ご褒美のような時間~島根は第二の故郷~

 第25回島根スタタリングフォーラムフォーラムが終わった後、一気に車で大阪に帰るのはしんどいので、松江に一泊することにしていました。長い間、年末年始に2週間ほど滞在していた、懐かしい玉造温泉のホテルを予約していました。
 そのことを知った島根大学教授の原広治さんが、どうしてもフォーラムには参加できないけれど、私たちに会いたいと、「伊藤夫妻を囲む会」を計画してくれました。コロナの影響を受け、原さんとも久しく会っていないので、喜んでそのお誘いを受けました。フォーラムの会場からホテルまで約2時間、ホテルに着いた頃に、6時前にホテルまで迎えに行くと、原さんからメールが入りました。
 車に乗せてもらって、夕食会場に着くと、なんと13人もの人が集まってくれていました。フォーラムに参加していた人も何人かいます。片付けをして、駆けつけてくれたのです。古くからつきあいのある人たちもいます。島根の大石益雄さんと親しかった大坂さんや安部さん、僕たちの仲間である佐々木和子さん、国立特別支援教育総合研究所の研修の受講生だった、吾郷さんなど、こんなにたくさんの人が集まってくれているとは全く思わず、びっくりしました。
 話は尽きることなく、わいてきます。島根スタタリングフォーラムを始めるきっかけとなったのは、1999年の年末のことでした。恒例の、年末年始を玉造温泉の厚生年金保養ホームで過ごしていた僕が、国立特別支援教育総合研究所で、島根に行ったら電話をすると約束していたらしく、僕の方から吾郷さんに電話をしたらしいのです。僕は、吾郷さんから電話を受けたと記憶していました。玉造温泉に今来ていると話したようで、それならと急遽、学習会のような研修会のような相談会のようなことをしようということになり、暮れも押し詰まった12月27日に、松江市立内中原小学校が会場になりました。そんな急な話だったのに、結構な人数が参加してくれました。そして、その後の打ち上げの場で、どもる子どものキャンプをしようということになったのです。その場に、原さんも、大坂さんも、安部さんも、吾郷さんもいたということでした。本でしか知らなかった伊藤伸二が目の前にいる!と思ったという話を聞いて、僕の方がびっくりしてしまいました。
 それから、島根の言語障害や聴覚障害の子どもを教育する教師の集まりである、島根聴言研とのつきあいが始まったのです。長いお付き合いになりました。フォーラムだけでなく、島根県の県大会など、いろいろな研修会に招いてもらいました。
 シリーズ1の、第4回臨床家のための吃音講習会の会場も島根で、そのときのゲストは島根県出身のノートルダム女子大学学長の梶田叡一さんでした。
 2001年、第30回全難言大会島根大会の大会事務局長は安部さんでした。また、2009年の第38回全難言大会山口大会での、吃音分科会の発表者は佐々木和子さんでした。2016年の第45回全難言大会島根大会の吃音分科会の発表者は、黒田明志さんと、今、フォーラムの事務局を担当している森川和宜さんでした。僕は3回とも、吃音分科会のコーディネーターとして参加しました。
 そんな昔の話や、今、担当している子どもの話、これからの研修についてなど、ほんとに尽きることなく、話が弾みました。安心して、いろいろなことを話していました。これが、第二の故郷だと呼んでいる所以のようです。
 こうして、フォーラムが終わったあとに、これだけたくんさの人が集まってくださり、いろいろなことを自由に語り合う、こんな幸せなことはありません。どもりのおかげで、大勢の仲間に囲まれて、幸せな生活を送っていることを再確認しました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/1

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