建設的な生き方 3

 2003年、文化人類学者のデイヴィッド・K・レイノルズさんをお迎えして行った吃音ショートコースの中でのお話を紹介してきました。紹介しているのは、ワークショップ全体の話の中のごく一部分です。話は変わりますが、と前置きして次々と話が展開していくのがとてもおもしろかったと記憶しています。少し長くなりますが、ひとつの塊なので一気に紹介します。
 今日はその最後です。
 
建設的な生き方 3
デイヴィッド・K・レイノルズ(文化人類学者)
人間成長の階段―悟りへの道

 話が変わりますが、悟りの階段について話します。メンタルヘルスへの階段でもいいし、実際的な人間になるための階段でもいいです。私が提案したいのは、いつもハッピーな人じゃない。いつも不安のない人って変ですよ。たとえば、もしこの部屋で火事かなんかあったとしたら、ハッピーな人は変でしょ。「おもしろいな、火事だな、みんな死ぬ、ハハハ」なんて。だから、ときどき不安を感じる人は当然と思うんですよ。実際的です。だから、いつもハッピーとかいつも快適とか、そういうものは望まない方がいい。非現実的です。私が育てたいのは、実際的な人間です。

第一段階 汚い部屋にいても気づかない
 この人は、一番低い段階です。この人は悩んでます。自分の部屋がとても汚いのに、そのことに気がつかない。どうしてこの人が一番低い段階かというと、悩んでいるからじゃない。悟った人でもみんなときどき悩んでいます。悩んでいない人間はいない。私の知り合いには、偉い禅の老師、カトリックの神父さん、政治家や俳優がいますが、みんなときどき悩んでます。
 だけど、この人は、汚れ放しの自分の汚い部屋に気がつかない。事実は見てないからです。周りに気がつかないくらい悩んでいる。そして自分の悩みばっかり見ているんです。ある吃音に悩んでいる人は、自分の悩みばっかり言ってるでしょう。だから、いろいろなおもしろい事実があるのに、それを見ようともしません。気がつかない。現実を知ろうとしないのです。
 今、ちょっと実験しましょう。みなさん、目をつぶって下さい。
 この部屋にはテレビがあります。目をつぶったままそこを指さして下さい。隣に座っている人の洋服の色、分かりますか。観察しましたか。洋服の色、形、どんな柄か気がつきましたか。この部屋にはカーテンがありますが、どこにあるか覚えていますか。指さして下さい。
 はい、目を開けて見て下さい。
 (みんな、目を開けて周りを見る。「おー」の声)
 周りの人たちの洋服の色とか、おもしろいでしょ。だけど、悩んでいる人だったら、自分の心の問題しか見てないですね。後の事実、見てない。自分の心の悩みも事実ですよ。だけど、狭い事実ですね。もっともっといろいろおもしろいこと、あるんですよ。自分の悩みの問題ばっかり考えると、気がつかない。そして、不思議なことは、外の方に向かうと、自分の悩みはある程度は忘れる。森田先生のことばに「努力すなわち幸福」があります。努力して後で幸福になるということじゃなくて、努力していることが幸福だということですね。ある人は一所懸命将来のために、何か努力する。それは、まあ役に立つかもしれないけれど、何か失っている。
 道元禅師も同じことを言っています。座禅は将来の悟りのためにするのではなく、座禅そのものが悟りであると。
 一所懸命何か努力すると、座禅とか周りの環境を観察するとか、私が何を言ってるかを考えるとかをするときは、一時的に自分の悩みは消える。こっちの方に意識が向かうとあっちの方を忘れる。気がつかないから、できるだけ外の方をいろいろ観察すると、心の悩みなどは一時的に消える。

 宿題を差し上げます。今日、お暇なときは、ぜひ外で散歩して下さい。散歩しながら、赤いボールを探して下さい。淋しいボールです。捨てられたとか、忘れられたとか、どこかにあるんですよ。みつけたら誰にも言わないで下さい。次に、小さい雪だるまを探して下さい。一所懸命探しながら、自分の集中は外の方に向かう。そうすると、吃音の悩みも一時的に消えるんですよ。普段、私たちは散歩するときは、自分の心の中にあることばかり考えるでしょう。全然気がつかない。だからわざと外の方に注意を向けるのです。最初の段階としてはまあ十分です。

