矛盾を受け入れる

 どもってもいいと吃音を認めているのなら、つまり吃音を受け入れているのなら、なぜどもり方を変えようとするのか、単純に考えれば矛盾が出てきます。そのことを矛盾と認識した上で、その矛盾を受け入れようと提案したのが、1986年、京都で開催した第1回吃音問題研究国際大会で基調講演をしたヒューゴー・グレゴリー博士でした。
 矛盾ということばをあえて出した考えは、新鮮で興味深いものでした。僕たちも、どもることは決して悪いものでも劣ったものでも、まして恥ずかしいものでもないと主張していますが、どもっている自分を受け入れながら、もしどもり方を変えたいなら変えてもいいのではないか、とは考えています。でも、それは、アメリカ言語病理学のいう「楽にどもる」とは全く違うものですが、その違いをことばで説明することの難しさを感じています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2005.2.20 NO.126 の巻頭言を紹介します。グレゴリー博士が亡くなられたと知り、懐かしいお顔や姿を思い浮かべながら書いたものです。

  矛盾を受け入れる
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「ドドドドーン、ドドドドーン」
 吃音だけの共通項で京都に集まったどもる人、吃音研究者、臨床家。ウェルカムパーティが最高潮に達したとき、演奏された和太鼓が参加者にも開放された。一番に太鼓に向かっていったのがアメリカの吃音研究者、ヒューゴー・グレゴリー博士とイギリスの吃音臨床家、レナ・ラスティンさんだった。ふたりは、ドンドンドドドンというどもる音にも似た連打を愉しんでいた。さよならパーティのときもハッピを着て盆踊りを楽しんでいたふたりの姿がとても強い印象として残り続けている。
 1986年夏、京都で私が大会会長となって世界で初めて開かれた国際大会。吃音にかかわる多くの人々は、おそらくこのときが来ることを夢みていたことだろう。この実現を大いに喜び、からだごと表現していたふたりだった。
 ヒューゴー・グレゴリー博士とレナ・ラスティンさんのおふたりが、昨年続いてお亡くなりになった。ひとつの時代が終わったような寂しさを覚える。
 グレゴリー博士は大会の基調講演者として、レナ・ラスティンさんはどもる子どもの指導についてのワークショップを担当し、さまざまな場面で積極的に発言していた。
 私たちが開いた第1回吃音問題研究国際大会の意図した「研究者、臨床家、どもる人たちが、互いの体験や実践・研究を尊重して耳を傾け、共に歩む」という姿勢にとても共感して下さっていた。
 第2回大会をドイツのケルン市で開いたときも、グレゴリー博士は参加し、日本から参加した私たちにいつも親しく話しかけ、ドイツの大会と比べて、いかに京都の大会がすばらしかったか、どもる人たちや吃音関係者に意義深いものであったかということを話されていた。だから、その後、第3回サンフランシスコ大会へと引き継がれるにつれ、吃音研究者、臨床家が対等の立場で協力し合うという傾向が薄れていくのをとても残念がっておられた。実際、ドイツの大会では、シンポジウムの公開の場で、臨床家とどもる人のセルフヘルプグループとの厳しい対立が見られた。サンフランシスコ大会では、吃音研究者や臨床家がほとんど関われなかったことを強く嘆いておられた。第1回の京都大会をひとつの理想的なあり方として、グレゴリー博士はもっておられたのだろう。
 それでも、京都大会の経験が生かされ、吃音研究者・臨床家はIFA(国際吃音学会)を、どもる人々はISA(国際吃音連盟)を設立し、このふたつの世界的な組織は協力関係を保っている。これはグレゴリー博士の願いであった。
 京都の講演の中で、特に印象に残ったのは、「矛盾」についてだ。流暢に話す、つまりどもらずに話すという流れと、流暢にどもるという論争の中で、その統合を強く訴えていた人だった。吃音そのものを認めた上で、どもり方を変えよう、これは、チャールズ・ヴァン・ライパーがずっと主張していたことだが、グレゴリー博士も同じ立場だった。しかし、そうすると、どもってもいいと吃音を認めているのなら、つまり吃音を受け入れているのなら、なぜどもり方を変えるのか、という矛盾が当然出てくる。そのことを指摘した上で、グレゴリー博士は、その矛盾を受け入れようと提案する。それは、矛盾を認めたことが新鮮で興味深いものだった。
 私たちは、どもることは悪いものでも劣ったものでも、まして恥ずかしいものでもないと主張している。そして、吃音を治す、改善するための努力はしない。しかし、どもっている自分を受け入れながら、もしどもり方を変えたい人がいるのなら、変えてもいいのではないかとも考えている。それは、グレゴリー博士の言う、流暢にどもるという限定された狭いものではなく、どもっている沈黙の状態も生かした、どもり方を磨くというものだ。
 この、吃音を認め、そしてそのどもり方に磨きをかけていくという発想は、矛盾したものにはならないと私は考えている。が、グレゴリー博士の、矛盾を矛盾として認め、それを受け入れるという発想もこれまでと違う素敵な発想だと思う。
 第一回吃音問題研究国際大会から19年たった。
 あの大会でひときは輝いていた、お二人に感謝し、冥福を祈ります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/13

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