奇跡の人

 竹内敏晴さんの、大阪での定例レッスン「からだとことばのレッスン」の事務局を、竹内さんが亡くなるまで10年以上していました。毎月第2土日がレッスンの日でした。2日間、竹内さんからいろいろな話を聞きました。ヘレン・ケラーとサリバンの話は、特に印象に残っています。
 僕が、舞台「奇跡の人」を観た後に書いた巻頭言を紹介します。ヘレンとサリバンの関係を、エリクソンの社会心理的発達論で説明していますが、その後の講義や講演の中で、この話をしばらくしていました。「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105 の巻頭言です。

  奇跡の人
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 40年も前に見た映画、『奇跡の人』が鮮明に生き続けていたのは、サリバンとヘレンのすさまじい格闘から、ポンプから手に当たる水で、「ウォーター」とことばを発見する感動的なシーンと、サリバン役のアン・バンクロフト、ヘレン・ケラー役のパティ・デュークの熱演があったからだろう。ふたりは、アカデミー賞の主演女優賞と助演女優賞を受賞する。あのときは、何の疑いもなく、人が人を教育することの可能性と、人が変わることのすごさに感動したのだった。
 40年後の4月に観た、大阪の近鉄劇場の『奇跡の人』の舞台は、大竹しのぶも若い女優も熱演なのだが、ずいぶんと印象が違っていた。竹内敏晴さんから、何度も話を聞いていたからだろう。『ヘレン・ケラー自伝』(ぶどう社)と、『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(明治図書)の、サリバンが親友のホプキンスに出した手紙の事実と芝居はかなり違っている。これらの自伝をもとに、事実をそのまま戯曲化した方が、より劇的で伝わるものも多いのではないかと思うと、少しもったいない気がしたのだった。
 サリバンとヘレンとのかかわりは、アイデンティティーの概念で知られる、心理学者エリクソンの社会心理的発達論で見事に説明づけられる。サリバンとヘレンは、基本的信頼感、自律性、自発性、勤勉性の階段を上るように共に生きたのだ。
 映画や舞台のシナリオでは、「ウォーター」とことばを発見した時に奇跡が起こったとあるが、サリバン自身が、「奇跡が起こりました」と手紙に書いているのは、この場面ではない。他人の皿に手を突っ込み、わしづかみで食べるヘレンに、「私はまず、ゆっくりやり始めて、彼女の愛情を勝ち取ろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです」と、まず基本的信頼感を育てることを考え、二人きりの2週間の生活を提案する。この生活の中での、乳児期の母と子に近い関係がなければ、次の展開はなかっただろう。サリバンの気配を感じると逃げていたヘレンが変わっていくのを、サリバンは手紙にこう書いている。
 「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです。知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。全てが変わりました。2週間前の小さな野生動物は、優しい子どもに変わりました。今では、彼女は、私にキスもさせます。そして、ことのほか優しい気分のときには、私のひざの上に1、2分は乗ったりもします。しかし、まだキスのお返しはしてくれませんが」
 野生動物のようだった、ヘレン・ケラーとの間に、基本的信頼に近い感覚が芽生え始めたことを、サリバンは、「奇跡が起こった」といっている。ここまでの取り組みがいかに重要で、それがいかに難しいことであるかを、サリバンは「奇跡」ということばで表現しているのだと言える。
 2週間後に家に帰ったとき、教えた方法ではなくてヘレンが自分のやり方でナプキンをしたのを、サリバンはやり直しをさせず、「そのあなたのやり方でいいんだよ」と、無言のOKを出した。ヘレン・ケラーの自律性が尊重されたことによって、さらに信頼感は確実なものになっていく。そして、その後の自発性、勤勉性へと続くことでことばを獲得していった。
 サリバンの「この子は力がある。きっと変わる」という大きな信頼の中で、二人はお互いにゆったりとした、安心できる人間関係を作っていく。そのリラックスした生活の中で、井戸の水を静かに手にかけてゆっくりと「ウォーター」と書いて、あの「ウォーター」が起こる。
 芝居や映画のように、格闘し、つかみ合って、井戸に引きずっていって、あの感動的な「ウォーター」が起こったのではない。ヘレンの自伝にも、サリバンの手紙にもはっきりと書かれている。
 私は人間と人間を結びつけるのは、ことばだと思っていた。どもるためにことばがうまく話せない私は、人間関係が作れない、保てないと思っていた。しかし、ヘレンとサリバンの初めの頃の関係の中では、ことばは全くない。人と人とが直に向き合う関係の中で、教える・教わるという役割を越えて響きあっていた。
 「ウォーター」のシーンや、ナプキンの話を、竹内さんから聞いていなかったら、ヘレンの自伝や、サリバンの手紙を読むことなく、大切な部分を見落として、40年前と同じ感覚で舞台を見ていたことだろう。(「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/18

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