第二段階 現実に気づいてさらに悩む
 次の段階は、この人も悩んでいますが、部屋が汚いことには気がついて、そのことでさらに悩む。「こんな汚い部屋に暮らすなんて」「こんなひどい人と結婚してしまって」「こんな会社に入ってしまった」。ちゃんと現実を見ていますが、そのためにさらに悩むのです。だけど、その方がまだいいんですよ。ある程度は、外も見てる。段階としては一段目よりはいいですよ。こういう人がほとんどです。悩みは多く、部屋の掃除はしない。この人はただ座って文句言う。
 文句を言うのは、二つの理由でいけない。ひとつは、周りの人たちに悪い。自分の悩みを繰り返し繰り返し言うのを周りの人たちは聞きたくないですよ。周りの人だけでなく、文句言いながら自分の集中は、自分の不満な所に向かってますます悩むから自分にも悪いですよ。
 ある理論によりますと、文句言うと、解決するはずです。こんなの、信じなくていいですよ。みなさん、自分自身の経験で分かると思うんです。ある人は、小さい悩みがあるときに、文句を言い続けると、怒りや悩みは大きくなるんですよ。私の友だちは小さな文句があると、別に怒ってないんだけど、言いながらますます怒ってしまう。
 感情について三つの対処があります。現代の考え方では、〈感情を表現する〉ことはいいと言います。しかし、どんな感情でもそうすると、いろいろな反社会的な感情が湧いてくる。怒りをあまり表現しすぎると、人を殴りたくなり、実際殴ってしまうかもしれない。もう一つは〈感情を抑える〉ことです。怒りの感情を抑えることは、感情は事実だから、できないことだし、いけない。
 私の提案は、自分の〈感情を認める〉ことです。感情はそのままに、とにかく自分の決めた必要な行動をする。みんな毎日そういうことをしてるんですよ。例えば、私は納豆が好きじゃない。食べたくないけれど、出されたものは食べないと悪いと思うから、食べる。「納豆、好き」とか、「納豆が嫌」だとかは言わない。心の中の「納豆嫌いよ」という感情は認めるんです。だけど、納豆を食べることはできる。そして、自分の気持ちはごまかさない。「今日は納豆、好き」だとか言わないし、思わない。そう感じる必要ない。ただ、事実を認めるんです。感情は事実として認め、そして自分のなすべきことはする。みんな、毎日そうしてるんですよ。 とにかく、この人は部屋が汚いことに気がつきますが、部屋を掃除しない。第一段階の人は、部屋が汚いということにも気がつかないから、部屋を掃除することに気がつかない。だから、この2人は、感情中心ですね。行動してないですね。

第三段階 気をそらす人
 この人はおもしろい人ですよ。この人も悩んでいて、自分の部屋が汚いことに気づいて掃除をします。だけど、この人にどうして部屋の掃除してるかと聞きますと、「レイノルズ先生から建設的な生き方の話を聞いて、部屋の掃除をして気をそらすと、自分の悩みを一時的に忘れられるでしょ」と、悩みをなくすために掃除をしているのです。これまでの3人とも感情中心で、気分本意ですね。自分の感情が一番大事なんです。この人の部屋の掃除の理由は掃除をすることで感情をコントロールすることですが、コントロールできないことをするのですから、勝つことはできません。
 ときどきハッピーになっても、ときどき負けちゃうんですよ。好きじゃない感情が湧いてくるから、すごく悩む。一時的に悩みをなくすことを目的にした掃除ですから、気分本意になります。

第四段階 自分の力で生きる
 次の段階は、悩んでます。部屋が汚いことに気づいて掃除をします。部屋が汚いからというのが掃除をする理由です。感情と別に関係ない。汚い部屋を掃除するのは当たり前ですよ。自分の感情を忘れるために掃除をしているのではないですね。これまでの人とはずいぶんと違いますね。
 「私は悩んでいてもいなくても、ちゃんとなすべき事はしている」といいます。森田療法を学んでいる人の中にも少なくないでしょう。
 自分ひとりでちゃんと部屋の掃除ができてるので自力的な人です。自分の力だけでちゃんと自分の部屋を掃除してると、ちょっといばっています。どんな感情があってもなすべきことはちゃんと自分でひとりでできる。でも、ちょっと何かが足りない。

