ふたりの少年の物語

 僕の本棚に、分厚い本があります。本のタイトルは、「STUTTERING INTERVENTION」。国際吃音・流暢性障害学会の会長だったディビッド・シャピロ博士からいただいたものです。
 シャピロ博士は、2013年、第10回オランダで開かれた世界大会で、この本を紹介しながら基調講演をしていました。その講演の後、「今回1冊しかもってこなかった本だが、今後、シンジと一緒に研究を進めたいので、是非読んで欲しい」と手渡されたものです。世界中からたくさんの参加者がいる中で、僕にだけプレゼントしてくれた特別の本です。事情があって、その後僕が国際吃音連盟から距離を置いたこともあって、連絡はとりあっていません。567ページの大作なので、とても翻訳できません。機会があれば、AIに翻訳してもらいたいものだとは思っています。
 そのシャピロ博士とは、オランダ大会の9年前、2004年にオーストラリアで開かれた第7回世界大会でも会っています。ずっと覚えていてくれたのはありがたいことでした。オーストラリアでも、シャピロ博士は、招待基調講演者でした。そして、僕をみつけて声をかけていただき、いろいろと話をしました。ふたりの共通点もたくさんみつかりました。その様子を書いた「スタタリング・ナウ」2004.9.18 NO.121 の巻頭言を紹介します。

  ふたりの少年の物語
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「シンジ・イトウ?!」
 2004年2月、オーストラリアのパースで開かれた、第7回吃音者世界大会のメイン会場に初めて入ったとたん、やさしそうな、あごひげのおじさんがまっすぐに私たちに向かって歩いてきて、こう話しかけてきた。日本人は私以外にも大勢いるのに、なぜ私が伊藤伸二だと分かったのだろう。ホームページの私の写真を見ていたのだろうかと不思議に思った。
 こうして、親しく話しかけて下さったのが、大会のメインの招待基調講演者シャピロ博士だった。日本に招かれて講演もし、日本の吃音研究者ともつき合いがあると話していたが、私は全く知らなかった。私のことはよく知っていて、私に関心を示し、この大会期間中に是非いろいろと話したいと言って下さった。
 シャピロ博士の基調講演は、温かく静かに私たちに語りかけるものだった。話の後半の、「ある少年の物語」の中で、ことばの教室のスピーチセラピストに対しての感謝をことばにし、「何々してくれてありがとう」といくつも言う「ありがとう」がことばの響きと共に心に残った。是非『スタタリング・ナウ』で紹介をしたいと、講演の原稿をいただけないかとお願いした。今は原稿はないが、アメリカに帰ってから送ると約束して下さった。そして、送られてきた講演の全てを読んで驚いた。シャピロ博士の講演と、2日後にした私の講演の内容がとても似ていたからだ。道理で、私の講演を聴きに来て下さって、とてもすばらしかったと言って下さったのはこのためだと思った。
 特に、「どもる子どもの吃音が変化するのは、充実した学校生活があるからだ」との部分に共感したと感想を言って下さり、是非一緒にプロジェクトをつくって仕事がしたいと、申し出ても下さった。吃音親子サマーキャンプにも参加したいようなことを言われていた。
 シャピロ博士は、13歳の成人式を、人前で話せないからと、サキソフォンの個人演奏に変えてもらった。その後も、大学の専攻を選ぶときも、吃音に大きな影響を受けている。私と言えば、学校の朗読ができずによく学校を休んだ。そして、ついには、高校2年生の時、あまりの辛さに、国語科の教師に、朗読を免除して欲しいと頼みに行った。話すことから逃げた生活だった。
 シャピロ博士も私も、どもって話せないからと、話さなければならない場面をできるだけ逃げてきた。そして、逃げたことに対する罪悪感と、このままでは自分がだめになってしまうかもしれないとの予感をもっていた。多くのどもる人が辿ってきた道なのかも知れないが、思春期のこの経験は、私たちふたりにとても共通している。
 成人式で挨拶もできなかったシャピロ博士。国語の朗読ができずに免除を申し出た私。ふたりが共に、その後同じように大学の教師としての仕事をするようになる。これもとても似ている。そして、話しことばを含めて、コミュニケーションの自由も手に入れた。今はどもるからといって、そのことがコミュニケーションの妨げには全くなっていない。よく似た旅をしてきたふたりが、よく似た講演をしたのは当然のことだったのだ。
 その中から学んできたことも、多少の違いはあるが、基本的には共通するものが多い。特に、子ども時代のスピーチセラピー体験を踏まえて、セラピストに伝えたいことを「ある少年の物語」で伝えようとされたことは、私が常日頃、ことばの教室の担当者や、言語聴覚士の臨床家の皆さんにお願いをしてきたことばかりだ。
 『「吃音症状は変化し、どもる人の吃音に対する考え方や態度も変化する」と、私は確信するようになりました。吃音の変化は、専門家の治療を受けるか受けないかではなく、その人に内在する「変わる力」によって起こるのでしょう。現実に多くの人が、専門家の力を借りず、様々な要因によって変化してきました…』
 この私の講演に人一倍拍手を送って下さったのは、シャピロ博士だったのかもしれない。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/20

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