【鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談】「生きる」うえでのコミュニケーションとは?

 應典院で開かれたコモンズフェスタ2001、僕は、その中で、鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談を企画しました。
 鯨岡さんとの出会いは、前年の全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会でした。鯨岡さんは記念講演をされ、僕は吃音分科会のコーディネーターでした。鯨岡峻さんは、発達心理学から幼児や障害児のコミュニケーションを考えてこられました。また、竹内敏晴さんは、ご自身が聴覚言語障害のあった時代や、からだとことばのレッスンを通して多くの人と出会い、コミュニケーションについて考えてこられました。この、人一倍コミュニケーションについて考えてこられたお二人に対談していただきたいと企画し、それが実現しました。
 2001年11月7日、應典院本堂ホールでの対談の一部を紹介します。

「生きる」うえでのコミュニケーションとは?
                     京都大学大学院教授 鯨岡峻
                     演出家       竹内敏晴

共に生きる

鯨岡 京都大学の鯨岡です。竹内さんとこうして直にお話できるのは大変な喜びです。
 伊藤さんから与えられた今日のテーマは、「生きる」ことと「コミュニケーション」です。これはすごく大きなテーマなので、対談形式でどのように進めていったらいいかとても迷ってしまいますが、せっかく竹内さんとお会いできたのですから、何とか話をつなげていければと思います。まず私から口火を切らせていただきます。
 「生きる」という問題を、「私」を主語に立てて「私が生きる」と言い始めますと、途端に議論が難しくなって、随分しんどい話になっていくなあという気がします。「私が生きる」という切り口よりも、私たちが「共に生きる」という切り口の方が接近しやすいのではないか。そもそも「生きる」ということは、この「私」が生きるという前に、皆が共に生きることではないか。皆が、という言い方はちょっとまずいですかね。少なくとも身近な人たちと言うべきでしょうけれども、まずは身近な人たちが「共に生きる」ということが基本にあって、むしろ「私が生きる」は、その後から出てくるテーマではないだろうかと思います。そういうところを考えて行けば、たぶんコミュニケーションの問題に話をつなげていけるのだろうと考えています。
 私たちはみな、思春期以降、「私は」「私は」と、「私」にこだわるところがすごく強かった時期があると思います。ところが「私」にこだわる意識が強くなりますと、当然、私の目の前の他者達も「私」に面と向かって対峙する関係になってきます。けれども、「私」というのはそんなに閉じているのでしょうか。「私は」「私は」とよく言いますが、「私」というのは円に描いてくくれるような閉じた「私」なんだろうか。確かに、私のこの身体は私のものであり、唯一無二のからだですが、では私はこのからだの中に閉じこめられた、閉じた存在なんだろうかと考えますと、どうも、そうじゃなさそうです。少なくとも私が研究しようと思っています赤ちゃんとそれを育てる人の関係は、そんな閉じた私とあなたという関係ではありません。
 私が、「私」というところに閉じていきますと、実は他者達も閉じてしまう。そういう閉じた私と閉じた他者が共に生きようとすると、「私とあなた」が分断されたままギシギシしながら生きているというような構図が生まれてくるんです。でも、普段、身近な私たちが共に生きている状態においては、「私」はそれほど閉じていない。「私」は結構、「あなた」(たち)に開かれている。私の方が他者たちに己(おのれ)を開いていくことができれば、他者達もおのずから開かれてくる。そこにコミュニケーションが生まれる素地があるのじゃないかなと思います。
 コミュニケーションと言うと、すぐにことばで何かの考えを伝え合うというように、「伝える」ということに重きを置いて理解しようとします。けれども、私はむしろ気持ちをつなげる、気持ちを分かち合うところにコミュニケーションの基本の形を見ようとします。自分が他者に開かれていくと、他者も開かれてくる。そこに気持ちのつながる瞬間が生まれるのですが、それがコミュニケーションの原点だと思います。つまり、気持ちをつなげあうということがコミュニケーションであり、それが私たちが「生きる」ということにおいて、究極、目指していることなのではないかと思うわけです。
 気持ちをつなぐというと、少し抽象的に聞こえるかもしれません。どんなふうにして気持ちをつなぐのかと言われるかもしれませんが、切り分けられた私と切り分けられたあなたとがよそよそしく向かい合って、対峙する関係のまま気持ちをつなごうとすると、とてもしんどい。向かい合った対峙する関係ではなくて、むしろあい並びの関係になると、実はいろんなところで気持ちと気持ちがつながれてくる。人はやはり一人では生きていけないんですね。誰かと共に生きていきたいという志向性を根本的に持っているんじゃないかと思います。
 私たちは表現することをすごく大事に考えていると思いますが、ここに谷川俊太郎さんと竹内さんの対談が掲載された、日本吃音臨床研究会の年報「スタタリング・ナウ」があります。その中で竹内さんは、聴くということが大事だと述べられています。人と人がつながれていくためには、自分がこう思うことを単に相手に伝えるだけでなく、むしろ相手が何を言おうとしているかを聴こうとする態度が必要です。
 聴こうとする態度の中に、自分を他者へと開いていく根本的な志向性が現れているんじゃないかなと思うわけです。そして、「私が生きる」ではなくて、周りの人と「共に生きる」という視点に立ってみますと、まずは人と共にその場にいようとする、そして、人のことを聴こうとする態度が重要だということが分かるだろうと思います。要するに、気持ちを相手に向けていくということですね。赤ちゃんとお母さんの関係を見ておりますと、お母さんは赤ちゃんを分かろうとして、実に一生懸命、赤ちゃんに気持ちを向けていく。だから赤ちゃんのことがわかる。そこで、赤ちゃんとお母さんの気持ちがつながれていく。私はそこに「共に生きる」ということの原点を見ようとします。
 気持ちをつなぐというところから「生きる」ということを考えてみると、たぶん、コミュニケーションというところにいくんじゃないか。そうすると、竹内さんとうまくお話が絡むのではないかと思って、今日はやってきました。

