生きた見本の力

 初期の頃の、吃音親子サマーキャンプで出会った二人の体験を紹介します。出会ったのは、一人は小学生のとき、もう一人は高校生のときで、二人ともすでに結婚し、青年の域を少し超えている人です。長いつきあいを思います。
 吃音に悩み、考え、自分で生きる道を選んでいった子どもたちです。この子どもたちの生きる姿が、次に生きる子どもたちへ受け継がれていくよう、僕は、これからも伝えていきたいと思っています。
 「スタタリング・ナウ」2004.12.18 NO.124 の巻頭言を紹介します。

  生きた見本の力
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 どもる体験によってだけ、どもる人は悩むのではない。どう生きていけるか、未来像がもてないことが、本当の悩みなのではないか。子どもの頃聞いた歌は数え切れないほどあるのに、宮城まりこが歌っていた「ガード下の靴磨き」の歌が、私の心にいつまでも残り続けていたのは未来が見えない苦しみへの共感だろう。
 「赤い夕陽が、ガードを染めりゃ・・」で始まるその歌の「風の寒さやひもじさは、慣れているから負けないが、ああ、夢のない身がつらいのさ」の歌詞の、夢のない身がつらい少年の気持ちが痛いように私の胸に迫った。涙がいつもにじんだ。
 自分の名前も言えず、音読も発表も人並みにできない僕に、どんな人生が待っているのか。どもりながら大人になって、仕事をしているイメージが全くもてなかった。未来像が描けないと、未来に向かって努力できるものではない。私は、勉強だけでなく、思い切り遊ぶこともせず、クラスの役割も果たさずに、勤勉性のない学童期を生きた。
 吃音親子サマーキャンプは今年で15回目となった。そのキャンプで私たち大人は、どもる子どもたちに、「どもっていたとしても、君たちの未来は閉ざされたものではなく、明るく開かれている」ということを、自分の人生を生きた見本として提示しながら、一所懸命伝えようとしてきたのだろうと思う。だから、吃音を治し、改善するという試みは一切しないで、どもりながらどう生きるかを一緒に考え、その力を子どもたち本人が身につけていって欲しいと願って、活動を続けてきた。
 15年間に私たちが会った、小学生、中学生、高校生は、大変な数にのぼる。その中で、小学4年生のときから10年連続して参加したのがまさき君で、高校1年生から参加し、途中少し抜けたが8年参加しているのがあやみさんだ。
 このふたりが期せずして、この秋の吃音ショートコースの発表の広場で、自分の体験を話すことになった。ふたりの発表を聞きながら、初めて出会った時のことを思い出していた。
 まさき君とは、今年2月、オーストラリアで開かれた第7回吃音者国際大会に一緒に参加した。その期間中に、彼はゆっくり話ができるいい機会だ、話を聞いて欲しいとホテルの私の部屋を訪れてきた。その時初めて、彼が子どもの頃から持っていた声優への夢を聞かされた。どもるからとあきらめようとしたがあきらめ切れず、夢を阻む吃音が憎いと思ったことなど、素直に自分を語った。吃音によって夢が阻まれるのは、長年吃音に取り組んできた私にとってもつらいことだ。
 夢に向かって無謀に突き進むというのではなく、堅実な人生計画を持ちながらも、幼い頃からの夢もあきらめたくないという現実的な姿勢に、安心もした。どもるからと未来を閉ざす必要はない、夢をあきらめないで追求することもひとつの生き方だと思うと、私も率直に私の考え方を彼に話した。届かぬ夢とは言い切れない。現実にどもる人で、落語家、俳優、アナウンサーなど話すことを仕事にしている人は少なくないのだから。
 あやみさんは、宮崎市で話をする予行演習を、吃音ショートコースの発表の広場でした。大阪で開かれたセルフヘルプグループのセミナーで、どもりながら、大阪スタタリングプロジェクトについて話す彼女の姿に共感した宮崎県の実行委員会から、宮崎で行われるセミナーでも話して欲しいと依頼があった。大阪のグループの活動の中では、よく私に叱られている彼女だが、自分の娘が他人から認められたようで面映ゆかった。宮崎市からの正式な依頼があってからの彼女は、真剣に体験発表に向き合った。これまでの吃音との関わりをまとめ、原稿にして何度も私に送ってきた。誠実に取り組む姿勢がうれしかった。
 ふたりに共通することがある。どもってもいいと思えたり、吃音を否定したり、揺れながら成長していっていることだ。揺れ動くとき、常に大人の私たちが寄り添っていた。ふたりとも、自分がしてもらったように、今度は自分が子どもたちの見本になりたいと思っている。うれしいことだ。
 二人の心の旅路につきあっていただきたい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/06

Follow me!