第五段階 別の事実を見た行動
 次の段階は、この人は、悩んでます。部屋が汚いことに気がついて掃除する。どうして部屋、掃除するかというのを聞きますと、部屋は汚いから掃除すると言いますが、もう少し聞きますと、こう言います。
 「部屋の掃除の仕方を母から教えられた。知らない人が掃除機を作ってくれたおかげで掃除をすることができる。掃除機を使うには電力が必要だが、その電力をつくる人たちのおかげで私は部屋を掃除できる。部屋の掃除ができるのはいろいろな人のおかげなのだ」
 と、自分の努力も必要ですけれど、周りの人たちのおかげで掃除ができるという事実を認識しています。私は感謝について何も話していませんよ。この人は事実を認めているだけです。この人の方が実際的です。多くの人のおかげだと気づいています。おかげさまでいろいろできる。生かされていることを実感している人はそう多くはありません。感謝でいっぱいの人がすごく悩んでいるという人を日本でもアメリカでも見たことがありません。だけど自分の意志で感謝の気持ちを作ることはできませんが、事実を認めることはできますね。

第六段階 無我夢中
 次の段階です。この人、悩んでます。部屋は汚いことに気がつき、掃除をする。どうして部屋を掃除するかというと、部屋は汚いから。
 多分、こういうことを言うかもしれない。「現実の部屋は汚くなったので、ただその現実に添っているだけです。ただ今、部屋の掃除中です」
 第四段階の人はひとりでやってると思い込んでる。自分の力だけで部屋の掃除をしてると思うんですよ。第五段階の人は、いろいろな人たちのおかげで部屋掃除することができると思ってる。この第六段階の人は、自分のことが消えてしまっている状態ですね。無我夢中と似ています。
 こういう経験、あるでしょう。あなたが小説を読んでて、2時間の間に、あなたは主人公になっているかもしれません。そして、2時間たって、ハッと目が覚めたように現実の自分に戻る。その2時間の間には、ある意味で自分は消えています。ただ「空」の状態で、自分を失い、なりきる。ことばで表現するのは難しいのですが、自分が消える、なりきるときに問題も消えるのです。

人生は昇ったり降りたり

 心の成長段階には、感情中心から、目的中心、事実中心までの段階まであります。大体こんな感じですね。もし、あなたが第一段階からスタートして、努力して努力しさえすれば、第六段階まで行けると思ったら、あなたは周りを観察してない証拠です。みんな、昇って降りて昇って降りてしています。ときどき、この辺、ときどき、この辺ですよ。世界で有名な禅仏教の老師が、第六の段階の経験もある人だと思うんですが、アルコール中毒になって、ロスアンゼルスのアルコール・リハビリ・プログラムに入っていました。ときどき、第一や第二段階にいたんです。
 悟りの経験がある人でも動きます。人間みんなそういうものです。だから、あなたの理想は高くて、ずっと第六段階で暮らしたいかもしれないけれど、人間はみんな不完全です。この段階でずっと生きるのは、不可能です。あきらめて下さい。

感情には責任はないが、行動には責任がある

 私が強調したいのは、怒りとか絶望は自然な現象だから、どんな感情が湧いてきても悪い人間にならないということ。感情はコントロールできないから、自分の感情に対して責任ない。だけど、自分の行動に対しては、責任は必ずある。建設的な生き方は感情に対して、すごくやさしいですが、行動に対してはすごく厳しいですよ。
 どんな行動にもモラルが、責任があるんです。たとえば、嘘、不倫、とかだけじゃなくて、あなたの座り方に対して、モラルの意味があるんです。書き方とか、歯の磨き方とかにも。たとえば、朝起きて、パジャマを脱いで、パジャマを脱いだままにする、それはパジャマさんに悪い。パジャマさんって、変な言い方だけど、パジャマのおかげで、この人は快適に寝ることができたので、パジャマさんを脱ぐと、やっぱりたたむ方がいい。
 日本人は靴を脱ぐと、ちゃんとそろえるでしょ。いいことですよ。私は最初の頃、これはただ日本人の習慣だと思ったんです。だけど、それだけじゃないですね。靴に対するお返しになるんですよ。ある人は、靴にご迷惑をかけるんですね。靴を履くと、後ろのところを踏みつぶす人がいます。靴に悪いですよ。
 怒ってるときは、犬を殴る、それはいけない。怒ってるということは感情だから仕方ない。いいか悪いか全然関係ない。ただ、殴ることは、行動ですから、責任がある。そういう区別は、すごく大事と思うんですよ。感情は直す必要がないと思うんです。だけど、日本人は、一所懸命自分の心を直そうとする。自分の行動を直す必要はあるかもしれないが、怒ってるときは怒ってる。悲しいときは悲しい。これは、自然なことと思うんです。
(話はまだまだ続きますが、一つの話のまとまりを紹介しました。「スタタリング・ナウ」2003.12.20 NO.112)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/21

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