深いところで、何かがつながる

竹内 竹内敏晴です。今のお話を伺っていて、大変、根本的なことをおっしゃったので、さて、どうお話したらいいか分かりませんが、初めにおっしゃった切り分けられた〈わたし〉と〈あなた〉でなく、共にその場にいる、ということから考え始めさせていただきましょう。
 〈わたし〉は〈からだ〉としてここにある、ということから、わたしは出発しますが、二人がここの場に一緒にいると、話をしてもしなくても、からだとからだとして、もうこの場にいることでつながりがあるわけです。私がAで、鯨岡さんがBとすると、一つの楕円形の中に、AとBがいる。切り分けられたそれぞれの個人でなく、一つの場にいるだけで、どんなに自分が孤立していると思っていてもつながりがある。こちらが動けば、関係が変わりますから、必ず、向こうが動く。向こうが動いたら、こちらも動かざるを得ない。一つの楕円が動くわけで、両方が開けば、楕円が大きくなったり、小さくなったりすることもありますが、そんなふうに、元々がつながっているのだととらえます。
 私の場合、ことばが不自由な人間でしたから、どこかで、ことばでつながりたいという気持ちが随分ありました。しかし、ことば以前にからだの触れ合いの方が大事だろうという気持ちも、元々非常に強いものがありました。今、鯨岡さんの母と子を例に話されたことを聞いてるうちに、私がことばをしゃべりはじめた頃を思い出しましたので、その話をしようと思います。
 しゃべり始めというよりも聞き始めですね。私は子どもの頃は難聴で、聞こえるときと聞こえないときがあって、そのためによくしゃべれなかった。十代に入り、全く聞こえなくなり、16歳の時に新薬が発明され、聞こえるようになりました。それまでは化膿性疾患に対する薬はなかったんです。学校の体操の時間、お天道様がたとえば左から照ってると、しまったと思っても授業中なので動くわけにはいかない。ずうっと照らされると、左耳が熱くなって、家へ帰ると必ず熱を出す。すると、のども耳も痛くて、飲むことも、食べることも、唾をのむこともできず、絶対安静で、何日か寝てる以外に方法がない。それが新薬のおかげで、16歳の時に、左の耳の耳垂れが止まった。音が聞こえてくると、ことばが分かるだろうと、皆さんは思うでしょうが、そうじゃない。この頃、ことばの教室の先生方にもそのことの理解があまりないことが分かったので、この間、ある研究会で初めてその話をしました。
 新薬の開発という条件のために、私のような場合は例外なんです。耳の場合は、それまで聞こえなかったものが手術で聞こえるようになるということはまれです。ところが、目では手術で見えるようになることがあるようです。その場合、目が光を感じられるようになっても、ここに鯨岡さんがいて、そこに本があるというように見えるわけじゃなくて、光の斑点が見えるだけなんです。あそこに白っぽい斑点があって、そこから茶色っぽい斑点があり、それがつながって、また光の斑点がたくさんある。それが、まとまって、一人の人間として見えてくるまでにはいろんなステップがいる。その解説みたいな文章を読んだときに、「ああ、音も同じだ」と思ったんです。いろんな音が入ってくるけれど、鳥の声か、足音か分からない。