第6回ことば文学賞

 ことばについて、吃音について、そして自分について、しっかり向き合い、綴ることで何か見えてくるものがあるだろう、また後に続くどもる人たちに大切にしているものを伝えたい、そんな思いで始まったことば文学賞。たくさんの人の人生にふれることができる絶好の機会となっています。
 第6回目は15編が集まり、元朝日新聞記者、カルチャーセンターなどで文章教室を開いておられる高橋徹さんに講評と選考をお願いしました。体調が悪い中、息子の順さんにもお手伝いいただいて、一編一編丁寧に読んでいただきました。
 「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 から、受賞発表の日の大阪吃音教室の様子と、作品を紹介します。

ことば文学賞発表の日~大阪吃音教室~
 ことば文学賞発表の1月16日、大阪吃音教室は、35名の参加があり、熱気に包まれていました。参加している作者がそれぞれ自作を読みました。
 聞いていた参加者がふと思い浮かんだことや感想を話します。作者に質問したり、自分の体験を思い出して話し始めることもありました。
 作者も作品への思い入れを語ります。その後で、高橋さんのコメントを紹介しました。参加者の感想とぴったりだったり、なるほどそんなふうに表現できるのかあと、納得したり…。
 このとき、まだどの作品が受賞したのか、参加者は知りません。作品朗読の後、いいなあ、気に入ったなあと思う作品を、参加者全員による挙手で選んでみました。そして、いよいよ高橋さんによる審査の発表を行いました。温かい拍手の中、記念の楯と副賞の図書券が手渡されます。喜びいっぱいの受賞者の横顔が輝いた瞬間でした。
 2時間の吃音教室があっという間に終わったような気がしました。
 悩んでいた頃は、あれほどまでに嫌いだったどもりについて綴った文章が、こんなに心地よく耳に入り、やさしく温かい気持ちにさせてくれるなんて、参加した人の多くが、そんな不思議な空間を味わっていたことだろうと思います。
 受賞作を紹介しましょう。

  仮面
           堤野瑛一(大阪スタタリングプロジェクト・会社員・25歳)
 つい最近になって、やっと実感出来る様になってきた事である。僕は確実に、昔の僕ではない。僕はようやく、仮面をはずす事が出来たのだ。
 昔、僕は人前でどもる事を恐れ、人前で自分がどもる事がバレる事を恐れ、ずっと無口な人間を演じていた。必要最低限の事以外、何も言葉を口にしなかった。でも僕の中にはいつも不完全燃焼な気持ちが残り、大きなストレスを抱えていた。
 「本当は違うんだ、僕には喋りたい事がもっと沢山あるんだ。意見だって自論だって興味だって、もっと口にしたい事が山ほどあるんだ!」
 僕はいつも、心の中でそう叫んでいた。
 でも今は違う。今では訊きたい事を人に訊き、喋りたい事を何でも喋り、以前の様な不快なストレスは殆どない。決して吃音が治ったわけではない。人前でどもりながら喋っている。思い切りどもっている。
 昔の僕は、注文を言う事が出来なかったので、一人で喫茶店に入れなかった。コンビニで煙草を買う事が出来ず、いつもわざわざ自動販売機を探し買っていた。店にいって、分からない事があっても店員に聞くことが出来なかった。仲間との会話で、どもる事が嫌なばかりに、知っている事や分かっている事を、知らない、分からない振りをして何も喋らなかった。でも今は、この全部が出来る様になった。
 そう、僕はどもりを隠さなくなった。どもる自分を認める事が出来る様になったのだ。今になって考えてみると、それは当然の事の様にも思う。目の見えない人間が見える振りを出来ない様に、耳の不自由な人間が聞こえる振りを出来ない様に、片足のない人間が松葉杖を使わずに歩く事が出来ない様に…、又、どもる僕がどもりでない振りなど出来る筈がないのである。
 …どうしてこんな事に今まで気がつかなかったのだろう。認められなかったのだろう…。結局僕は昔、背伸びをしていただけなのである。自分を実際より大きく見せようとして無理をしていただけなのである。健常者という名の仮面をつけていたのである。だけど今になって、ようやく等身大の自分を人前にさらけ出す事が出来るようになった。仮面をとる事が出来た。
 自分を実際より大きく見せる、格好良く見せる、こんなしんどい事はない。人間は所詮、等身大でしか生きられないものである。確かにどもりは格好悪い。しかしそれが自分なのだ。実際の姿なのだ。
 しかし何も僕は、自分一人の力だけで今の自分になれたわけではない。僕の周りには、ちゃんとモデルがあったのだ。どもる事を受け入れ、人前で堂々と等身大でどもりながら喋る人間が、僕の周囲にいる。そう、見本があれば、人間というのは生きやすいものである。自分が理想とするものが、実際にモデルとしてあれば、非常にその理想の姿に近付き易いものである。そういったモデルの方々のお陰で、僕はその人達を具体的な理想とする事が出来、そして一歩一歩近付く事が出来たのである。そのモデル達に、僕は感謝したい。
 …今でも、この時はどもりたくないなとか、今どもってしまって恥ずかしいなと思う瞬間はしばしばある。しかし、もう僕は仮面を付ける事は望まない。仮面を付けると、視界が狭いし、息苦しいのである。これから僕は、素顔をさらして生きていく。そう、仮面なんてない方が、顔が涼しいし、生身の空気を肌で感じる事が出来るから…。

〈高橋さんのコメント〉
 段落ごとの入り方がうまい。「つい最近」「昔、ぼくは」「でも今は」「そう、」「…どうしてこんなことに」…。惹かれるように次の段落へと進む。多重人格、仮面夫婦などが現代社会の問題となっているが、「仮面をつけると、視界が狭いし息苦しい」に仮面の負の本質を言い当てている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/27

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