他者信頼と内観

 経験してきたことが、後から学んだこととつながり、結びつくということがよくあります。ああ、あのときのあれは、これだったのかと、うれしくなります。
 吃音で深く悩んできた僕にとっては、それはあまりにも多く、吃音の奥行きの深さをいつも感じています。内観法、森田療法、アドラー心理学、ピタッピタッと当てはまるようにつながっていくのがおもしろく、愉快でもありました。「スタタリング・ナウ」2003.12.20 NO.112 の「他者信頼と内観」の巻頭言を紹介します。

他者信頼と内観
            日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 吃音ショートコースで、社会人類学者のデイヴィッド・K・レイノルズ博士から「建設的な生き方」について学ぶことが決まったとき、大阪吃音教室では事前学習として、これに関連する講座をもつことになった。私が担当したのが内観法だった。「建設的な生き方」のベースになっている森田療法はよく分かるが、「内観」と「吃音と上手につきあう」がどう結びつくのかとの質問を周りからよく受けた。
 内観法は、次の三つについて母親との関係をまず最初に、子ども時代から順を追って具体的な事実を調べていくというものだ。
  ・していただいたこと
  ・して返したこと
  ・迷惑をかけたこと
 内観法そのものについてはこれまで何度か内観法の専門家に来ていただいて、大阪吃音教室では学び、私も内観研究所で体験をしている。しかし、「吃音とつきあう」こととどう関係するのかと正面から問われると、明確に答えることができなかった。そこで、もう一度「内観」についてじっくりと考えてみることにした。いつものことながら、自らの体験を通して考え始めると、私は、あの時、内観を知らなかったけれど、内観をしていたのだと思いついたことがある。よく話もし、書いている経験だが、内観という観点からはこれまで考えたことはなかった。
 「うるさいわね。そんなことをしてもどもりは治りっこないでしょ」
 中学2年の夏、私は、『吃音は必ずなおる』(文芸社)という本を読み、大声で発声練習をしていた時に母親から怒鳴られた。私は涙をぼろぼろこぼしながら、「自分で治そうとしている僕に、何でお母さんがそんなことを言うんや」と母親にくってかかり、最初の家出をした。
 ひとりも理解ある教師に出会えずに教師への信頼感を完全になくしていた私は、その時から、家族に対する信頼もなくし、母親へ冷めた思いを持ちながら、最後の家出をしたのが20歳のときだった。
 反発し、反抗している家にこれ以上いたくない。お世話にもなりたくないと、自分の力で、大学に行くことを決心し、私は三重県の津市の田舎から大阪に出てきた。新聞配達店に住み込み、新聞配達をしながら、大学の受験勉強をするためだ。
 大阪での生活は本当に孤独だった。知らない大都会で初めて一人で生活するという、気が遠くなるような孤独の中で、私は母親をよく思い出した。すると、不思議なことに、「うるさいわね」と言った母親よりも、子どものころに私を胸に抱き、『動物園のらくださん』という童謡をよく歌ってくれ、大好きな弁当をよく作ってくれた母親ばかりが思い出された。内観法で言う「していただいたこと」ばかりが思い浮かんだ。母親から、「うるさい」とは言われたけれど、本当は私は母親に愛されていたのだという実感が湧いてきたのだった。
 私はひとりぼっちで、誰からも愛されず、理解もされていないと思い込んでいたのが、少なくとも母親は私の味方だという思いが、強く湧き上がってきた。私は知らず知らずのうちに、内観をしていたことになるのだろう。
 母親への信頼は、その後の初恋の人との出会いや、同じように吃音に悩む人との出会いを通して、他者信頼へと広がっていった。そして、それが、セルフヘルプグループ設立へと結びついていった。
 どもる人が他者への信頼をなくし、聞き手はどもっている私を受け入れてくれないと思ってしまえば、どもる人は話せなくなってしまう。どもってもいいと自ら思えるには、聞き手への信頼がなければならない。他者への信頼を、私は内観をすることによって取り戻すことができたのではないだろうか。
 アドラー心理学は、共同体感覚の育成を目標としている。そして、その目標を実現するためには、自己肯定と他者信頼と他者貢献の三つの体験、実感が必要だという。
 この三つが揃って初めて、自分らしく生きるという道筋に立つことができるということだろう。
 「内観」と「吃音とつき合う」ことを考えていて、私の好きなアドラー心理学のキーワードの共同体感覚と結びついたのはうれしいことだった。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/18

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