非常に単純化して言っていますが、鯨岡さんが「竹内さん」と呼び掛ける音が、他の音と違うことは分かるけれども、鯨岡さんから出てきた音とも、ほかの人の声とも分からない。鯨岡さんが私の肩を叩いて、「ねえ、ねえ、君」と言ったら、声と働きかけがつながって、「ああ、これが鯨岡さんの声なのか」とそこで発見できる。直に触れなくても、目の前で話すことでもいいですが、この触れ合いがあって、「はあ、これがこの人から出てくる音なのか」が初めて分かる。そういう触れ合いがないと、声だけで判別できるわけでは全くないわけです。
 人と人との触れ合いを、ことばのレベルで言いますと、皆さん方はそういう時期を幼児の頃に過ぎているので、お気づきにならないが、からだからからだへ触れてきたり、一緒に揺れる体験の時に声が出て、初めて、何かの意味が伝わり、ことばが意味を持ってくる。音ではなくて、これが人の声だと分かり、その人の感情の動きだか、こちらに対する働きかけだかが動いてくる。そういう触れあいの中で、初めて起こってくることが、鯨岡さんがおっしゃった母と子のつながりなんでしょう。私の場合には、皆さんが幼児の頃、自覚しないで通過されたところを10代の終わりになってから、全面的ではありませんが意識的に通過しました。意識で考えなきゃいけなかったために、非常に中途半端なものになったんだろうと思うんです。だから、ことばが成立してくる以前に、からだとからだが触れることがとても大事なんじゃないかと思うわけです。
 こういう話をしますと、どうしてもしゃべりたくなることが一つあります。それはマルチン・ブーバーのことです。彼は、ユダヤ人の哲学者ですが、自伝のようなものに、自分の幼児期のことを書いています。
 小さいときに、両親が別居して父方に行く。牧場をやっていたのか、お父さんは馬を飼っている。そこで暮らしてるうちに、一匹の馬と非常に仲良くなり、手から餌を食べるようになり、撫でたりして毎日一緒に遊んでいた。ところが、ある日、たてがみを撫でていて、「ああ、これはいい気持ちだなあ」と思ったんだそうです。その次の日から、馬は彼の手から餌を食べなくなった。今まで、自然につながっていた、つながってること自体の中で、二人とも生きてたのが、ああ、これは気持ちがいいなと思い、気持ちがいいために撫でるということになった途端に、そこでプツッと何かが切れた。自分にとって気持ちがいいから撫でることは、私に言わせると自分に閉じこもることなんです。だから、気持ちがいいと思った途端に、馬は自分の裏切りに気がついたんだろうか、というような意味のことをブーバーは書いている。
 これは立証はできないことだけれど、私は非常に良く分かる気がするんです。私たちは一人一人、別々だけれども、その中で、何かがつながる、コミュニケートする。わかり合うということの原点に戻ると、少年ブーバーと馬が、毎朝会っていた時のような関係。意識の層でいうと、いつもの私たちの生活の層が意識の上の方にあるとすれば、それよりずっと深いところの層で、そういうものが生きていて、そこで私たちはつながるんじゃないだろうかというようなことを考えるわけです。(「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/19

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