もう、30年近くも前のことになる。私が、大阪教育大学(聴覚言語障害児教育)の教員をしていた時、大阪市中央児童相談所で、母子通所言語訓練グループを週2回担当していた。3歳児検診で、ことばが出ないと診断された子ども達、自閉症、知的障害があると言われる子ども達だ。学生と研究生が子どもとプレイルームで遊び、私が親の個人面接やグループでの話し合いを続けた。その時、大勢のお母さんと出会った。
たくさん話を聞く中で、吃音に悩んでいた頃の私自身と、お母さん方に共通することがあることに気づいた。私は、吃音を治したいとばかり考え、「吃音が治れば~しよう」と、現在したいこと、しなければならないことができずにいた。将来が不安で、日常の生活が楽しいものになっていなかった。また、情報が少なく、ひとりで悩んでいることなどがそうだ。
「お母さんが学生の頃、あるいは結婚してまだ間がない頃、自分で楽しかったこと、うれしかったこと、家族としていて楽しかったことを書いて下さい」とお願いした。「映画やコンサートによく行った。花のお寺を巡るのが好きだった。ピアノや絵画を習っていた」など、10も20も書く人。一生懸命思い出すが、なかなか浮かばず、私はこれまであまり楽しい生活をしてこなかったと涙ぐまれた人もいたが、それぞれが書いて下さった中で、現在していることは何ですかと尋ねると、ほとんどの人が何もしていないと言う。子どものことを考えると、とても自分が楽しむことができないと言うのだった。
「お母さんはお子さんのことばの発達を願っておられますが、ことばは、日常生活の中で育つものです。特別な訓練ではなく、お母さんの楽しく充実した生活が家族に反映して、家族の日常生活が充実することが、結果として言語訓練のようなものになっているのです。子どものためにも、何よりも自分のためにも、子どもが話すようになり、手がかからなくなったら~しようと、自分の楽しみやしたいことをあきらめてはいけません。本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、ピアノを弾いたり、山登りをしたり。これらのことをするには、工夫とエネルギーがいることでしょうが、今からできることから少しでも、実行に移して下さい。お母さんが笑顔で家族と楽しく充実して生きることが、子どもの幸せにつながるのです」
お母さんの喜び、楽しみを一緒に探したい。この生活の充実には、父親の力は欠かせない。ともすれば、子育ては母親がするものと、男親は逃げがちになるからだ。家族全員の力が必要だと、私は、児童相談所の施設から外に出ようとした。ところが、事故が起きたときの責任は誰がとるのか、行政側の強い抵抗にあった。理解ある責任者の決断で実現し、父親も参加できる日曜日や祝日に、言語グループとは別の活動を計画した。動物園、芋掘り、プール、クリスマス会、運動会、新幹線で京都までハイキング、観光バス3台で須磨浦公園へのハイキング、2泊3日の小豆島へのキャンプなど、家族ぐるみの様々な活動をした。同時に、悩みを語り合うグループや講演会や学習会などを開いて、何が子どもの幸せにつながるかを考えたのだった。
30年前のこれらの活動は、今年で14年になる吃音親子サマーキャンプに引き継がれ、父親も含めて全員が参加する家族も少なくない。親子の生活をいかに楽しく、充実したものにしていくか。教育や福祉からのサポートシステムや、カウンセリングなどの精神的なサポートが必要なのだ。
★豊かな心とことばを育てる京都与謝地方親の会★ 【ことばと教育 第105号 2003.3.15】
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二