私の聞き手の研究
昨日は、水町俊郎・愛媛大学教授がお亡くなりになったことの巻頭言を紹介しました。
水町さんは、今夏、第11回を迎える「親、教師、臨床家のための吃音講習会」の前身である「臨床家のための吃音講習会」の常任講師として、共に取り組んでくださいました。水町さんがお亡くなりになったことで、「臨床家のための吃音講習会」は第4回で閉じましたが、8年後に「親、教師、臨床家のための吃音講習会」としてよみがえったのです。
今日は、2002年の第2回臨床家のための吃音講習会で、水町さんにお話いただいたことを少し紹介します。
水町俊郎・愛媛大学教授は、吃音のメカニズムではなく、常にどもる子ども、どもる人に関心を持ち続けた吃音研究者でした。どもる時の脳の状態はどうなっているのか、聴覚システムはどうかなどにはほとんど関心を示されませんでした。それが分かったとしても、どもる子どもやどもる人がどうすることもできないし、どもる人をとりまく人々が、どう対応すればいいかヒントを得ることはできません。
水町さんは、どもる人や、どもる人の周りの態度に関心をもち、研究を続けられました。どもる人を対象にした研究は、当然どもる私たちを抜きにはあり得ません。私たちへの研究調査の依頼が、私たちとのつき合いの始まりです。吃音研究に貢献でき、それが私たちにも役に立つ、喜んで私たちはそれに応じました。これまでは、たとえば質問紙による調査であれば、既に印刷されたものが配られ、それに応えるというものが全てでした。しかし、水町さんは愛媛から何度も大阪に足を運び、調査研究の趣旨を丁寧に説明し、調査項目についても、原案を皆さんで検討してほしいというところから出発しました。水町さんを中心とした勉強会のような形に、私たちの仲間と加わったのでした。
そのような姿勢で続けてこられた研究が、どもる人に貢献しないはずがありません。多くの示唆を与えて頂きました。その研究の成果を踏まえて出版されたのが、『吃音を治すことにこだわらない、吃音との付き合い方』(ナカニシヤ出版)です。水町さんはご自分が担当する章はきっちりとお書きになって、入院されたのに、私たちが書き上げていないために、生前に出版することができませんでした。とても悔いが残ります。水町さんの吃音にかかわる全ての人々への、30年以上吃音の研究を続けてこられた吃音研究者としてのメッセージが伝わってきます。 その本の一部を紹介することはできませんので、2002年8月、第2回臨床家のための吃音講習会でのお話を紹介します。
水町俊郎さんのお顔を思い描きながら、お読みいただければ幸いです。(「スタタリング・ナウ」2004.10.21 NO.122)
私の聞き手の研究
水町俊郎(愛媛大学教授)
はじめに
アメリカの多くの言語病理学者は、自らが吃音者であるといわれています。日本でも翻訳されている、フレデリック・マレーの『吃音の克服』や論文によると、特に吃音研究の中心的な存在は、トラビスとヴリンゲルソン以外はほとんど吃音者であったと書いてあります。私は吃音だから吃音研究を始めたのではありません。もうちょっとハンサムで頭がよければ、性格がもっと明るければ、など悩みはたくさんありますが、吃音に関する悩みを私は持ったことはありません。
私は大学は福岡学芸大学で、大学院は広島大学です。福岡学芸大学の当時の恩師が、「しいのみ学園」を作った昇地三郎先生です。現在、96歳。中国に講演旅行され、僕以上に元気な方で、40年以上も前、「障害児教育の今後は、肢体不自由か言語障害だ。君は言語障害をやらんかね」と言われました。その時から、言語障害をテーマにしようと漠然とした思いを持っていました。そういう時に、九州大学の心療内科で、当時日本に紹介されたばかりの行動療法を基に、吃音をチームアプローチしているところから、心理学の立場で入ることを誘われ、吃音にかかわり始めたました。はずみでやり始めたことで、何かの深い思いがあってではありませんが、30年以上続けてきました。
今回の講座は、〈ウェンデル・ジョンソンの言語関係図を考える〉ですが、私に与えられているのは、Y軸、つまり聞き手に関することです。まずはじめに、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図にポイントをおいた話から始めます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/27