私と『スタタリング・ナウ』2

 『スタタリング・ナウ』100号記念特集に寄せられたメッセージの紹介のつづきです。読み返しながら、こんな思いで読んでくださっていたのだと心に染みました。先日、今月号の『スタタリング・ナウ』を入稿し、できあがりを待っているところです。息長く続けている僕たちへの応援のメッセージになっています。2002年12月21日発行の『スタタリング・ナウ』ですから、20年以上も前に書いていただいたものですが、今、書かれたもののような感じがします。

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
   私と『スタタリング・ナウ』

  吃音は一流の表現
                   秋田光彦 大蓮寺住職、慮典院主幹(大阪府)
 「吃音」という主題ひとつが、こんなに多種多様な活動を導き出すのか、といつも驚かされています。「吃音」が治療や矯正の対象でなく、その人の個性として受け入れていくことから人間と社会のさまざまな対話が生まれてきたからでしょうか。
 本当の豊かさとは、個人が普遍に対しやわらかに開かれていることだと思います。普段は聞き逃してしまいそうな、静かなつぶやきを、丁寧に拾い上げながら、「吃音」から世界に架橋するような、そういう試みの数々は、人間としての共感軸を揺さぶらないではいられません。貴紙のみならず、伊藤さんの仕事から、いろいろなことを教えていただきました。もはや「吃音」は一流の表現であるようです。

【竹内さんのレッスン会場としてだけでなく、様々な、人と人のつながりを大切にする、息をするお寺・應典院との出会いは活動の幅を広げてくれました】

  やったね、100号、おめでとさん!!
               桂文福 (有)文福らくごプロモーション代表(大阪府)
 伊藤会長の文章や「仲間」たちの記事から、いつも勇気をもらっています。おおきにおおきに。
 私は、ライフワークとして「出あい、ふれ愛、わきあいあい」をモットーに、全国市町村で「ふるさと寄席」をやらせていただき、文福一座のおもしろメンバーたちと旅をしています。新幹線や特急の切符をとる時、駅の方が「キンエンシャになさいますか、キツエンシャがいいですか」とお聞きになりました。すかさず一座の者が「師匠はキツオンシャでしょ」「そ、そんなアホな!!トホホー」とこんなシャレを言い合っても別に腹も立たず、かえって愉快です、 私は…。高座にあがれば、それなりに、いやかなり爆笑はとれる自信があるし、お客様を納得させられると思います。どもっていたおかげで、自分に自信をつけようと、中学、高校時代は、相撲、柔道で一応青春の汗も流せました。この世界に入って32年目。何とか個性のある落語家になりたいと、相撲甚句や河内音頭(これやったらなんぼでも、スラスラ~と言葉が出まんねん!!)を唄い、東西600数十人落語界で、ただひとりの河内音頭取りで「エンカイティナー」の異名をとるユニークな存在になれましたのも、「どもり」のおかげだと思っています。だから、私自身、前出のシャレもOKなんです。しかし、私のポリシーとして、人の体の欠陥や悲しい事件、事故、災害等で笑いをとることは、絶対しません。そんなネタは、「真の笑いは、平等な心から」という私の講演テーマには合いませんからね。
 さて、各地をまわりますと、うれしいふれあいがありますよ。徳島の施設を訪問した時、我々一座が大熱演しても、パチパチと拍手がわきません。客席からガチャガチャ、ギーギー、ドンバタ…「何で拍手ないのかな~?」全員が体に障害をおもちで、手を合わせてパチパチできないのです。そこで、車椅子を揺すってガチャガチャ、片手で車輪をギーギードンドン。心からの拍手をもらいました。いろんな拍手があっていい。表現の仕方が違うだけ。
 まさに、金子みすずさんの「―みんなちがってみんないい」。今、彼女の大ブーム、映画、ドラマ、舞台、CD等、多くの人々に感動を与えてます。私は、こんなに騒がれる10数年前に、みすずさんのふるさと長門仙崎を訪れ、みすずさんのお墓参りもして、”彼女”に出会ってきましたが、素直にやさしい心で仙崎の町や青海島の風景を、詩にしていて、おしつけがましくも、説教くさくもないので、今も心にしみるんだなあ~。2003年、生誕100年を迎えますが、東北、秋田でも、そんな心をもった女の子と出会いました。知的障害をもつ彼女は、毎朝、お花畑に水をやるのが日課で、手が汚れたので水道で洗ったら冷たかった。先生が「こちらの蛇口からはお湯が出るよ」。お湯で手を洗ったら温かかった、うれしかった。翌朝、彼女はお花にもお湯をかけた。花はしおれた。先生が怒ろうとしたけれど「待てよ、この子は、自分がうれしいと感じたことをすぐに誰かに伝えたかった。そんなやさしさ、とっくに忘れていたなあ、この子に教えられた」と叱るよりありがとうとお礼を言った。―これからも、こんな心のこもった「出あい」をしたいもんだなあ。

【『にんげんゆうゆう』を文福さんの息子さんが録画しておいてくれたことがきっかけでおつきあいさせていただいています。あったかい、あったかい人です】

  海外からこんにちは
          石田浩一 ワシントン大学研究員(アメリカ・セントルイス在住)
 毎月海外まで「スタタリング・ナウ」送付して下さってありがとうございます。毎号届くたびに自分にとって非常に慣れ親しんだ(?)事柄に、少しばかり安堵するような気分で読ませていただいています。
 私は2年半ほど前から海外に出て生活しているのですが、その間の印象に残る体験のいくつかは、まさしく私がどもるために体験したものでした。非常に美しい(と私が勝手に思っている)体験もあれば、逆になんとも嫌になるような体験もあります。そういう美しいもの嫌なもの両方含めて、それらは私が吃音という性質を持っていなければ体験しようのないものでした。吃音はまぎれもなく私の一部であり、そういった体験の中から感じた自分らしさ、自分の人生というものがあるように思います。
 これからもそんな体験がいろいろできるように、もっともっと自分らしくやっていければと思っているのですが、そんな時「スタタリング・ナウ」を読むと、なにやら非常に気分が楽になります。どこへ行っても私も元気にやっていこうと思います。

【吃音ショートコースで初めてお会いしました。その後、ドイツ、アメリカと遠く離れはしましたが、『スタタリング・ナウ』が海を越えてつないでくれています】

  僕の秘かな夢
                          羽仁進 映像作家(東京都)
 『スタタリング・ナウ』いつも面白く拝読しています。
 「どもりはどもってよいのだ」という吃音者宣言の革命的な響きは、さらにどもりながらのコミュニケーションに進んでいっていることは、御成果に感心します。
 もし、これからやられることの中で、「どもり」の内面、「どもり」の個性というものが明らかにされてはいかないだろうか、というのが僕の秘かな夢です。どもりは身体的原因によらないことが明らかになってくると共に、「どもり」の個性が、特にそのプラス面が明らかになるという夢は叶えられるでしょうか。

【自然にどもっておられるその姿をテレビで見るたびに励まされます。吃音家といえる数少ない格別の存在です。吃音ショートコースで久しぶりにお会いしました】

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/17

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