:クレイン定価:3465円(税込み)
 初収録された著者の日記が実に興味深い。自分と社会の真実を静かに繊細に静かに見つめる姿が胸に迫ってくる。在日作家として、吃音者として、深い苦悩の中にありながら、誠実さや沈着さを失わずにいる著者の日記は、いま苦しみを抱えて生きる、すべての人の心に通じていく文学だといえるだろう。(神戸新聞より)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/18

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